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淡路島七福神 護国寺

淡路島周遊の旅 第三回」で護国寺に行きました。
護国寺は高野山真言宗の寺院であり、淡路島七福神の七番霊場になります。七福神の布袋尊が祀られています。

護国寺は賀集八幡神社長い参道の右横にあります。
このへんの理由として、護国寺は明治の神仏分離以前は、賀集八幡神宮の神宮寺であった為のようです。

護国寺は真っ赤な山門が目立ち、山門の両脇には立派な仁王像があります。
山門の前は駐車場となっており、駐車場横には「田中正平博士顕彰碑」があったります。
田中正平は地元の南あわじ市賀集地区出身の音響学・物理学者、鉄道技師です。

護国寺 山門と本地堂

護国寺 山門と本地堂

護国寺 山門

護国寺 山門

護国寺 山門の仁王像1

護国寺 山門の仁王像1

護国寺 山門の仁王像2

護国寺 山門の仁王像2

護国寺の境内に入ると正面には立派な本堂があります。
本堂の横には「瓦の布袋尊」があります。
「瓦の布袋尊」の横にある案内には次のように書かれています。
布袋尊、もとは中国の禅僧、名は契此(かいし)。
常に大きな袋をもっていた所から、布袋和尚の名で親しまれ、又
弥靭菩薩の化身とも言われる。
雪の中に寝ても雪は彼をぬらさなかったと言う。
日本では七福神の一つ、家内和合、平和の神としても人気を集めている。
この像は、人の世の悩み、苦しみをすべて腹の中にのみこんで貫いたいという願いをこめて、本堂の屋根替えを記念して、淡路島特産尾いぶし瓦で、昭和五十六年に作られた。
製作者は、西淡町松帆、亀井均氏である。

護国寺 本堂

護国寺 本堂

護国寺 瓦の布袋尊

護国寺 瓦の布袋尊

護国寺の真っ赤な山門の横には、本地堂があります。
本地堂は、平成八年四月に再建されたものです。
本地堂の正面にある3体の像は、平安時代、鎌倉時代に作成されたものです。

中央
 阿弥陀如来坐像
 平安時代後期の作

 毘沙門天像
 鎌倉時代の作

 不動明王像
 鎌倉時代の作

護国寺 本地堂

護国寺 本地堂

本地堂 3体の像

本地堂 3体の像

また、護国寺には国重要文化財の「大日如来座像」と、南あわじ市指定文化財(名勝)の「池泉回遊式の庭園」があります。
今回の淡路島周遊の旅では、「大日如来座像」、「池泉回遊式の庭園」共に写真は撮れていません。
もっとも、「大日如来座像」は国重要文化財ですから見ることも難しそうではありますが~
境内にある案内には「大日如来座像」、「池泉回遊式の庭園」について次のように書かれています。
本尊大日如来座像(木像丈94センチ)
両手をひざの上で重ねて禅定印を結ぶ胎蔵界の大日如来おだやかな作りになるもので、藤原和様の典型的な作品とされる円満具足の叡智と慈悲にみちたお姿である。平安時代後期の作で、作者は不詳
(明治34年8月2日)国重要文化財指定)

古庭園(池泉回遊式)
江戸時代初期の作庭、龍形の池と築山に枯滝を配し、出島に亀鶴蓬莱を表現している。力強い石橋および附近の護岸石組は巨石を用い号愛名桃山封の雰囲気がみなぎっている。

「大日如来座像」と「池泉回遊式の庭園」

「大日如来座像」と「池泉回遊式の庭園」についての説明板

また、護国寺の概要について、wikipediaより引用します。
京都の石清水八幡宮を開いた行教により開創されたと伝えられています。
明治の神仏分離以前は、賀集八幡宮の神宮寺であった。
賀集八幡と護国寺は、中世には淡路守護細川氏の庇護を受けていた。
至徳3年(1386年)の火災で焼失し、寛永8年(1631年)に再興された。
近世においては、阿波蜂須賀家の菩提寺であった。
等々。

いやはや!
みどころいっぱいの護国寺ですね~
私が賀集に住んでいたころは、この辺りは春祭りのある場所だけしか認識していませんでした。
神社もお寺の違いも何も考えていなかったな~
もっと自分の住んでいる地域の歴史などを知っておけば良かったと思います。

次回の記事は、護国寺と同じく賀集八幡神社参道の横にある「南淡町民俗資料館」についてです。


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