江戸末期の江戸で生まれ、東京育ちの盈作は? ( No.14 ) |
- 日時: 2024/08/09 19:34
- 名前: エリスリナ・ガル ID:.6FpVqgQ
- お盆も近い事ですから、盈作の出生地と出身地に付いて少し触れておきます。トコロが、盈作の両親が不明と言うか、出自が判っておりません。盈作が大阪府の八尾中学でしたか、市岡中学に提出したとされる自筆の履歴書には徳島藩士で、江戸屋敷で生まれ、玉藻学校に通い、創設されたばかりの農学修学所で獣医科で学んだと、ホシザキ野生生物研究所報告で井山明・野津幸夫両氏の詳細な年譜が整理されていますが、遊佐万之助が同居人として、淡路島の洲本十八番屋敷とだけ一番最初に記載されているのが、唯一の手掛かりとなっています。
賀集九平の様に、日高町史?のような詳しい資料は今のところ見つかっていません。江戸時代に江戸で生まれ、十四、五歳まで過ごしたのなら東京の出身と見なすべきでしょうが、盈作は徳島藩士の子息ですから、徳島県(藩)の出身と自認している様です。厄介な事に、淡路島の洲本では明治3年の五月に稲田騒動、庚午事変が起きていますし、翌年には廃藩置県により、徳島県となる訳ですが、この庚午事変が元で、徳島県から名東県を経て淡路島は、最終的に兵庫県に移管されて、しまうことは、皆さんご存知の、コトでしょうから、敢えて詳しい説明は不要でしょう。 しかし、県名が変わり、生活の場は江戸から東京と変わりましたが、一体全体、出身地は?何処になるのか、と言う問題が提起されそうです。
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