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純正調オルガンの発明 田中正平

淡路島周遊の旅 第三回」で「賀集八幡神社」へ行きました。

賀集八幡神社は南あわじ市賀集地区の布団だんじりの行われる神社として有名かもしれません。
しかし、この神社周辺には見所がいっぱいです。
その一つが「田中正平博士顕彰碑」があることです。

私自身、同じ賀集ですが「田中正平」については淡路島に住んでいる時は全くと言って知りませんでした。
でも、たまたま神戸の図書館で借りた本で彼を知ることとなりました。

wikipedia「田中正平」には次のように書かれています。

田中 正平(たなか しょうへい、1862年6月12日(文久2年5月15日) – 1945年(昭和20年)10月16日)は純正調オルガンを発明した日本の音響学・物理学者、鉄道技師。
■受賞
・1938年 – 朝日文化賞
・1910年 – 瑞宝章勲四等
■エピソード
・大隈重信は『早稲田清話』の中で、1901年(明治34年)伊藤博文がドイツでヴィルヘルム2世に謁見した際、「貴国の田中正平は今如何して居るか」と問われ、田中のことを知らないため答えられず、「田中は音楽の研究に於ては珍しい天才のある傑出した人物だが、それを知らぬのか」と続けて言われて赤面した、というエピソードを語っている。
・東京音楽学校のプリングスハイム教授が作曲した日本和声について、日本的でないという反論を行なったことがある。

ユーチューブに動画がありましたので貼ります。

今回の「淡路島周遊の旅 第三回」で撮ってきた「田中正平博士顕彰碑」の写真です。
顕彰碑はとても立派なものです。
「田中正平博士顕彰碑」は、賀集八幡神社の参道の右側にあります。
淡路島七福神の一つ「護国寺」の真っ赤な山門の正面の向かいに立っています。
次回は、その「護国寺」について記事にしたいと思います。

田中正平博士顕彰碑 1

田中正平博士顕彰碑 1

田中正平博士顕彰碑 2

田中正平博士顕彰碑 2

 

追記 2014年1月22日)
前述のヴィルヘルム2世についてです。
伊藤博文がヴィルヘルム2世に謁見し、ヴィルヘルム2世が田中正平のことを話されたのが1901年です。
この時、ヴィルヘルム2世は田中正平のことを「音楽の研究に於ては珍しい天才のある傑出した人物」と言ったと言います。
バッハ、ベートーベン、ブラームス、シューマン、メンデルスゾーンなど数々の音楽家を生んだ国の国王が田中正平を天才と言っているのですから凄いと思います。
良く調べてみると田中正平は21歳と言う最年少で東京大学理学部物理学科を首席で卒業しているそうです。
なるほどですね~

で、伊藤博文がヴィルヘルム2世と謁見した3年後に、日本とロシアとの間で戦争があります。日露戦争です。
日露戦争は日本の勝利となりました。
私自身は、ヴィルヘルム2世といえば「黄禍論」を唱えたドイツ国王と言う認識があります。
「黄禍論」は、昔のモンゴル帝国によるヨーロッパ侵攻の恐怖からくる白色人種の黄色人種脅威論です。
そして、日露戦争による日本の勝利でイギリスのジャーナリズムに「黄禍論」が頻繁に登場するようになりました。
フランス、ロシアなどに「黄禍論」が波及していったと言います。
ヴィルヘルム2世自身が最初に「黄禍論」を唱えますが、側近の意見を取り入れたものであり、彼自身が「黄禍論」を唱えた時は話題にもならなかったと言います。
明治時代以降、数々の日本人がドイツに留学していた為に日本人の優秀さにいち早く気付いていたのがドイツ人だったのではないでしょうか?
ヴィルヘルム2世の田中正平に対する認識にそれは出ていると思います。


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