宮地勝夫と津田正夫同盟通信支社長 ( No.44 ) |
- 日時: 2025/10/30 07:52
- 名前: エリスリナ&ガル ID:7P7nu8P6
- 津田正夫さんは、戦時中は同盟通信のブエノスアイレス支社長だったようですし、年齢的には賀集九平と同年代であったようです。幾つかのエッセイやファーブルの研究者として、何度かフランスの自宅も訪ねて本も出版されています。
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そこで、気付いたのが、昭和26年の4月7日のアルゼンチン公園の初報の記事に何故、公園の提唱者や組織、団体名が見当たらないのかが、ずっと不思議デシタ。今、思えば、普通なら、直接広島市長に問い合わせを、と、思われますが、邦字紙の亜国日報社長の宮地勝夫氏から、同盟通信の配信記事と言う形で中国新聞社に配信されたものが、掲載されたと、考えられます。 また、当時、亜国政府からは日本人戦争被災者救恤委員会の解散を法律で要請されていたのですから、広島建設部会とかの名前を使う訳には行かなかったのかも、しれません。 だから、主体の無い、不自然な記事とずっと思っておりました。 また、宮地社長も当事者のひとりでしょうから、淡路島の出身としか、帰属を明らかに出来なかったのでは、なかったかと、思います。6月には、解散と同時にがんす会が親睦団体として発足、コレまでに集まった寄付金は、救援物資の購入ではなく復興建設資金として、直接広島市に届けられたのは、ソレナリの理由があったと、思われます。
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