渡辺盈作は高鋭一の影響で博物教師に ( No.67 ) |
- 日時: 2025/12/03 03:27
- 名前: エリスリナ&ガル ID:XaIAil9k
- また、振り出しに戻る様な話となりますが、
八雲の同僚だった渡辺盈作が当初は獣医学を学んだのに、 後に、博物の検定試験を受けて、理科教師になったのかが、 疑問でしたが、コレを見て納得しました。
29_237.pdf https://share.google/nedF3V8XRVkDTbFTA 福島義一の阿淡産物誌の項
チョットややこしい、時代背景がありそうです。 別項で、賀集三平の淡路焼とウィーン博覧会へ出品して受賞したコトは、 触れましたが、三平に作品の出品を依頼したのは、恐らく、高鋭一であったのダロウと、 思われます。 と言うのは徳島県ではなくて、名東県、当時は淡路島が徳島県と香川県や高知県も一時的では有りましたが、含まれていた様です。 高鋭一は、ウィーン博覧会に出品する展示物を探す過程で、阿讃産物誌にであったと、有ります。平賀源内の著作では無いと思いますが、讃州高松藩には魚類図譜が残されていますから、 本草学者であった高鋭一は、後に水産関係の書籍や解説書、図譜を編集しています。 盈作は徳島藩士として江戸で生まれて、幼少時代を過ごしたのなら、高鋭一の影響は、考えられます。 廃藩置県と庚午事変、稲田騒動と分県と変わりつつある激動の時代ですから、何とも言えませんが、賀集三平と平瀬與一郎や渡辺盈作など淡路島出身者が高鋭一と繋がっていたのは、本当に驚きました。
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