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[88] 賀集三平の足跡と万国博覧会
日時: 2024/08/08 23:08
名前: エリスリナ・ガル ID:S7YrlIJQ メールを送信する


賀集三平について、コチラで少しばかり話を進めたいと、思います。内容は徳島藩の官窯を引き継いだ三平が淡陶社の設立まで、何をしていたのか?をメインに、主軸に、ウィーン万国博覧会からニューオリンズ博覧会まで、ちょうど明治17年と時期的には同調していますが、その後は良く判りませんが、明治28年に東京諸営業員員録かな一名、買い物手引きに同名の三平の名前が登場しますから、この辺を話題にしたいと、考えています。
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やはり、渡邊清太郎は関西で ( No.41 )
日時: 2026/01/08 03:34
名前: エリスリナ&ガル ID:pzE7UQZc メールを送信する

やはりAIの答えには、注意が必要でした。
年末の渡邊清太郎の経歴は、福井県の日本画家と混同しておりました。
しかし、年末に清太郎が大阪で活動していた事が、3件出て来ました。

明治42年の記録、浅井忠の黙語会誌と黙語会員録には、大阪での住所も掲載されておりました。

また、東京の図書館では見当たらなかった、印刷大観や銅版画変遷史なとの記載が、大阪では2件出て来ました。
まだ、ハッキリはしていませんが、清太郎が東京で2冊の商工名鑑とタウンガイドの編輯を終えて、京都の平安遷都1100年記念の京都の勧業博覧会に参加した後は、矢張り大阪に活動拠点を移していた様です。


賀集三平はその頃は、どうしていたのかも、今後の課題デスが。
メンテ

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