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賀集八幡神社

トン テン トン
トン テン トン
トン トン

これは、私が小学校の時に乗り叩いた布団だんじりの太鼓のリズムです。
このリズムで、だんじりに乗った4人の子供達が太鼓を叩き続けるわけです。
懐かしいですね~

南あわじ賀集地区の春祭りは、毎年4月の第2日曜日に賀集八幡神社で行われます。
春祭りには賀集中から布団だんじりが12台集まってきます。
(この記事を書いた当初14台と書いていました。12台が正しいようなので訂正します。)
賀集八幡神社の長い参道脇には桜の木が植えられています。
祭りが行われる頃、その桜の花も満開となっています。
そして真っ赤な布団と黄金色で出来ただんじりが、その長く桜の花で包まれた参道を通り抜けていくわけです。
参道脇には屋台も並び、祭りを楽しむ人たちでいっぱいとなっています。

良いですよね~
「祭りを楽しむ!」
これこそ日本人として生まれてきた幸せを感じる時でないでしょうか?
(⌒-⌒)ニコニコ…

で、そんな懐かしい賀集八幡神社へ「淡路島周遊の旅 第三回」で行ってきました。
今回の淡路島周遊は福良地区から始め、賀集地区に入り真っ先に賀集八幡神社に向かいました。
残念ながら、賀集八幡神社へ行ったのは12月です。
祭りの写真は無いのでYoutube動画を貼っておきたいと思います。
賀集八幡神社の春祭りが行われるのが4月の第2日曜日ですので、毎年必ず満開の桜が見れるとはかぎりません。
添付のYoutube動画では素晴らしい桜が見ることができます。

 

私が賀集八幡神社にはどうしても行きたかった訳があります。
賀集八幡神社の参道は長く、参道の右側には淡路島七福神の1つ「護国寺」があり、純正調オルガンを発明した日本の音響学者の「田中正平博士顕彰碑」もあります。
参道の左側には「南淡町民俗資料館」があり、その庭には淡路鉄道の創業者の一人で初代社長の「賀集新九郎氏表功碑」があるのです。
特に「賀集新九郎氏表功碑」を見るのを楽しみにしていました。
(現在、南淡町民俗資料館は閉鎖中のようです。南淡町自体が南あわじ市に合併され存在しないわけですから、この資料館は皆に忘れられた存在なのかもしれません。)

今回の淡路島周遊の記事ですが「賀集八幡神社」のみとし、次回以降「護国寺」、「田中正平博士顕彰碑」、「賀集新九郎氏表功碑」などを記事にしたいと思います。

以下は「賀集八幡神社」についてです。

賀集八幡神社の鳥居を抜けると前述の長~い参道があります。
その参道をまっすぐいった正面に拝殿があります。
新しく綺麗な拝殿です。

兵庫歴史ステーションのホームページには次のように書かれています。
賀集八幡神社は南辺寺山の麓に位置している。創立は不明であるが、1340(暦応3)年、足利尊氏の命により阿波から入島した細川師氏(もろうじ)が神前で戦勝を祈り、鎬箭(かぶらや)を申し受けたと言われる。三間社流造の本殿(県指定文化財)は、1631(寛永8)年に藩主松平忠鎮(ただしず)が建立した。拝殿(県指定文化財)の建立年代は不明である。境内には芭蕉の句碑が立ち、近年まで参道にかけられていた総御影石造のめがね橋が移築されている。寺所蔵の『八幡宮絵図』は室町時代の作と伝わる。
 江戸初期の建築様式をもつこの神社は、現在は厄除けの神として信仰を集めている。

拝殿の右横には、浩宮徳仁親王の御参拝記念碑があります。

境内にある芭蕉の句碑についてです。
元禄6年、芭蕉が50歳の昇春にこの鎮守に詣で、一夜を明かしたことがあるそうです。
芭蕉は次の様に詠んでいます。
「梅が香耳 のっと日の出る 山路かな」
「芭蕉句碑由緒書」によれば、次のような意味だそうです。
「宴梅の楚々と咲き薫るこの山麓に立ち、東を望み野田山の辺りに悠然と昇る朝日をとらえて、詠まれた句である。」

また、賀集八幡神社は、あわじ花へんろ 第三十六番「花の札所」となっています。
春祭りのころ、長い参道に沿って植えられた花咲く桜は美しいですからね~

賀集八幡神社 鳥居

賀集八幡神社へやってきました。

賀集八幡神社の長い参道

賀集八幡神社の長い参道

賀集八幡神社 拝殿

賀集八幡神社 拝殿

浩宮徳仁親王の御参拝記念碑

浩宮徳仁親王の御参拝記念碑

賀集八幡神社 芭蕉の句碑

賀集八幡神社 芭蕉の句碑

芭蕉句碑由緒書

賀集八幡神社 芭蕉句碑由緒書

賀集八幡神社境内の一角に八坂神社がありました。
wikipedia「八坂神社」には次のように書かれています。
八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社である。通称として祇園さんとも呼ばれる。7月の祇園祭(祇園会)で知られる。

八坂神社

賀集八幡神社の摂社 八坂神社

今回、境内を散策していて「八幡橋」と言うのを見つけました。
前述の兵庫歴史ステーションのホームページに書かれていた「めがね橋」のことのようです。
この橋は淡路で唯一の明治時代の文化遺産のようですよ。
橋の前に立てられていた説明板には次のように書かれています。

橋柱のなしのこのアーチ式の橋は、側面両側に鶴と亀を陽刻してあるので鶴亀橋とも呼ばれており、八幡村の豪農印部喜与門によって造立寄贈された。
当時重要官道に架かって八幡橋が出水の度に破損、交通の途絶する事を憂い、私財を投じて播磨の家島と小豆島から石を運び、津名郡の井高政吉を石匠として明治10年9月1日着工、工事日数137日、工数延べ1326人を要し明治11年1月17日落成した。
諸経費のうち、県からの下付金は67円91銭3厘で印部喜与門の負担は619円40銭5厘(当時の米価1石4円80銭)を要した。
この八幡橋も竣工後93年の昭和45年の改修で現在地に移転、明治の文化遺産として保存されている。
※総御影石造り 太鼓橋(めがね橋)
石工 江井浦井高政吉・井高金蔵
長さ 4間半(8.15m)
高さ 2間2合5厘(4.07m)
幅 2間半(4.53m)
(三原郡史より)
平成11年3月 南淡町教育委員会

アーチ式と書かれていますが、私が撮ってきた写真からは良く分かりませんね!
橋の横から見るとアーチ式になっているのがわかるのでしょう。

賀集八幡神社 八幡橋

賀集八幡神社 八幡橋

八幡橋 説明板

八幡橋の前に立てられていた説明板

追記)
私が見た八幡橋は、そんなに大きく見えませんでした。
「工数が1326人、工事日数が137日」と言うことは、10人が4ヶ月以上かけて造ったと言うことでしょうか?
明治時代、初めてのことで試行錯誤しながら造ったんでしょうね~
橋は綺麗に保存されているようですが、説明板が「南淡町教育委員会」って言うのは、どうなんでしょうね~
南談町が南あわじ市に合併され放置されているんでしょうかね?


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