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[87] 兵庫県農業試験場の沿革から、
日時: 2024/08/03 20:56
名前: エリスリナ・ガル ID:F61eFWqg メールを送信する

先程、やっと兵庫県(立)農業試験場50年史を閲覧することが、出来ました。
併設して農業高校?かな、も開設されていた、時期もありましたが、取り敢えず、問題の箇所を拾い読みをしてみると、九平が、1年間でアルゼンチンに渡る決意をしたことは、想像!でしかありませんが、その理由が判明しました。

ひとつは、大正6年当時には淡路島島内に、農事試験場の支場はまだ設けられていなかったこと、更に重要なコトとして、九平が就職した大正6年の頃から園芸部の縮小や廃止が問題となっており、九年に廃止されていた事です。

従って、九平は大正6年の間は淡路島で生活はしてないでしょう。しかし、渡航の裁可が下りて、12月に船の上のヒトとなるまでの間、神戸か両親の故郷で過ごしたか、住民票はまだ、当時はなかったのかな?一時的に転籍をしていたり。と言うことは考えられなくもない?コレも想像の域を出ませんが!!

そこで、やはり渡航許可申請書なり、関係書類が閲覧可能で、有れば解決に近づく様な気がします。また、九平は、昭和15年ともう一度、叙勲を受けているはずなので、当時の官報にも告示されている様な気がします。
以上は、誰でも確認出来る、手続きさえ判ればの話しですが
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九平の略歴を再度(亜国の花卉園芸)から見ると ( No.1 )
日時: 2024/08/04 00:21
名前: エリスリナ・ガル ID:5uFFGXEs メールを送信する

今、改めて『亜国の花卉園芸』の「追録」高市茂、賀集九平小傅の九平のページ(333)には、小文字で名前の右上に北海道と、あり、続いて、賀集九平、その左下にも小文字で、明治二十九年十二月十五日生と、有りますから出生地なり出身地とはワザワザ明記されていませんが、趣旨は出身地のコトだと思われます。
次に、略歴として、大正四年三月 秋田縣立秋田農学校本科卒業 大正六年三月 農林省興津園藝試験場に於いて、満二ケ年園藝學科専攻、とあり、ワシントンに贈ったサクラの苗木を生産した場所で、試験場で園藝學を学んだと、言うことですね。
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アルゼンチンへは、当初視察が目的だった様です? ( No.2 )
日時: 2024/08/04 01:53
名前: エリスリナ・ガル ID:Z8o9M7SY メールを送信する

次に、肝心なところです。
大正六年六月 兵庫縣立農事試験場技手拝命 翌年の、大正七年六月 亞國園藝視察のため旅券下附、同年十二月度亞 大正拾年九月 ブエノス・アイレス市内に於 て花卉園經營開始、爾来花卉並果樹園藝業に從事、と有ります。以下は昭和時代の経歴となります。
コレに拠ると、当初は視察が目的のようですから、移住は意識してなかった様ですね。だと、したら、国籍は日本のママで、としたら、どうなんでしょう?
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著作の履歴と、郷土史の記載の引用元は? ( No.3 )
日時: 2024/08/04 07:19
名前: エリスリナ・ガル ID:BulFvLxU メールを送信する

コレまでに閲覧したり、複写出来た賀集九平の履歴に関する資料をメモしておきます。
@北海道 賀集九平、明治29年12月15日生(亜国の花卉園藝)
 昭和16年10月31日印刷 同16年11月15日発行 日本人花卉園藝組合連合會
 なお、末尾の編輯を終へて には、前期編委輯員長が賀集九平で、後期は編輯委員6名の委員のひとりとして、名前が有ります。さらに、この編輯を終へての冒頭には、以下の様の通り ▲1938年12月24日、聯合會町長賀集九平氏の計畫による、この記念號の發刊のことが決定された。編輯委員は、委員長の賀集會長委員に高市茂、以下5名の名前があがっていました。

○昭和37年12月4日に名誉市民となりました。

➁賀集九平の『世界の日本ザクラ』は1976年(昭和51年)の出版で、このスレッドに著作者の経歴は書き込みどおりでしょう。

●三原郡史に?、から引用した、兵庫県海外(移住)発展史は昭和54年の刊でしたら、執筆者も編集者も注意していれば、最新刊の『世界の日本ザクラ』の奥付は確認できた、とは思いますが、ソコはやはり名誉市民の出身地と言うことで、地元賀集の地番をあげたのでしょうか、この辺りは定かでないので、言及は避けることとします。自著ないし自ら編集した図書は、本人の意識の現れ、経歴として尊重されても良いかと。
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改めて益習の集いの賀集與三郎を見ると! ( No.4 )
日時: 2024/08/04 20:48
名前: エリスリナ・ガル ID:bDUu1NDc メールを送信する

今一度、益習の集いのHPの賀集與三郎のところを読んでみると、明治23年かな、に夫婦で北海道へやってきて、3年、4年と住まいを転居を繰り返し七男一女をもうけた様です。三男の九平が生まれた明治29年にやっと開拓に目処が付いた時期に当ります。子沢山で農作業に追われる毎日だと、想像すれば、九平の履歴どおり生まれてから秋田の学校に通うまでは、出生地で過ごしたのが妥当の様に思われます。
また、あさんの情報どおり、三原郡史の引用元が、兵庫県海外発展史であるなら、ら、コレも正しいとしないと、名誉市民の受賞にも、問題が発生しそうな気がします。別項にあさんが南淡町の広報紙、2篇に拠れば事前に町長が度亞した上で、受賞の打ち合わせをして、町議会の議決を待って、決定したと考えるのが、だとうかなと、思い始めました。妄想と言えばソレまでですが。
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海外発展史の言う、転住と移住の違いは? ( No.5 )
日時: 2024/08/04 21:03
名前: エリスリナ・ガル ID:bDUu1NDc メールを送信する

引き続き、與三郎の最後の部分、例の専らのところデス。九平は亜爾然丁に留学中と、なっているのに気が付きました。職場の農事試験場の園藝部は縮小の論議の中の留学ですから、当初は移住が目的でなかったことが、この農業試験場50年史と與三郎の解説文から、判明しました。恐らく、戸籍上は日本人として過ごしているはずですね。アルゼンチンの国籍を取得したか、などはこの際無視して、続けたいと、思います。つい、先月の二重国籍やオリンピック、国体の『転住』が最近話題になりました。なんか、この辺が、この辺り、に問題点が見つかりそうな気がしました。
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個人的には解決しています。 ( No.6 )
日時: 2024/08/05 14:34
名前: 管理人 ID:.muJ.IX6

>この辺り、に問題点が見つかりそうな気がしました。

もうしわけないです!

今、何が問題なのか?

これが、ちょっとわからないところがあります。

個人的には解決しており、後は「淡路島ゆかりの有名人」又は「淡路島出身有名人」に載せるだけと思っています。


賀集九平氏は、淡路島から北海道へ移住した方の子孫。

特にアルゼンチンで大きな功績を残し、子ども達もアルゼンチンで大きな社会貢献をされている。
また、賀集九平氏は晩年、両親の故郷の淡路島で講演したり繋がりを持った。
南淡町名誉町民にもなった。


実際のところ賀集九平氏は淡路島で生まれている可能性も高いですが、「北海道生まれの北海道出身」でも「淡路島生まれの北海道出身」でも「淡路島生まれの北海道育ち」でも良いかなとーーー
注釈をつけると言うことで!

と言うことで、このあたりでこの話題はしめません?
これ以上は推測ばかりとなるような気もします。

追記)
名誉町民になった理由のところですが、「淡路島からアルゼンチンへの民間人の移住の貢献」、「淡路島出身者としてのアルゼンチンでの活躍」でしょうか?

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問題点が解決したのでしたら、良かったです。 ( No.7 )
日時: 2024/08/05 15:35
名前: エリスリナ・ガル ID:q4hhr0zw メールを送信する

そうですね、名誉市民の受賞の経緯も主な理由も判明しましたから、管理者としての判断、エビデンスが得られたのでしょうから。コレ以上の事は有りません。50年史の33ページには大正六年六月から七年二月までの9ヵ月在籍していた、様ですね。昭和15年の十年史や名誉市民になった後の著作も経歴には、北海道と自認されているし、一般には南あわじ市の出身として受賞を受け入れているので、その通りなのでしょう。ココに口を挟んでいると言うわけではないので、受賞理由や経歴の説明も、問題はないかと。だだ、南淡町を訪れてたのは、晩年では無く、翌年の春4月に来日して、全国の有名なサクラを訪問して、『世界の日本ザクラ』を出版されています。経歴と年譜を整理する必要は、ありますねね
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貴重な情報、たくさんいただけました ( No.8 )
日時: 2024/08/05 16:41
名前: 管理人 ID:.muJ.IX6

いろいろ、ありがとうございます。

貴重な情報をたくさんいただけましたよ。

エビータの話は、絶対に淡路島の人には知ってもらいたい。

「益集のつどい公式HP」から賀集九平氏が淡路島出身の方の三男と言うのを見つけだしたのも、さすがです。

国会図書館の必要性もわかりました。


追記)

他に何か面白い話題はないですか?
小泉八雲の話ですかね?
ここもエビデンスと特筆性さえあればーーー
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万国博覧会の全集?、かな出版されています。 ( No.9 )
日時: 2024/08/05 17:07
名前: エリスリナ・ガル ID:W94Z1/o. メールを送信する

今、準備をしていたところですが、何分、書き込みの言葉や内容から、全て根拠を添付しながら、話しを進めるのは紙面の都合や閲覧者の興味、関心が気になって、います。まだ、リンクのやり方が、チョット?ですね。
No.11かな?newがとれたので、ニューオリンズ博覧会のカタログ集の様なモノが出版されています。シリーズ本で4巻づつ、ウィーン博やロンドン等も有るようですが、やはり、ハーンの見た、ニューオリンズ博は、綿花の輸出100年を記念?とかのタイトルと、推薦文を八雲の孫の凡さんが…、検索してみて下さい。直ぐ発見出来るでしょう。
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ワクワク (^_-) ( No.10 )
日時: 2024/08/05 17:36
名前: 管理人 ID:.muJ.IX6

全て根拠は無理です。

最初は推測からかな?

ただ、推測時は読者の気持ちを配慮し慎重にと言うことじゃないでしょうか?

新しい情報、
ワクワクですよ!



リンクの仕方は、超簡単なのですが、もう一度参考のホームページをリンクしますね。

パソコンのコピペの仕方 5つのやり方
https://allabout.co.jp/gm/gc/50192/

右クリックでのコピペのやり方
https://allabout.co.jp/gm/gc/50192/#3
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賀集九平と武市茂の両輪で、花卉園藝組合が歩みだした? ( No.11 )
日時: 2024/08/05 20:40
名前: エリスリナ・ガル ID:bIUZR2wI メールを送信する

追記)の二点なんですが、アルゼンチン拓殖協同組合のHPとか、組織と歴代理事や組合長など、閲覧されてからの方がよろしいかと。九平は花卉園藝組合の活動をべースに、在アルゼンチン日本人会で武市茂会長に次いで活躍、実績を積み上げて来たようですから、ネットで検索すれば、見つかりますょ。全ての閲覧者に必要な、情報ではないので、リンクは止めておきます。
もう一つ、武市茂や池田?氏の愛媛県人の花卉栽培技術と技術者の連携プレイが重要なのですが、またの機会に、ボトマックのサクラにも関係してきますから。
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愛媛県からの移住者も協力して『花の都』が ( No.12 )
日時: 2024/08/07 14:16
名前: エリスリナ・ガル ID:v4DRoWtU メールを送信する

武市茂や池田謙蔵については、『愛媛の記憶』愛媛県生涯学習センターが参考なります。アルゼンチン同胞50年史には九平と共に花卉園藝組合や在アルゼンチン日本人会の記録が編まれているようですから。池田謙蔵は松山藩士で米国留学後に大日本農会を立ち上げ、三田育種場長を務め、子息は横浜植木でワシントンのサクラに関与していたらしい。アルゼンチン農業研究会や花卉園藝組合も武市茂と賀集九平の運営能力に拠る事は、『亜国の卉園藝』の中に溢れている。
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賀集九平が亜国に入国してからのアシドリ? ( No.13 )
日時: 2024/08/09 11:56
名前: エリスリナ・ガル ID:6q5KCi8I メールを送信する

武市茂と賀集九平がアルゼンティンへ着いてからの動向や園藝組合や拓殖協同組合については、JICA・国際協力事業団のオープンジヤイカレポートの年譜以降のページが参考になります、ょ。
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賀集九平の帰国報告は、ネットで閲覧出来ます。 ( No.14 )
日時: 2024/08/12 13:56
名前: エリスリナ・ガル ID:jPs9Wabg メールを送信する

ココで、司馬遼太郎流に言えば、余談と言う事になりますが、賀集九平の報告『国に使いして』が邦字紙、『亜爾然丁時報』に連載されていますので、興味のある方はコチラをご覧になると、九平のコトが良く解ります。しかし、戦争突入時の事ですから、その後については、また、別の自筆文章なり書籍をご覧ください。
まず、国際日本文化センターを検索して、『亜爾然丁時報』を選択すると、掲載された年次の次に、月日のカレンダーが出現しますので、該当の日をクリックすればOKかと、因みに、昭和16年3月12日から毎日連続掲載されてはいないので、他の記事も拾い読みしながら、読み進んでください。また、亜爾然丁時報と賀集九平の組み合わせでも、掲載された記事は読むコトが出来ます。ョ
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連載開始日の訂正。3月22日からでした。 ( No.15 )
日時: 2024/08/12 19:27
名前: エリスリナ・ガル ID:Mf1OFQnk メールを送信する

訂正、昭和16年3月22日から連載が始まっていました。12日→22日、ですが、その前の8月8日に壮行会が開かれて、アルゼンチン日本人会の代表として、盛大にお送り出されたものの、途中港の北米に着いたら何と日米開戦の報に接し、日本に着いてからの、慌ただしい日々が待ち受けていたようでした。連載の無い日でも、世界情勢を知るコトが出来ますので、一読を。
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九平の凱旋報告から、国花、国家を観る? ( No.16 )
日時: 2024/08/14 08:39
名前: エリスリナ・ガル ID:84AM/REA メールを送信する

凄い、展開になって来ました!ょ。国花の桜や菊を栽培してきて、数々の栄誉を日本人代表として、天皇皇后にお目にかかる栄誉に接したと、言う事ですから、日本に向う船上での思い、横浜港に着いて帰国した時の感慨も、ソコソコな、穏やかな日々は、待ってくれません。そうした中での、九平が企画した記念誌は編集長を池田氏に交代して出来上がった時には、世界情勢は一変していたのですから。
編集を終へて、に池田喜城が記している、『賀集氏の祖國観と、日亞花卉産業組合定款等は、時間的に齟齬があるが、貴重なものゆえ敢えて収録した。』とあるのは、また、興味深い事です。フゥ〜
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同姓同名の人物を区別するには ( No.17 )
日時: 2024/08/18 21:10
名前: エリスリナ・ガル ID:IsHkoDUA メールを送信する

図らずしも?管理者さんが、淡路島の有名人のトコロで触れておりました、同姓同名の問題点と、ダム事業(一般的な大規模公共事業)にコトに、脱線してしまいますが、やはり、触れて置いた方が良いかと、コチラに書き出して見ます。全国的に見れば、人口と姓名は各県に於いて均等に分布していないので、何とも言えませんが、同姓同名の場合、出生地なり出身地を付記することで、単純には50分の1となりますし、年齢(平均80歳と見なせば)も、付け加えれば50☓80で1/4000の確率で別人と判別できますね。生年月日が判明したなら、確実に知り合いか、どうかは判別可能となります。飛行機や船での乗船名簿に何処まで記載されているのかは、良くしりませんが、何らかの意味が有るのでは、と思ったりしています。戸籍や住民票で証明出来ることと、渡航書類に現住所と氏名、出身地を明記するのは、親族や関係者からの消息の問い合わせや海難事故なとを想定してのコトもあるのかな、と、思っておりましたから。戸籍を確認出来なくても、海外移住者なら、乗船名簿、ぐらいなら閲覧出来るだろうと、調べ方に付いて2度ほど述べたのは、この様に考えてのことでした。参考になるかは、自信がかりませんが?
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司馬遼太郎の余談の余談と、して ( No.18 )
日時: 2024/08/18 21:46
名前: エリスリナ・ガル ID:kJUBfup2 メールを送信する

もう一つ、公共事業については、必ずしも南淡町に当てはまると言う訳では、ありませんが、広島県の場合(原爆被害を受けたから?)だけでは有りませんが、海外移住者が最大の県だと、言われています。戦災復興事業の区画整理事業や耕地整理、また、大規模な道路や学校の建設など、戦後の復興期には用地買収が伴います。しかし、問題ななるのが海外移住者の財産整理とか、或いは出国してから所在、連絡先が不明の方がおられます。何とか事業者の市町村は昭和の合併時に計畫した合併建設計畫に(南淡町は昭和30年でしたか?)より、県や国から補助金を受ける為に努力されてきていたとは、思いますが、その様な、事例が全く無いとは言い切れ無いのかな?と。そこで、賀集九平が当事者とは限りませんが、淡路島、南淡町の出生者を探すお手伝いを日本人会の會長をされていた九平に、勿論、南淡町の花卉園藝の発展に協力をお願いして、名誉町民にも、と…
想像、妄想と言えばソレまでですが、町長がアルゼンチンまで出向いて協力をお願いしなければならない様な案件は、どうかと?地元では無いのでコチラとしては、何とも言えませんが、広島市では安佐動物公園を誘致した安佐町の関係者が渡米して共有林や財産区などの処理をされたと元園長から聞いたりしたことが有りましたから
 この辺は、3日程したら管理者さん、削除していただいて、構いません。
こう言う事例があったかどうかを、いちいち調べる意味は無さそうですから。
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兵庫県は国産ワインの先進地、でしたかね? ( No.19 )
日時: 2024/08/21 19:48
名前: エリスリナ・ガル ID:ijiRqW3E メールを送信する

少しまた、横道に逸れますが、賀集九平が技手として働くかなり前、明治13年でしたか、兵庫県の播州でしょうか、官営のブドウ園が開かれていた様です。No.12のトコロで、新宿御苑とか三田育種場の話題が有りましたが、その頃の話がです。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192692#:~:text=%E6%92%AD%E5%B7%9E%E8%91%A1%E8%90%84%E5%9C%92%E8%B7%A1%E3%81%AF,%E5%B9%B3%E5%9D%A6%E9%83%A8%E3%81%AB%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82

https://winart.jp/column/4006

兵庫県立農事試験場が明石城内に設立される以前の事ですかね?
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淡路島にもワイナリーが有るんですね。 ( No.20 )
日時: 2024/08/21 20:35
名前: エリスリナ・ガル ID:ijiRqW3E メールを送信する

追加、この春、に、淡路島でもワイナリーがオープンした様ですが
どちらに?
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調査中 ( No.21 )
日時: 2024/08/21 23:19
名前: 管理人 ID:C.R/aVZw

2箇所できるん?

淡路島ワイナリー
https://www.awajishima-winery.com/

Awaji Nature Farm「自然循環型ワイナリー」
https://winart.jp/45685#:~:text=%E3%83%91%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%A7%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6%E3%81%AB,%E5%B9%B4%E6%98%A5%E9%A0%83%E3%81%AB%E9%96%8B%E8%A8%AD%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82

https://awaji-naturefarm.com/

調査中です。


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観光地図 ( No.22 )
日時: 2024/08/22 00:54
名前: 管理人 ID:uoaTLVhg

wikipedia ワイナリー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%BC

淡路島情報館には「観光地図」と言うページを作っています。
淡路島の観光地をGoogleマップにしたものです。
淡路島情報館は、小さく余り有名ではないサイトだけれども、「公共性」「公平性」を大事に運営したいと思っています。

そうなると、wikipeda「ワイナリー」を見ると、淡路島に既にできているワイナリーも、これからできるワイナリーも淡路島情報館の「観光地図」のページに載せたい。
既に淡路島の酒蔵も載せていますしね!

また、ワイナリーは、観光農園に類似するものとも考えられる?
しかし、淡路島情報館の「観光地図」のページには観光農園を載せていません。
淡路島には観光農園がたくさんあるようで、
1箇所でも「観光地図」のページへの載せ忘れをなくしたいので、結局は観光農園を載せていませんでした。

でも、ワイナリーを載せて観光農園の載せないのは公平性の観点から、淡路島情報館のポリシーからありえません。

淡路島の観光農園を調べなくちゃ!


淡路島情報館 観光地図
https://awaji.kobe-ssc.com/tizu.html
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賀集三平も九平も津田、仙の影響下で? ( No.23 )
日時: 2024/08/25 14:56
名前: エリスリナ・ガル ID:Bb4AWUVs メールを送信する

少しばかり、寄り道にはなりますが、津田仙、梅子の父親ですが、ウィーン万国博覧会や播州葡萄園(園長の福羽は津田の生徒?)や北海道開拓使の赤心社とも繋がりが、ありそうなので、ココに貼り付けて見ます。

https://ksu.repo.nii.ac.jp/record/1549/files/AHSUSK_SSS_30_85.pdf 

コレを見ると、賀集九平の両親一家が北海道へ移住したり、農業雑誌を発行したり、また、万国博覧会の準備の段階から、a平焼を受け継いだ賀集三平のとの
繋がりも見えて来そうな気がします。

ナルトの、渦潮に引き込まれて、賀集三平の製陶工から博覧会の出品の経緯や九平が学んだ園藝学も津田仙の仕事の一角でしか、有りませんね。
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南あわじ市のアメリカデイゴの来歴も? ( No.24 )
日時: 2024/08/29 17:33
名前: エリスリナ・ガル ID:6lvOvjEs メールを送信する

一昨日、見つけた『農耕と園芸』季刊雑誌の最終号?を見ていたら、令和5年度の園芸学会の功労者に兵庫県の農林水産技術センター長が選出されておりまして、研究されたカーネンションの栽培技術の解説が有りました。
 なお、この方は淡路島の八木村?かな、農業試験場時代でしょうか?花卉園藝の技術向上に取り組んで来られた様ですから、九平と同じ様に南あわじ市の名誉市民のに推薦されたら、如何でしょう。

https://www.seibundo-shinkosha.net/magazine/science/87305/

 博士号を岡山大学から授与されていること、また、研究の相談をされた方が小西とありましたから、JICAの要請でアルゼンチンに指導に行かれた名誉教授でしたら、淡路技術センターに植えられているアメリカデイゴの来歴もご存知では、と思ったりしています。
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アメリカデイゴやサイカチも明治時代にデビュー ( No.25 )
日時: 2024/09/01 02:12
名前: エリスリナ・ガル ID:WwkWHDQs メールを送信する

 参考に、明治時代に導入された外国産の樹木の一覧が鹿児島大学から報告されていました。北海道の開拓時代、また、台湾や朝鮮からも日清戦争前後に導入されて、全国の林業試験場などで試験栽培に取り組んでいた、様です。

 https://core.ac.uk/download/pdf/144573385.pdf 
 
 因みに、アメリカサイカチ、アメリカキササゲ、アメリカデイゴも明治30年代には導入されていた、様です。 おリーブやユカーり、ヒマラヤスギなど当時はかなり珍しい果樹や有用樹木が大学の演習林に、植えられたのかな?
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兵庫県農業試験場の沿革の職員名簿から、 ( No.26 )
日時: 2024/09/14 13:06
名前: エリスリナ・ガル ID:cOy2mUw6 メールを送信する

兵庫県農業試験場沿革50年、33ページあたりに職員録が有りました。
九平は大正七年のところに、技手として採用されておりました。

 https://jpsearch.go.jp/en/item/dignl-1065897
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高峰譲吉と尾崎行雄が米国に贈った桜 ( No.27 )
日時: 2024/09/18 00:35
名前: エリスリナ・ガル ID:K4BhSBYI メールを送信する

九平が兵庫の農業試験場に入所する前の興津の園芸学校で2年
過ごした訳ですが、後年『世界の日本ザクラ』を出版する契機になったと、思われますので、高峰譲吉とポトマックの桜を紹介した記事を2篇 以下に

先ずはhttps://www.daiichisankyo.co.jp/our_stories/detail/index_6901.html

もう一つ
https://npo-takamine.org/who_is_takaminejokichi/private_diplomacy/sakura/
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賀集九平の略歴から、推定すると ( No.28 )
日時: 2024/09/21 03:40
名前: エリスリナ・ガル ID:AFa29AhM メールを送信する

先に賀集九平の略歴(『亞國の花卉園藝』p333)の続きをコチラに入れておきます。

https://photos.app.goo.gl/o9Lc2TwhCNR5sW2a6

https://photos.app.goo.gl/47nVGnf7wm9h5rTL9

昭和16年11月15日 ニッパル花卉産業組合の発行、ですが、335ページ中ほどに、
家庭は恵まれた人だ。恩田鐵彌博士の姪であられる夫人と、二男二女を持たれ長男はもう中学生の好い青年になられやうとしてゐる。
また、少し言葉を挟んで、賀集氏の四十六歳の若さである。と、ありますから、昭和15年の開戦前に原稿を書いているのでしょうから、長男は昭和27年には更に、12年、26か、27歳にはなっていると思われますが?
九平は明治29年生まれとありますから、1900年が明治33年、つまり、1896年生まれとしたら、昭和27年は1952年ですから、58歳かな?
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ポトマックの桜を贈った人物は? ( No.29 )
日時: 2024/09/24 16:23
名前: エリスリナ・ガル ID:c9Bql0QE メールを送信する

尾崎行雄の桜の話の真相が、出て来ました。

シドモアとタフト夫人、高峰譲吉と、色々言われて来たのですが、明治43年と45ねん、贈った人物(費用を負担した?)やアメリカに到着した経緯も詳しく述べられておりました。ポトマックの桜 先人たちの努力に感謝 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<22>(産経新聞)
#Yahooニュース
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/422298a8396e1e9dd7bae7ec722247ce337f84c3&preview=auto

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平和大通りのアメリカデイゴの花 ( No.30 )
日時: 2024/09/28 05:01
名前: エリスリナ・ガル ID:.SoPnXZ2 メールを送信する

ボトマックの桜は二度、明治末に送られていますが、病虫害に侵されていたので、全て償却されたとされています。その後、再度苗木を育成して、贈ったことが、前回の話の話題でした。

アルゼンチンの国花、アメリカデイゴについて5年前の写真が、出て来ましたので紹介します。

https://blog.goo.ne.jp/wakaran0918/e/b59ee57713a341181a1741e6105e4ce1
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高市茂や賀集九平達の足跡を辿れば ( No.31 )
日時: 2024/10/01 22:35
名前: エリスリナ・ガル ID:tWv1fb0o メールを送信する

どうやら、賀集九平や高市茂達か始めた、アルゼンチンの花卉栽培は、花卉園藝組合を大正時代に結成してから、1956年(昭和31年)の国際移住事業団を経て、JICAの花卉研究所に、発展していた様です。

https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/11832060_01.pdf
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