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洲本城跡 Ⅰ

洲本八幡神社」でクスノキの巨木に出会った後、洲本城跡を見ました。
で、ちょっと疑問です。

洲本城には天守閣が残っているのだから「洲本城跡」はおかしいのでは?
洲本城についてwikipediaを見ていると国の史跡となっています。
そして、遺構は石垣、天守台、堀となっています。
天守閣は模擬天守と~
つまり、「現存する三熊山の天守閣は模擬天守である」、「実際の洲本城があったのは洲本城跡の部分でお城の建物は残っていない」から洲本城跡と呼ぶのが正しいと言うことでしょうか?

天守閣は模擬天守ですが、模擬天守としては日本最古のものだそうです。

洲本城跡は洲本八幡神社と大浜海岸の丁度中間地点にあります。
三熊山の緑をバックに見る洲本城跡の石垣はとても美しいです。
そして、石垣の周りを水を湛えた堀があります。
石垣の内には、今は洲本市立淡路文化史料館、洲本簡易裁判所、洲本区検察庁などがあります。
石垣の前には立派な「お登勢の像」もあります。
いやはや!
観光気分を最高に味わさせてくれるロケーションだと思います。

洲本城跡にやってきました

洲本城跡にやってきました

洲本城 天守閣

洲本城跡の石垣の内にあるのが洲本簡易裁判所です。
三熊山の上には洲本城の天守閣が見えます。
写真は、スマホのカメラで1倍で撮っています。
その為に小さく写っています。
しかし、肉眼で見ると大きいですよ!

洲本城跡前の「お登勢の像」

洲本城跡の前には、とってもりっぱな「お登勢の像」が建っています。
船山馨が庚午事変を小説にした「お登勢」の主人公の銅像です。

永田青嵐の句碑

洲本城跡の前に立つ永田青嵐の句碑です。
永田青嵐(せいらん)とは淡路島出身の政治家・永田秀次郎の俳号です。
永田秀次郎は明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚・政治家です。
関東大震災では東京市長として復興に尽力しました。

永田青嵐の句碑 説明板

永田青嵐の句碑 説明板

洲本城跡の前の通り

洲本城跡の前の通りです。
写真奥に洲本八幡神社があります。
手前側は大浜海岸です。

洲本市立淡路文化史料館の入口の門に「洲本城址」についての説明板が掛けられていました。
なるほどです。
「三熊山の天守閣のある城」、「ここ石垣のきれいな洲本城跡」、この二つは全く別物だそうです。
また、「由良にもお城があり」、これら三つの城は洲本の統治者の変遷とともにお城ができたと言うことのようですね!
この説明板の内容は淡路島の歴史にとって重要なものだと思いますので全文転載したいと思います。

背後の三熊山頂の洲本城は、戦国時代に安宅氏によって築かれ、羽柴秀吉の淡路攻めにより落城しました。
その後、天正13年(1585)から慶長14年(1609)まで洲本城主の脇坂安治(賤ヶ岳の七本槍の一人)により石垣が築かれ本格的な山城となりました。(平成11年国史跡に指定)
脇坂安治の異動後、岩屋城や現在の由良成ケ島にあった由良城が淡路統治の拠点となりました。
この山下の洲本城は阿波藩主蜂須賀氏が由良城を廃して寛永8年(1631)から寛永12年(1635)までに築いた平城です。(昭和58年洲本市史跡に指定)
同じ頃に城下町も移転され、これを「由良引け」と呼んでいます。
城(文化資料館)の向かいに蜂須賀氏筆頭家老の洲本城代稲田氏の屋敷がありました。

なーるほどですね!
で、稲田氏は洲本城代で洲本城の主とは言えないのですね~
明治維新後に起こる甲午事変の稲田氏は洲本城代なんですか?
稲田氏はお殿様と言えないとしても、洲本城の城主と理解していました。
ま、このへん微妙なところでしょうか?

洲本城址 説明板

洲本城址 説明板


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