掲示板
| | スレッド一覧 | 新規スレッド作成 | ワード検索 | 概要 | |
|
スレッド [12] |
はじめまして。突然の書き込み申し訳ありません。
私は、北海道に住んでいる賀集(がしゅう)と申します。
実は、私の先祖のことをいろいろ調べており
昨年の11月と今月淡路の方へ行ってきました。
私の曽祖父の戸籍謄本を取り寄せ、私の本家に当たる所から
出てきた家系図などを照らし合わせ、淡路に行き情報がないか
探している所です。
そんな中、この掲示板を見つけ拝見させて頂きました。
これからも、拝見させて頂くと思いますが、よろしくお願い致します。
いらっしゃい。(^_^)
ホワイトキャットさん。
こちらこそよろしくお願いいたします。(^_^)
やはり、北海道には洲本からだけでなく南あわじからも移住しているようですね。
新ひだか町の姉妹都市が洲本市、南あわじ市、徳島県美馬市で、南あわじ市と姉妹都市の理由が何かありそうです。
賀集(かしゅう)は地域の名前の一つで、賀集さんと言う方も南あわじに多い名前のようです。
ただ、私自身は学生時代を通じて賀集さんには一人もあったことはありません。
掲示板では、何でも楽しい情報をお待ちしています。
北海道の情報もありましたら、どしどし投稿していただいてかまいません。
よろしくお願いします。(^_^)
ホワイトキャットさん。
こちらこそよろしくお願いいたします。(^_^)
やはり、北海道には洲本からだけでなく南あわじからも移住しているようですね。
新ひだか町の姉妹都市が洲本市、南あわじ市、徳島県美馬市で、南あわじ市と姉妹都市の理由が何かありそうです。
賀集(かしゅう)は地域の名前の一つで、賀集さんと言う方も南あわじに多い名前のようです。
ただ、私自身は学生時代を通じて賀集さんには一人もあったことはありません。
掲示板では、何でも楽しい情報をお待ちしています。
北海道の情報もありましたら、どしどし投稿していただいてかまいません。
よろしくお願いします。(^_^)
私の祖父は、旧三原郡歌集村から、明治19年に北海道三石郡へ移住しまして。祖父は、薮田岸次郎。その父は、薮田重蔵。祖母は、旧姓松井マサ、父は松井春蔵で、八幡村の人です。三年程前に、何か手がかりを求めて南あわじ市へ行きましたか、戸籍も見つからず、親類も見つからず仕舞いでした。この投稿で、何か解ったらと思い書いて見ました。
薮田さん
洲本で起きた甲午事変だけでなく、南あわじからも多くの人が北海道に移住したようですね。
確かな情報ではありませんが、私の実家(賀集福井)近くからも200人ほど移住したと聞いたことがあります。
ただ、私の学生時代を通じて南あわじ市賀集で薮田さん、松井さんにあったことはありません。
今までどのぐらいの方が淡路島から北海道に移住したのかわかれば、このスレットに書いてみたいと思います。
洲本で起きた甲午事変だけでなく、南あわじからも多くの人が北海道に移住したようですね。
確かな情報ではありませんが、私の実家(賀集福井)近くからも200人ほど移住したと聞いたことがあります。
ただ、私の学生時代を通じて南あわじ市賀集で薮田さん、松井さんにあったことはありません。
今までどのぐらいの方が淡路島から北海道に移住したのかわかれば、このスレットに書いてみたいと思います。
淡路から北海道移住
掲示版に投稿したところ、ご返事をいただきました。ありがとうございます。
南あわじ市からは、数多くの方々が移住しております。特に新ひだか町に多く
南あわじ市と姉妹提携をしています。移住した動機や、当時は鉄路が無く、
移住するための交通機関は、どうだったのか知りたいものです。
掲示版に投稿したところ、ご返事をいただきました。ありがとうございます。
南あわじ市からは、数多くの方々が移住しております。特に新ひだか町に多く
南あわじ市と姉妹提携をしています。移住した動機や、当時は鉄路が無く、
移住するための交通機関は、どうだったのか知りたいものです。
薮田様、最近ら浦河町から
北海道の移住の歴史を解説されたものが、目に入りました。
どの様に、交通手段が無いにも関わらず移住地に辿り着いたのかの疑問には、答えが見つかりそうです。赤心社を通じてではないにしても、何度か兵庫県からの移住者は、いたようですから。
https://www.town.urakawa.hokkaido.jp/gyosei/culture/?content=269
別項に、赤心社の当時の神戸本社?、本店かな、を掲載してみようと思います。
北海道の移住の歴史を解説されたものが、目に入りました。
どの様に、交通手段が無いにも関わらず移住地に辿り着いたのかの疑問には、答えが見つかりそうです。赤心社を通じてではないにしても、何度か兵庫県からの移住者は、いたようですから。
https://www.town.urakawa.hokkaido.jp/gyosei/culture/?content=269
別項に、赤心社の当時の神戸本社?、本店かな、を掲載してみようと思います。
神戸の船関係の道具屋かな?
https://photos.app.goo.gl/wccviGi7vb688s446
淡路島や多度津行の発着は、リンクがトリブルで、閲覧出来ませんデシタね
https://photos.app.goo.gl/7oXuDsLQjhBgfPPU9
https://photos.app.goo.gl/wccviGi7vb688s446
淡路島や多度津行の発着は、リンクがトリブルで、閲覧出来ませんデシタね
https://photos.app.goo.gl/7oXuDsLQjhBgfPPU9
賀集與三郎と安田権兵衛の記録の出典が長い間不明でしたが、北海道開拓功労者事績からの引用だったコトが分かりました。洲本の益州館の集いグループはまだ活動を続けられているとした、ななにか、浦河町と繋がりが、交流があれば、ホワイトキャットさんの先祖探しも手掛かりが掴められるのだろうと思われますが、2013年と、10年以上前の話デスから何とも言えませんね。
しかし、與三郎の北海道開拓移住が明治18年であれば、賀集九平やまた、賀集三平の東京進出と日本郵船に次いで株式会社として再出発した淡陶社の話も何となく時代背景から、理解出来そうですから。
開拓功労者事績を張り付けておきます。
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1054833?page=7&keyword=%E8%B3%80%E9%9B%86%E8%88%87%E4%B8%89%E9%83%8E
18コマに與三郎、21コマに権兵衛の記事がありました。
しかし、與三郎の北海道開拓移住が明治18年であれば、賀集九平やまた、賀集三平の東京進出と日本郵船に次いで株式会社として再出発した淡陶社の話も何となく時代背景から、理解出来そうですから。
開拓功労者事績を張り付けておきます。
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1054833?page=7&keyword=%E8%B3%80%E9%9B%86%E8%88%87%E4%B8%89%E9%83%8E
18コマに與三郎、21コマに権兵衛の記事がありました。
No.3に200人も移住した処もあったら、当時600程度の人口だった村では、ソレは大変な出来事だったでしょう。大師屋の様な商店や庄屋も、商売は上がったり、珉平窯の窯焚き人夫とか、移住したのなら、地場産業もかなりの打撃があったのでは。
そのあたりを三原郡史から、もう一度、読み返しした方が良さそうです。
賀集九平の両親が北海道に移住した背景と、凱旋帰国した九平の講演をきいて、南米の地を踏んだした人達の現在は、九平親子の国交回復と講和条約の演説をしたアルゼンチン政府のひと言から、始まったとも、言えますから。(^_^)
この掲示板から、戦後の歴史を塗り替える話を拡げて行けれは良いかと思います。
そのあたりを三原郡史から、もう一度、読み返しした方が良さそうです。
賀集九平の両親が北海道に移住した背景と、凱旋帰国した九平の講演をきいて、南米の地を踏んだした人達の現在は、九平親子の国交回復と講和条約の演説をしたアルゼンチン政府のひと言から、始まったとも、言えますから。(^_^)
この掲示板から、戦後の歴史を塗り替える話を拡げて行けれは良いかと思います。

