掲示板

スレッド一覧 > 記事閲覧
[92] 大谷は洲本中学から教師の道を
日時: 2024/09/08 00:48
名前: エリスリナ・ガル ID:jZT8uexc メールを送信する

高田方壺・近蔵を調べようとしていたら、何と、ハーンの一番弟子の大谷が教師の第一歩を淡路島の洲本から印していた、様です。

 大谷正信の一番弟子が後の、高田蝶衣らしいと、兵庫県大事典に掲載されておりました。なお、詳しくは、No.85の渡辺えい作のNo.5辺りをご覧になると、八雲、子規、漱石とまた、京都や仙台での学友・友人として高浜虚子や河東碧梧桐がおりますし、子規の養子となった忠次郎は中原中也とも…
メンテ

Page: 1 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成
スポンサードリンク

淡路島の方壺は、備前国日比村の金蔵かな ( No.14 )
日時: 2025/01/03 13:00
名前: エリスリナ・ガル ID:0I5PIz1Y

一茶の十六日桜から始まった、淡路島の方壺?
高田近蔵の事ですが、正月休み中ですが進展が少し有りました。

https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/record/5585/files/KJ00004038044.pdfhttps://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/record/5585/files/KJ00004038044.pdf

札幌大学の梅原達治先生が『勧世丸水主金蔵 エソ地ヲロシア見聞帰朝話』の解説をされていて、最後のトコロに、詳細は不明の様ですが、隠居した嘉兵衛と共に、淡路島で過ごしたのでは無いかと、触れておりました。

俳人方壺として、俳句を詠んだり、したことは分かりませんが
、司馬遼太郎の『菜の花の沖』の金蔵は確かに、帰国した後は淡路島で過ごしたのは確かなようですから。
メンテ

Page: 1 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成
題名 タイトルは次の画面で設定してください
名前
E-Mail 入力時 メールを送信する からメールを受け取れます
URL
パスワード (記事メンテ時に使用)
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
コメント

   クッキー保存