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[91] 賀集九平も三平の話は終わりそうなので
日時: 2024/09/06 06:27
名前: エリスリナ・ガル ID:z0/vWFRY メールを送信する

 余談の余談が長くなりすぎて、閲覧者も管理者も少し混乱されているようなので、項を改めてしばらく続けたいと、思います。
 切っ掛けは、渡辺えい作の同僚として小泉八雲の話から怪談の十六日桜を紹介しました。また、えい作は平瀬与一郎とも縁が、有りそうだと最近気付きましたので、平行して、先日書き込みしています。
 そして、『怪談』の中の「乳母(姥)桜と十六日桜」は実在する、実在した桜として信州の俳人、小林一茶が訪れて逗留したのが、松山近郊の伊予松前(町)
造り酒屋、庄屋をつとめていた樗堂の所でした。
 2回も伊予松山の十六日桜を見る為?だけで旅をした訳ではないとは思いますか、一茶の残した日記を紐解けば良いのですがここでは、スルーします。
 ところで、信州から四国安行の旅なら淡路島も通過しているハズと想像して、探して見ますと、一茶事典にあわぢ島を詠んだ句が幾つか紹介されておりました。また、淡路の高田方壺(近蔵)から、金一歩を添えた揮毫の依頼の手紙が送られ来た、と詳しい説明は有りませんが、何らかの繋がりは有った事は窺えました。
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高鋭一は陶工の三平の弟子だとは ( No.36 )
日時: 2025/09/29 08:09
名前: エリスリナ&ガル ID:Zs4UM5zg メールを送信する

やはり、高鋭一と賀集三平は本当に師弟関係であったのかは、自身が無いのですが、
はい、高鋭一(高雲外)は、明治政府の勧業寮(かんぎょうりょう)に出仕し、1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会への日本参加に関与しました。
彼の明治維新後の経歴は以下の通りです。
* 勧業寮への出仕と万博への関与
* 廃藩置県後、徳島藩の蘭学教授だった高鋭一は上京し、政府の役人となりました。
* 彼は大蔵省や、後に内務省へ移管された勧業寮に出仕しました。
* 勧業寮は日本の産業振興を担った部署であり、明治政府として初の正式参加となったウィーン万国博覧会の準備・実施に深く関わりました。彼は出品物の選定や事務手続きに携わったとされています。
* その後の経歴
* その後、内務省、さらに農商務省などに出仕し、殖産興業(産業の育成)に尽力しました。
このように、蘭学教授や陶工として活躍した高鋭一は、明治維新後、政府の中枢で日本の近代化、特に国際的な産業振興の舞台においても重要な役割を果たしました。

こんな答えが、返って来ました。新たな展開が有りそうです。
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