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[87] 兵庫県農業試験場の沿革から、
日時: 2024/08/03 20:56
名前: エリスリナ・ガル ID:F61eFWqg メールを送信する

先程、やっと兵庫県(立)農業試験場50年史を閲覧することが、出来ました。
併設して農業高校?かな、も開設されていた、時期もありましたが、取り敢えず、問題の箇所を拾い読みをしてみると、九平が、1年間でアルゼンチンに渡る決意をしたことは、想像!でしかありませんが、その理由が判明しました。

ひとつは、大正6年当時には淡路島島内に、農事試験場の支場はまだ設けられていなかったこと、更に重要なコトとして、九平が就職した大正6年の頃から園芸部の縮小や廃止が問題となっており、九年に廃止されていた事です。

従って、九平は大正6年の間は淡路島で生活はしてないでしょう。しかし、渡航の裁可が下りて、12月に船の上のヒトとなるまでの間、神戸か両親の故郷で過ごしたか、住民票はまだ、当時はなかったのかな?一時的に転籍をしていたり。と言うことは考えられなくもない?コレも想像の域を出ませんが!!

そこで、やはり渡航許可申請書なり、関係書類が閲覧可能で、有れば解決に近づく様な気がします。また、九平は、昭和15年ともう一度、叙勲を受けているはずなので、当時の官報にも告示されている様な気がします。
以上は、誰でも確認出来る、手続きさえ判ればの話しですが
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愛媛県からの移住者も協力して『花の都』が ( No.12 )
日時: 2024/08/07 14:16
名前: エリスリナ・ガル ID:v4DRoWtU メールを送信する

武市茂や池田謙蔵については、『愛媛の記憶』愛媛県生涯学習センターが参考なります。アルゼンチン同胞50年史には九平と共に花卉園藝組合や在アルゼンチン日本人会の記録が編まれているようですから。池田謙蔵は松山藩士で米国留学後に大日本農会を立ち上げ、三田育種場長を務め、子息は横浜植木でワシントンのサクラに関与していたらしい。アルゼンチン農業研究会や花卉園藝組合も武市茂と賀集九平の運営能力に拠る事は、『亜国の卉園藝』の中に溢れている。
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