広瀬勝平と丹羽礼介、赤松麟作は美術学校の同級生でした。 ( No.10 ) |
- 日時: 2025/06/20 19:40
- 名前: エリスリナ・ガル ID:vPvYL.y2
- 特筆性や公平性とか、に付いては、何も言えません。
最近亡くなった倉敷の高階大原美術館の管長が、まだ、西洋近代美術館の時代に美学・美術史の 集中講義を受けたぐらいの知識しか、有りませんから。 渡辺盈作の同僚の図画教師、林茂久次・梅渓を調べての話ですから、 金尾文淵堂の二階に出入りしていた、丹羽黙仙(礼介)と赤松麟作、ソシテ広瀬勝平の三人は黒田清輝の画塾でも、また、明治29年に開校した、東京美術学校に進学した、一期生だそうですから。 なお、赤松麟作は及第点で西洋画科には入学出来なくて、日本画科に拾われて、その後西洋画科に転科して、同級生となった様ですね。丹羽礼介は卒業した形跡がないものの、金尾種次郎の出版した『ふた葉』や『小天子』に口絵や挿絵、表紙を描いていることは、石塚純一の『金尾文淵堂をめぐる人びと』に詳しく述べられています。 東京の美術学校を卒業したばかりの若い画家ならではの仕事であったのでしょう。
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