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[91] 賀集九平も三平の話は終わりそうなので
日時: 2024/09/06 06:27
名前: エリスリナ・ガル ID:z0/vWFRY メールを送信する

 余談の余談が長くなりすぎて、閲覧者も管理者も少し混乱されているようなので、項を改めてしばらく続けたいと、思います。
 切っ掛けは、渡辺えい作の同僚として小泉八雲の話から怪談の十六日桜を紹介しました。また、えい作は平瀬与一郎とも縁が、有りそうだと最近気付きましたので、平行して、先日書き込みしています。
 そして、『怪談』の中の「乳母(姥)桜と十六日桜」は実在する、実在した桜として信州の俳人、小林一茶が訪れて逗留したのが、松山近郊の伊予松前(町)
造り酒屋、庄屋をつとめていた樗堂の所でした。
 2回も伊予松山の十六日桜を見る為?だけで旅をした訳ではないとは思いますか、一茶の残した日記を紐解けば良いのですがここでは、スルーします。
 ところで、信州から四国安行の旅なら淡路島も通過しているハズと想像して、探して見ますと、一茶事典にあわぢ島を詠んだ句が幾つか紹介されておりました。また、淡路の高田方壺(近蔵)から、金一歩を添えた揮毫の依頼の手紙が送られ来た、と詳しい説明は有りませんが、何らかの繋がりは有った事は窺えました。
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渡邊清太郎は賀集三平の共同出版人 ( No.44 )
日時: 2025/12/18 06:57
名前: エリスリナ&ガル ID:Bo5gHq0A メールを送信する

No.88の賀集三平と万国博覧会の項で、もう新しい発見も無さそうですなので、
打ち切りとしましたが、その端から、新たな話題が、新事実と言うか、新展開が
有りましたので、こちらにて、続けます。

賀集三平が東京に出た経緯は、もう触れています。
また、明治24年頃から30年頃には、東京芝区桜川一番地で、東京諸営業員録と
東京町名明細集を編集した、渡邊清太郎のこの2冊の一手発売元として
この2点の奥付に、清太郎も賀集三平も名前が連記されておりました。

30年代以降の清太郎と三平の行方と言うか、営業活動が不明でしたので、ずっと
気になっておりましたが、どうやら渡邊清太郎は東京に出るまでは、大阪の春水堂
で銅版画彫刻師として暮らしていた様です。

https://www.morikinseki.com/kinseki/douhanga.htm

そして、三平が金彩の焼き付けに挑戦して、横浜に移転した頃に、渡邊清太郎は
大阪に戻り藪明山の工房で銅版画彫刻師に戻り、大阪薩摩焼の銅版画下絵の技術を
伝えて、原画作成をしていのだろうと思われます。

それが、森琴石のレポートから、判明しました。

春水派門人の日本画家の渡邊清太郎と、あるこの清太郎が、三平の元で2冊の
タウンガイドを編集した、本人だろうと思われます。
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