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[100] 淡路島ゆかりの有名人 名馬のテスコガービーとイシノアラシの生産牧場は淡路島出身者の子孫が開いた牧場みたい
日時: 2025/01/25 05:30
名前:
管理人
ID:ElA./Dp6
国立国会図書館デジタルを見ていました。
1976年に日本中央競馬会より出版の「蹄跡 昭和50年度」と言うタイトルの本があります。
ここに淡路島から北海道に移住者した方が開いた牧場を二つ紹介していました。
福岡巌牧場と荒井牧場です。
そして、
なんと
福岡巌牧場は、1975年のオークス馬「テスコガビー」の生産牧場です。
テスコガビーは何度も聞いたことがある牝馬の名馬じゃないですか?
「蹄跡 昭和50年度」によると、福岡家の祖は明治18年に淡路島から法華宗徒三十三戸と共に入植した福岡清太郎で、福岡巌氏は三代目なんだそうです。
国立国会図書館デジタルコレクション 蹄跡
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441176/1/11?keyword=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6
優駿 テ未来に語り継ぎたい名馬物語 48 テスコガビー
https://www.yushunweb.jp/story/story48/2337/
wikipedia テスコガビー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%AC%E3%83%93%E3%83%BC
そして、そして、
なんと
荒井牧場は、1975年の有馬記念馬「イシノアラシ」の生産牧場です。
この1975年と言う年は、競馬会は淡路島ととてもゆかりのある年だったようです。
荒井牧場の牧場主は荒井シゲコさんで、実家は明治年間徳島県淡路島から入植した農家であったとあります。
wikipedia「イシノアラシ」を見ると、
すがやみつる原作の漫画「ゲームセンターあらし」の主人公・石野あらしの由来は、イシノアラシから来ているんだそうです。
国立国会図書館デジタルコレクション 蹄跡
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441176/1/62?keyword=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6
wikipedia イシノアラシ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B7
wikipedi ゲームセンターあらし
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%97
もう少し調べたうえで、当時の牧場主の方を「淡路島ゆかりの有名人」のページに掲載できればと思います。
追記)
「蹄跡」と言う本は何年かに渡って出版されているようです。
昭和50年度以外の本もちらっと見てみたのですが、
他にも、淡路島から北海道に移住した方が開いた牧場が紹介されており、あの名馬の生産牧場でした。
良く調べたうえで、当時の牧場主の方を「淡路島ゆかりの有名人」のページに掲載できればと思います。
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あの 伝説の名馬シンザンの武田文吾調教師の父親は淡路島出身かも?
( No.1 )
日時: 2025/01/28 06:28
名前:
管理人
ID:nuyLymkQ
な、
なんと
あ、
あの
伝説の名馬シンザンの武田文吾調教師の父親は淡路島出身かも?
今、国立国会図書館デジタルを読んでいます。
今、しばらくお待ちください。
国立国会図書館デジタル 騎手・福永洋一「奇跡への挑戦」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441267/1/28?page=left&keyword=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6%E3%80%80%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E8%B3%9E
国立国会図書館デジタル スポーツ界の教祖たち
https://dl.ndl.go.jp/pid/12143464/1/119?keyword=%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%96%87%E5%90%BE%E3%80%80%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6
wikipedia 武田文吾
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%96%87%E5%90%BE
wikipedia シンザン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%B3
競馬の5冠馬・シンザンなどの調教師で知られる武田文吾氏の父親は淡路島出身みたい
( No.2 )
日時: 2025/01/30 06:18
名前:
管理人
ID:Rbcki4lw
競馬の5冠馬・シンザンなどの調教師で知られる武田文吾氏の父親は淡路島の出身みたい。
武田文吾調教師は、5冠馬・シンザンの他にも、2冠馬コダマや牝馬2冠馬ミスオンワードなどの名競走馬を育てています。
また、栗田勝や福永洋一などの名騎手も育てています。
wikipedia「武田文吾」を見ると、尾形藤吉とともに「東の尾形、西の武田」と並び称された名調教師とあります。
そして、人馬両面において中央競馬、とくに関西地区の競馬の発展に大きな足跡を残し、2004年に日本中央競馬会の調教師顕彰者に選出され、殿堂入りしたとあります。
こんな名伯楽な武田文吾の父親が、なんと淡路島出身のようです。
国立国会図書館デジタルをみていて発見しました。
しかし、こんな有名な方、それも、特に関西で活躍した方の父親の出身地が淡路島であると言うのを、今まで聞いたことも見たこともありません。
なんで?
1980年代に、PHP研究所から出版された2冊には「父親は淡路島出身」とあります。
けっこう最近ともいえるし、なんで話題にならなかったのだろう?
この2冊はまちがい?
いやいや、出版社はPHP研究所ですよ。
2冊の該当部分を転記します。
ただ、書かれている内容が微妙に違うのは気になります。
★タイトル 魔力の男 : スポーツ界の教祖たち
著者 徳丸壮也
出版者 PHP研究所
出版年月日 1982.10
https://dl.ndl.go.jp/pid/12143464/1/119?keyword=%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%96%87%E5%90%BE%E3%80%80%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6
武田は、一九〇七年(明治四〇年)、北海道石狩国江別村大字篠津に生まれた。父は淡路島出身の屯田兵で、明治七、八年頃この地に入植した。
開拓した田畑は二十五町歩にも広がっていたが、土地は泥炭で・・・
★タイトル 騎手・福永洋一「奇跡への挑戦」
著者 木本正次
出版者 PHP研究所
出版年月日 1985.4
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441267/1/28?keyword=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6%E3%80%80%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E8%B3%9E
父は淡路島の出身で、十代の明治初年に、地元の稲田藩の稲田黒兵衛が率いる開拓団に家族ごと加わって
、北海道に渡ったものだという。適地を求めて転々して、落ち着いたのが篠津であった・・・
良く整理したうえで、「淡路島ゆかりの有名人」のページに掲載できればと思います。
wikipedia 武田文吾
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%96%87%E5%90%BE
淡路島情報館 淡路島ゆかりの有名人
https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
YouTube動画 シンザン 1965年有馬記念
https://youtu.be/b3PE2jgl48s
1976年度の桜花賞とオークスの牝馬二冠に輝いたテイタニヤの生産牧場も淡路島からの移住者の子孫が開いた牧場
( No.3 )
日時: 2025/02/13 20:02
名前:
管理人
ID:km5OdeGU
1976年度の桜花賞とオークスの牝馬二冠に輝いたテイタニヤ。
このテイタニヤの生産牧場の池田正義氏も先祖が淡路島からの移住者の様です。
日本中央競馬会優駿編集部より、1977年8月に出版された「蹄跡 昭和51年度」によると、前年のテスコガビーの生産牧場の福岡巌牧場と同じく明治18年に淡路島からの移住者なのだそうです。*1
池田正義牧場、福岡巌牧場の両家とも3代目で、池田頼枝さんと福岡巌氏がいとこ同士なんだそうです。
2年続けて同じ淡路島からの移住者の子孫が開いた牧場の生産場が桜花賞とオークスの2冠馬を生んだことになります。
国立国会図書館デジタル 蹄跡 昭和51年度 22ページ
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441177/1/14?keyword=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6%E3%80%80%E7%AB%B6%E9%A6%AC
wikipedia テイタニヤ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%A4
*1 「蹄跡 昭和51年度」の国立国会図書館デジタルの登録データの出版日が「1972年8月」になっています。完璧なデータ入力ミスです。昭和51年(1976年)の競馬の結果を記した本の出版日が「1972年」なら、馬券を買って大儲けできます。
そんなわけで、「蹄跡 昭和51年度」の巻末を見てみると、発行日が昭和52年8月31日となっていました。昭和51年の競馬の結果が翌年の8月に本として出版されたと言う事です。
国立国会図書館デジタル 蹄跡 昭和51年度 巻末
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441177/1/91?keyword=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6%E3%80%80%E7%AB%B6%E9%A6%AC
追記)
牝馬のテイタニヤが二冠を取った昭和51年は、競馬の黄金世代の登場となっています。
牝馬(ひんば)はテイタニヤですが、牡馬(ぼば)はトーショーボーイ、テンポイント、グリーングラスを生んでいます。
特に関西馬のテンポイントは、その後は競馬ファンを超えた人気となりました。
クラシック3冠です。*2
さつき賞の1着はトウショ―ボーイ、2着はテンポイントです。
国立国会図書館デジタル 蹄跡 昭和51年度 26ページ
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441177/1/16?keyword=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC
ダービーの1着はクライムカイザー、2着はトウショ―ボーイです。
国立国会図書館デジタル 蹄跡 昭和51年度 48ページ
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441177/1/27?keyword=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC
菊花賞の1着はグリーングラス、2着はテンポイント、3着はトウショ―ボーイです。
国立国会図書館デジタル 蹄跡 昭和51年度 70ページ
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441177/1/38?keyword=%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E8%B3%9E
そして、そして、4歳馬と5歳以上の古馬の有力馬が出そろった有馬記念は、1着が4歳馬のトウショ―ボーイ、2着も4歳馬のテンポイントとなりました。
同じ4歳で牝馬のテイタニヤも5着となっています。
この時の4歳馬が、競馬の黄金世代なのが明らかになりました。
国立国会図書館デジタル 蹄跡 昭和51年度 116ページ
https://dl.ndl.go.jp/pid/12441177/1/61?keyword=%E6%9C%89%E9%A6%AC%E8%A8%98%E5%BF%B5
wikipedia テンポイント
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88
wikipedia 中央競馬クラシック三冠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E4%B8%89%E5%86%A0
*2
競馬のサラブレッドの年齢の数え方について、JRAのホームページには次のように書かれています。
従来は数え年で数えられていたが、2001年度から、国際化の一環として、数え年から満年齢に変更された。 生まれた年を0歳と数え、その馬が生まれた年の1月1日から年齢を起算する。
JRA
https://www.jra.go.jp/kouza/yougo/w335.html#:~:text=%E5%BE%93%E6%9D%A5%E3%81%AF%E6%95%B0%E3%81%88%E5%B9%B4%E3%81%A7%E6%95%B0%E3%81%88,%E3%81%8B%E3%82%89%E5%B9%B4%E9%BD%A2%E3%82%92%E8%B5%B7%E7%AE%97%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82
淡路島情報館
この投稿では、当時の年齢の数え方に従って年齢を記述しています。
当時、4歳と書いているのは、現在の数え方では3歳になります。
競馬のクラシックは、当時は4歳馬の重賞レース、現在の3歳馬の重賞レースになります。
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