平瀬與一郎と平瀬信太郎 ( No.1 ) |
- 日時: 2012/01/20 18:46
- 名前: 土狸 ID:cOUHB846
- 平瀬與一郎
1881年(明治14年)に同じ淡路国の名族賀集家出身の賀集やすと結婚。
この平瀬與一郎と賀集やすとの間に生まれたのが平瀬信太郎だと思います。
平瀬信太郎
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小学校「の頃 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/01/20 19:21
- 名前: 管理人 ID:B2DkbTZQ
- 土狸さん
貴重な情報、ありがとうございます。
今の賀集公民館があった賀集中学校のあたりから、 福井に向かって川沿いに大きな敷地に大きな建物跡 のような廃墟がありました。
小学校の頃の不思議な思い出です。 ひょっとすると有名な賀集一族の住まい跡 なのかもしれません。
100年ぐらい前の地図があれば解決するんですが!
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昔の写真 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/01/21 00:45
- 名前: 管理人 ID:sxYLK9wo
- 南淡路市役所のホームページで、写真家の野水正明さんが昭和27年から昭和50年代に撮られた写真を公開しているようです。
私も保育園以前に一度だけ乗ったことがある淡路鉄道の写真なんかもありました。
懐かしくてせつないです。 
https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/soshiki/jyouhou/shashinkan.html
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馬車 ( No.4 ) |
- 日時: 2018/09/26 14:57
- 名前: 管理人 ID:ZS9SM0AI
- 小さい頃、阿万に少しいた事があります。
瓦屋さんがたくさんあり、瓦の土も掘り出していました。 かすかですが、馬がそれらを運んでいた記憶もあります。
南あわじ市のホームページでは、その頃の写真も紹介 しています。 写真は阿万ではなく津井の写真だそうです。
もっともっと、昔の淡路島の写真が見たいですね。 
https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/soshiki/jyouhou/syasinkansigoto5.html
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賀集家と欅田家 ( No.5 ) |
- 日時: 2012/01/21 08:43
- 名前: 土狸 ID:GfkZ8ERs
- 淡路陶業の精華
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00058704&TYPE=HTML_FILE&POS=1
これを見ると賀集家は賀集の出ではなく阿万発祥のようです。 a平焼で有名な賀集a平が北阿万伊賀野の生まれだそうです。
淡路焼関連年表 http://www.hijiriya.com/minpei_1.htm
ダントーの前身となった淡陶社はa平の親族の欅田善次郎と息子の欅田善九郎が設立したそうです。 賀集家と欅田家は親戚同士ということなのでしょう。
淡路焼関係者表 http://www.hijiriya.com/minpei_2.htm
a平の母親が欅田家の出のようです。
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賀集の田中家 ( No.6 ) |
- 日時: 2012/01/21 08:56
- 名前: 土狸 ID:GfkZ8ERs
- 国の登録有形文化財(建造物)田中家住宅主屋の庭
http://gardens.seesaa.net/article/88068121.html
賀集の田中家は淡路島にタマネギ栽培を広めた田中万米や純正調オルガンを発明した田中正平などを輩出した淡路島でも屈指の名家だそうです。
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とりあえず ( No.7 ) |
- 日時: 2012/01/25 19:44
- 名前: 管理人 ID:12JxqSnM
- wikipediaの「淡路島」のページの出身有名人に賀集喜一郎と賀集a平をとりあえず追加しました。

wikipediaの個人のページは作成していません。 
とりあえずと言うことで〜
淡路焼とかa平焼ででも、wikipediaに詳しい方がおられたら載せて欲しいところですね。 
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すごく良いですね。 ( No.8 ) |
- 日時: 2018/09/26 15:04
- 名前: 管理人 ID:ZS9SM0AI
- a平焼の紹介サイトがありましたのでリンクを貼ります。
なんか、色使いがすごく良いですね。
http://kottoupedia.com/minpeiyaki/
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田中家と奥浜家 ( No.9 ) |
- 日時: 2012/01/26 18:18
- 名前: 土狸 ID:CY5KInZE
- 日経新聞に樋口季一郎の記事
http://goukazunari.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-d48f.html
このブログを見ると田中家(賀集)の田中正平と奥浜家(阿万)の樋口季一郎は遠縁に当たるようです。
田中家も奥浜家も江戸時代に廻船問屋として栄えた地主の家系ですのでその関係でしょう。
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樋口季一郎 ( No.10 ) |
- 日時: 2012/01/26 18:38
- 名前: 土狸 ID:CY5KInZE
- http://blog-imgs-24.fc2.com/i/m/p/imperialarmy/higuchi001.jpg
ところで若い頃の樋口季一郎はなかなかの男前ですね。
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たしかに ( No.11 ) |
- 日時: 2012/01/26 20:03
- 名前: 管理人 ID:ehRUoeYM
- たしかに、樋口季一郎は男前ですね。

田中さんと言えば、同級生に田中さんが一人いました。 ひょっとして、関係あるのかも? とか思ったり〜 
話は変わりますが、Googleで「賀集喜一郎」で検索すると、 当掲示板の記事が2番目に表示されています。 1番目がAmazonです。 数日前に書いた掲示板の記事が早くもGoogleにINDEXされ、検索順位も2番目とは、 Googleのすごさに感動もします。 
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樋口季一郎 ( No.12 ) |
- 日時: 2012/01/26 23:09
- 名前: 土狸 ID:CY5KInZE
- http://goukazunari.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/12/22/save0011.jpg
因みに樋口季一郎の妹さんのちよのさん。 これまた美人さんです。
賀集の田中さんで豪邸に住まわれてたら間違いなく田中家の方だと思われます。
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洲本高校選抜出場おめでとう ( No.13 ) |
- 日時: 2012/01/28 01:06
- 名前: 管理人 ID:Y1y.mDmE
- 賀集でも、私は福井側なので良く知りません。
今思うと、小学生の時のクラス分けは地域で分けていましたね。
しかし、洲本高校の選抜出場が決まりましたが、これで甲子園出場は何回目だろう? 一度選抜で優勝しているし。 洲本実業や津名も甲子園に出てますよね。 それに引きかえ、我が三高は〜 南あわじからサッカーでは良い選手が多くでているのにね!
夏はがんばれ!
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洲本 ( No.14 ) |
- 日時: 2012/01/28 15:34
- 名前: 管理人 ID:huAKrvM.
- 洲本市役所でも昔の画像を紹介しているようです。
明治時代の写真もあるようです。
http://www.city.sumoto.hyogo.jp/hp/oldphoto/index.html
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地主さん ( No.15 ) |
- 日時: 2012/02/09 18:58
- 名前: 管理人 ID:2HfPObB.
- 私が小さい時、小学校の帰り道に福井の川沿いにあった廃墟は何だったのか?
母親に電話で聞いてみました。
やっぱり、大きな屋敷があり、何人もの人を使う大地主だったようです。 名前は知らないようでした。 ただ、賀集一族ではないと言います。 私の母親は阿万出身なので詳しくはなく、正確な情報はないようでした。
昔って、どこの地域でも大きい庄屋さんてあったんでしょう。
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くたばれ愚連隊 ( No.16 ) |
- 日時: 2012/02/11 14:43
- 名前: 管理人 ID:.nuThAD2
- とても大きくて、何か財閥家族が住んでいた屋敷跡のようでした。
廃墟になっていました。 私は学校の帰り、その前の道を通る時は、その空間は違う世界に感じました。
その大きな廃墟は何んだったのか? 答えらしいものを書いたWEBが見つかりました。 スマートフォンでネットサーフィンをしていて見つけました。 (ネットサーフィンって言う言葉は古い?) 
やはり、その廃墟は賀集一族の一人である賀集新九郎の屋敷跡のようです。 賀集新九郎は、現在の淡路交通の前身の淡路鉄道の創設者です。 この屋敷は、なんと3500坪もある敷地だと言います。 しかし、その屋敷は1965年に全焼し、現在は外塀しか残っていないようです。
私は、この外壁の横の道を通って学校へ行き来したりすることもありました。 今は外塀しか残っておらず、中は森になっているようです。 私が小学校の時は中に入れた記憶があります。
そして、この賀集新九郎邸で、映画のロケも行われたこともあるようです。 1960年の日活映画「くたばれ愚連隊」です。 原作が、なんと原健三郎です。 な、なるほど! 
参考のホームページです。 http://koji128.web.fc2.com/roketi/kutabare/gurentai.html おまけ映像の注釈の中で屋敷の外塀の写真が載っていますが、まさしくあの前の道です。
また、「くたばれ愚連隊」の動画がYouTubeにありました。 このビデオのシーンは賀集新九郎邸で行われたようですね。 淡路鉄道まで映ってます。 http://www.youtube.com/watch?v=Ns0ldvsGxCM
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淡路の資産家達 ( No.17 ) |
- 日時: 2012/02/11 17:57
- 名前: 土狸 ID:zeDKIJgQ
- 恐らくa平焼で財を成した賀集一族で賀集新九郎の父親でもある賀集隆造が福井に居を構えたのでしょうね。
隆造の弟の賀集寅次郎も鐘淵紡績の前身である淡路紡績の創立にその名を列ねています。
明治中期の淡路紡績関係史料 (一 ) http://web.pref.hyogo.jp/pa13/documents/000123137.pdf
賀集寅次郎は、福井村の人、三原郡長から収税長まで昇任、退官後淡路紡績の創立、運営にかかわった。 福良町長にも就任。
と資料に書いてあります。
因みに淡路紡績その他の発起人も名家出身の御仁達です。
藤江章夫は、広田村の出身、三原郡長を務めた後、淡路紡績取締役。 大阪南区綿屋町にも住み大阪アルカリ社長、その他汽船、水力発電、鉄道業に関係した。
佐野助作は、物部村の人。 阿波藩組頭庄屋の家柄、民権運動にかかわり第一回衆議院議員選挙に自由党から出馬当選、以後三期議員を務めた。 淡路紡績の監査役に就任。洲本町長在職中病没。 「淡路の西郷はん」の称。
鈴木三郎は、仁井村の人、津名郡長で三原郡長を兼任。 発起人中最も高齢の天保三年(一八三三)生まれ。 地域開発に尽力し「土木郡長」の名で呼ばれた。
奥野小四郎は、洲本町の人、県会議員を務める。 のち北海道に移住し、帯広町長にも就任。 衆議院議員として第二回の補選と第八回総選挙で当選。 立憲政友会に属した。
藤江章夫 大阪アルカリ(石原産業の前身、大阪アルカリ事件で有名)
佐野助作
鈴木三郎 仁井村出身とのことなので幕末の国学者の鈴木重胤と同じ家系の出身だと思われます。
奥野小四郎 後に帯広市となる帯広町の初代町長さんです。
以上です。
他にも伊藤聴秋の子である伊藤重義や東京控訴院検事長を務めた吉益俊次の名もあります。
伊藤聴秋
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訂正 ( No.18 ) |
- 日時: 2012/02/11 18:10
- 名前: 土狸 ID:zeDKIJgQ
- 間違えました。
天保三年(一八三二) 1832年でした。
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文化財として ( No.19 ) |
- 日時: 2012/02/11 18:33
- 名前: 管理人 ID:.nuThAD2
- 土狸さん
いろいろ新情報、ありがとうございます。  なにか、頭の中のモヤモヤが取れた気がします。
元町の賀集書店、a平焼、田中家、淡路鉄道〜 次から次にでてくる淡路島の歴史に驚くと同時に誇らしく思ったりしています。
賀集新九郎なんかもwikipediaに載せるべきだと思いました。 あの賀集新九郎邸跡の塀も淡路の文化財として残す価値があるように思いますね。
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賀集一族の出自は一体? ( No.20 ) |
- 日時: 2012/02/11 20:42
- 名前: 土狸 ID:zeDKIJgQ
- 賀集一族が北阿万伊賀野から賀集福井に移る辺り案外
賀集に出自があるのかも知れませんね。 やはり戦国武将の賀集盛政と関係があるのかも知れません。
藤江章夫 ここには播磨出身とありますが正しくは広田の出身ですね。
伊藤聴秋 ここには淡路島出身とだけありますが正しくは洲本の出身です。
吉益俊次 wikipediaでは書かれてみませんが由良の出身です。
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