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[88] 賀集三平の足跡と万国博覧会
日時: 2024/08/08 23:08
名前: エリスリナ・ガル ID:S7YrlIJQ メールを送信する


賀集三平について、コチラで少しばかり話を進めたいと、思います。内容は徳島藩の官窯を引き継いだ三平が淡陶社の設立まで、何をしていたのか?をメインに、主軸に、ウィーン万国博覧会からニューオリンズ博覧会まで、ちょうど明治17年と時期的には同調していますが、その後は良く判りませんが、明治28年に東京諸営業員員録かな一名、買い物手引きに同名の三平の名前が登場しますから、この辺を話題にしたいと、考えています。
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賀集三平の事は殆ど、記録が残ってないのでしょうか? ( No.2 )
日時: 2024/08/10 21:08
名前: エリスリナ・ガル ID:Uvq/9BAg メールを送信する

ネット検索では、雑報◯淡路焼創業者賀集a平傳として閲覧出来る様になりましたが、リンクを未だに貼付け出来ません。もう少し、チャレンジして見たいと思います。なお、別件で、ウィーン万国博覧会に出品する、物件を探しに元徳島藩士でしょうか?高鋭一が淡路島に渡ったコトが出てきました。また、ウィーン博覧会の事務局雇いとなとったワグネルは田村久兵かな、オノコロ焼に関わっていたと、言うのも有りました。賀集三平かウィーン博覧会に淡路焼焼六点を出品し、博覧会デビューを飾ったことは、別稿で触れて置きました。徳島藩の官窯と淡陶社、のちに株式会社となり、現在のタイルメーカーのダントーに繋がっていることは、何処にでも触れられているものの、陶工としての作品や博覧会の出品作は何処かの博物館や美術館に収納されているのでしょうが、一品作品ではない工業製品としての小皿や食器など、は型押しの大量製品として生産・流通したからこそ淡陶社製品となって、表舞台からは、三平の名前は埋もれてしまったのでしょうか?
伝統的な焼き物産地として、家内工業や同業他社と陶芸組合を結成して、継続発展してきた他の産地とは、日本で二番目に会社組織として発展・成功して現在に至るタイル・建材メーカーの歴史、淡路島独特の歴史があったのでは、ないかと、そこが知りたいと、a平焼、淡路焼やオノコロ焼?、そして瓦の産地とどの様は位置、を村から町、そして南淡町を経て南あわじ市の門外漢ですが、少しづづ右往左往しながら、辿って行きたいと、思います。
 そもそもの発端は、別稿の渡辺(遊佐)盈作の著作を探してからのことです。
新宿御苑内に開校された農業修学所の獣医科の同級生には、広島県の七塚原種畜、場の初代場長功刀(クヌギ)や丹下ほか、下総の御領牧場や新ひだか町にも官営の牧場が開かれているようですから、何か関連した、何かがあるはずだと思っています。
万国博覧会だけでなく、内業博覧会や共進会等の牛や馬の品評会など、また、酪農も淡路島には深い関係が、ありそうだと、エビータのセイボを尋ねる中で、もう少し知りたいと。賀集九平の件は皆さんのお陰でソロソロ収束しそうですから、管理者の方ももう少しお付き合いをお願いします。
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