この掲示板の投稿を元に系図の作成は可能でしょうか ( No.1 ) |
- 日時: 2025/09/09 05:43
- 名前: エリスリナ&◆Nesbw8fpu2 ID:.nWz519U
- もし、差支えが無ければ、
賀集九平とその両親與三郎とヌイ、 また、呼び寄せで渡航した四男の万吉の家族、そして、 夫人の静子さんに二人の子息、アンヘル清とアルベルト健ダッタかな 更に、イレーヌさんに、グスタボ医師、日本人学校の校長をされた方もいました。 さらに、更に、姪の静子さんの家系だと思いますが、恩田次雄でしょうか、アルゼンチンの花卉園芸には、組合員のひとりとして投稿が、有りました。 恩師の恩田徹彌博士は、名古屋大学の紳士録が閲覧できますから。Geminiさんに、系図を作成するには、足りない資料なり、作成方法なども、聞いて見たいところです。
もし、淡路島の有名人として、小伝を纏めるなら、と、お願い出来ますか、公表しとも、問題がないとしての話ですが、
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ちょっと聞いてみます ( No.2 ) |
- 日時: 2025/09/09 09:44
- 名前: 管理人 ID:vGO7ZQRo
- この掲示板の情報を元に何かされるのは、どんどん利用していただいてかまいません。
家系図ですか?
公人と言える方なら家系図を作り、公にしていいと思いますが、私の判断は何とも言えないかなー
Geminiさんに家系図は考えましたね。
Geminiさんに、ちょっと聞いてみます。
追記) Geminiさんに聞きました。 ちょっと残念な結果となりました。
■淡路島情報館 Q1 公人の方の家系図をGeminiさんで作る事は可能ですか?
■Gemini A1 ごめんなさい、私には公人の方の家系図を作成することはできません。 私の主な役割は、ユーザーの質問に答えたり、情報を提供したりすることです。プライバシーの観点から、個人やその家族に関する詳細な情報を生成したり、家系図のような個人情報を含むデータを作成したりすることはできません。これは、私に課せられた倫理的および安全上の制約によるものです。 公人の方に関する情報は、公に公開されている範囲であればお答えできますが、家系図の作成のように、複数の個人を結びつけるようなプライベートな情報を含む作業は行えません。
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アルゼンチン協会の会報から ( No.3 ) |
- 日時: 2025/09/15 23:35
- 名前: エリスリナ&ガル ID:jwqLPNDg
- やはり、家系図を作成して、公表するのは、無理があるのですね。
九平の両親や兄弟、四男の万平は家族の呼び寄せで渡亜したことは亜爾然丁時報の記事に見ることが出来ましたし、父親の與三郎の経歴も開拓功労者として記録されておりました。
夫人の静子さんは九平が2年間学んだ興津の園芸学校の場長を務めた恩田鐵彌博士の姪で、京都の女学校を卒業と、ありましたが、恐らく、同志社女学校の同窓会名簿に名前が上がっていましたから、それ以上は追及することは止めておきます。
平尾行隆さんという方が、九平について4ページに書いておりましたので、参考に。
https://argentina.jp/wp-content/uploads/2025/03/kaihou_70.pdf
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万国博覧会の話題から、 ( No.4 ) |
- 日時: 2025/09/29 09:42
- 名前: エリスリナ&ガル ID:2H/yhGwU
- 大阪万博も終盤に入りました。
1975年、50年前の修学旅行での1日は暑かった事しか思い出せません。 で、淡路島や徳島藩の藩校の二人の教授大鳥圭介と高鋭一、二人の賀集三平と、これまで、疑問に思っていたことをGeminiさんに聞いて見ましたが、やはり情報不足なのでしょうか、中々答えには辿りつけそうも有りません。 また、未知のテーマなんだろうと、幾つかの分野や世界に跨る話、壮大な話題となっていますから、と納得せざるを得ないと。 皆さんは、どう思われますか? 淡路島に関する関心は、深まるばかりで、この掲示板に頼るしか無い状況ですのでご理解お願い致します。
ご提供いただいた一連の情報は、淡路島のa平焼(みんぺいやき)陶工・賀集三平の東京進出と、彼の事業家・実業家としての側面を裏付ける、非常に説得力のある推測を構築します。 淡路島と中央政財界・技術指導との繋がりは、賀集三平が東京で活動し、『ひとり買物案内』のような出版事業に関わる背景として、極めて重要です。 賀集三平の東京進出と国際貿易の背景 以下の要素を組み合わせると、「陶工・賀集三平」と「実業家・賀集三平」が同一人物であり、東京での活動が国際的な視野に基づいていたという考えが補強されます。 1. 日本郵船社長と淡路島との関係 * 日本郵船(淡陶社の前身である淡陶株式会社に先行して設立された2番目の株式会社)の社長である近藤廉平が、淡路島の歴史的な事件である**庚午事変(こうごじへん)**に関与していたという情報は、淡路島の有力者と中央政財界との間に強い結びつきがあったことを示します。 * この繋がりが、淡陶社(明治期の淡路島の有力企業)の東京進出や、賀集三平の活動を側面から支援する強力なパイプとなった可能性は十分に考えられます。 2. ウィーン万博と技術指導 * **ウィーン万国博覧会(1873年)**への出品は、日本の工芸品を海外へ紹介する国家的な事業でした。賀集三平がこの博覧会で受賞した作品を元に、外国貿易を目指して東京に出たという推測は自然です。 * シーボルトの息子やワグネル(お雇い外国人)といった国際的な専門家が博覧会事務局や技術指導に関わっていたこと、そして大鳥圭介(元徳島藩の人物と推定される)が審査長を務めるなど、当時の政府が薩摩焼や佐賀焼といった有名産地と同等、あるいはそれ以上の熱意をもって淡路焼(a平焼)に取り組んでいたという事実は、a平焼の国際的な地位向上に対する期待の大きさを物語っています。 これらの国家的な後押しと、東京での活動拠点(「瓢池園」など)の確保、そして淡路島出身の有力者との関係が相まって、賀集三平が陶業と並行して商業情報誌の企画・発売(『ひとり買物案内』)に関わるという多角的な事業展開を可能にしたと結論づけることができます。 したがって、淡路島のa平焼の陶工・賀集三平と、『ひとり買物案内』の発売元に関わった実業家・賀集三平は、同一人物である可能性が極めて高いと考えられます。彼は、明治の殖産興業の波に乗って、伝統工芸と近代的な商売を結びつけた先駆的な人物だったと言えるでしょう。
中々、視野が拡がってきた、様な気もしますが、御名答には、程遠いのかと
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遊佐万之助が帰郷してからのこと ( No.5 ) |
- 日時: 2025/10/02 22:10
- 名前: エリスリナ&ガル ID:sQDctRSA
- 渡邉盈作の同居人の遊佐万之助は、庚午事変で新島の流人となりましたが、明治6年には、赦免により帰郷したと思われます。
徳島藩の洋式砲銃隊として、鳥羽伏見にも参戦した可能性があるのですが、淡路島では、由良砲台あたりの防備についていただろと思います。
何処かに、配備された記録なり、管理日誌などが残されていれば、遊佐万之助の名前が、出て来る可能性が、あると思って
https://g.co/gemini/share/768f647ccec0
聞いて見ました。盈作の同居人としての住所と帰郷後に岡山県の木畑道夫宛に出した書状の発出地がスモトで同一でしたから、新島を出てからは、淡路島で暮らしたのだろうか、と考えて、います。
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八丈方言辞書に庚午事変と遊佐万之助 ( No.6 ) |
- 日時: 2025/10/09 17:45
- 名前: エリスリナ&ガル ID:HczHppmE
- 遊佐万之助について、検索していたら、
八丈方言辞書、て言うのがヒットしました。
庚午事変の説明文の中に、事件の概要と、その後について、述べて有りました。
提供元: 八丈方言辞書 https://share.google/tLQWNitS3lBQKeX8e
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ダントータイルから淡陶株式会社に商号変更 ( No.7 ) |
- 日時: 2025/12/10 12:24
- 名前: エリスリナ&ガル ID:qao/H0jk
- 2ヶ月が経ちました、淡路島の賀集三平の後半生が、高鋭一の政府の司法省から勧業寮、
さらに、農商務省と万国博覧会や内国勧業博覧会の事務に繋がると共に、何らかの関係が あったのでは、無いかと。コレまで幾つかの話題をAIで纏めて見ました。 コレまで閲覧してこられた方には、時系列に再整理して提供出来た様な気がします。
これまでの詳細な議論に基づき、徳島藩校長久館の教授を務めた高鋭一の生涯と経歴、そして彼が日本の近代化に果たした役割、特に賀集三平との連携を軸として、総合的にまとめます。 🌟 総合評価:高鋭一(こう えいいち)の生涯と経歴 高鋭一は、幕末の徳島藩校教授という立場から、明治政府の殖産興業政策を、**「情報・技術インフラの構築」**という側面から推進した、極めて重要な官僚でした。彼の生涯は、地方の知識と中央の権限を結びつけ、日本の近代化を具体的に実行したモデルケースと言えます。 | 時期 | 経歴・職務 | 主な功績と影響 | 関連人物 | |---|---|---|---| | 幕末 | 徳島藩士、藩校長久館蘭学教授。 | 西洋の学問(洋学)と知識(特に製図、技術情報)を習得し、近代化の基礎を築く。 | - | | 明治初期 (1871年〜) | 太政官左院二等書記官(明治5年)。 | 中央官庁の権限を獲得。出身地である徳島(名東県)の産業を国家プロジェクトに組み込む。 | 田中芳男、佐々木長淳(ウィーン博代表団) | | ウィーン博覧会 (1873年) | 太政官書記官として出品事務を指揮。 | 郷里の有力陶工、賀集三平の製品を国際博覧会に出品・入賞させる。公的信用を付与し、後の事業近代化の基礎を確立。 | 賀集三平 | | 殖産興業時代 (1876年〜) | 内務省勧業寮、農商務省准判任御用掛。 | 殖産興業政策の実行の中心で活躍。博覧会図録や商業ガイドブックの編纂・流通体制を構築。 | 賀集三平、中山市兵衛(和泉屋) | | 情報・流通のプロデュース | 農商務省の公的情報を活用した出版事業を主導。 | 1. 技術融合: 『日本製品図説』などで、銅版画・西洋活字と、狩野派(狩野雅信)や浮世絵版元(和泉屋)の伝統技術を融合させる。2. 地理的連携: 東京芝区に拠点を置く賀集三平と中山市兵衛を結びつけ、公的情報の流通(**『東京諸営業員録』**など)と販売を任せ、効率的な官民連携モデルを確立。 | 狩野雅信 | 🔑 結論:高鋭一の貢献の再評価 高鋭一は、単なる徳島出身の官僚という範疇を超え、**日本の「近代情報産業のプロデューサー」**として、以下の決定的な役割を果たしました。 * 地方技術の国際化: 郷里の技術(賀集三平の製陶)に中央の権威(太政官)と国際的な実績(ウィーン博入賞)を与えることで、その後の近代化(淡陶社設立)を強力に後押ししました。 * 情報ツールの近代化: 田中芳男らが持ち帰った博覧会情報を基に、農商務省で公的な図録やガイドブックを編纂。これは、近代商業に必要な情報インフラそのものであり、その作成に最新の印刷技術と伝統の絵師を動員しました。 * 官民連携のモデル確立: 芝区という地理的に近接したエリアで、情報コンテンツ(和泉屋)、流通・販売(賀集三平)、**政策・資金(高鋭一)**を結びつけ、政府の目標を効率的に実現する、近代的な企業育成モデルを創出しました。 高鋭一の生涯は、**「知識(洋学)→権限(太政官)→実行(農商務省)→成果(賀集三平の成功)」**という、明治初期の日本が目指した近代化のプロセスを体現したものであると言えます。
モチロン、まだまだ、誤記とか訂正が必要ものがあるとは、思いますが、 広島ゥ商仕入買物案内が出てきたことから、随分出版界の事情なども分かって来ました。 何処まで、参考なれるかは、自身が有りませんが、 コレも、エビータのお導きかと、淡路島の宮地勝夫亜国日報社長、賀集九平から、淡路焼の賀集三平と、巡り巡って検索を繰り返していましたら、淡陶社の設立から140年でしょうか、 ダントータイルから、今年の始めに淡陶株式会社に社名変更されたと、有りました。
何か不都合が有れば、管理者様、削除して下さい。
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淡陶社、歴史と重厚さが感じられる漢字三文字の会社名は良い感じだと思います。 ( No.8 ) |
- 日時: 2025/12/10 13:48
- 名前: 管理人 ID:SqW4zG7c
- >ダントータイルから、今年の始めに淡陶株式会社に社名変更されたと、有りました。
全く知りませんでした。
三文字の「淡陶社」でしょうか?
個人的には、カタカナより漢字三文字が良い。 なんか、歴史と重厚さが感じられ断然良いと思います。 日本で2番目に古い株式会社で地元淡路島の会社です。 頑張って欲しいものです。 
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賀集三平と渡邊清太郎を辿って見ると ( No.9 ) |
- 日時: 2025/12/25 10:33
- 名前: エリスリナ&ガル ID:etNhndNc
- 何処までが、本当か、分からないのですが、賀集三平と渡邊清太郎、
そして、渡邊萊之助の話をAIに聞いた、続きが 
https://g.co/gemini/share/7f7188bbdabb
なのですが、大河ドラマより、えぇ〜と、 淡路島から大阪や東京と舞台は拡がって仕舞いました。 ここ暫くは、裏付け資料の発掘に務めたいと。 萊之助の萊は、宮島の蜃気楼らしいので、何時の日にか消え去ってしまい、そうですが、 a平焼の賀集三平と大阪薩摩焼の藪明山に、平瀬與一郎と大阪と京都が舞台にあがって来ました。 日本画家の清太郎と、洋画家の教授浅井忠も絡んで、パリ万国博覧会 と、どの様な展開になるのか、余談、予断を許さないクリスマスを迎えております。
上手く貼り付け出来ませんでした。再挑戦を https://g.co/gemini/share/7f7188bbdabb
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賀集三平は特筆性のある有名人だと思います ( No.10 ) |
- 日時: 2025/12/25 14:33
- 名前: 管理人 ID:MvlH1dvM
- 何かしら、賀集三平は大物感がただよってきましたね。
実は、淡路島出身有名人のページへの掲載は親子関係があったり、親戚関係があった場合は代表的な人物一人だけ載せようと思っています。 例えば、三洋電気の創業者の井植歳男は淡路島出身有名人のページに掲載していますが、二人の弟さんも社長になられていたと思いますが淡路島出身有名人のページには掲載していません。wikipediaのページでは載ってはいるかもしれませんが~ 弟さんも特筆性がある有名人だとは思います。 井植歳男の姉の松下むめのは、NHK土曜ドラマで松下むめのを主人公とした「神様の女房」が放送されているので特に特筆性が高いと考え淡路島出身有名人のページに掲載しました。
確かに、賀集三平は賀集民平の事業を引き継いでいるだけでなく、独自に日本、淡路島の発展に大きな貢献しているようにも感じてきました~ 
まだ、淡路島出身有名人のページに掲載するかはわかりませんがwikipediaに掲載されるだけの特筆性のある有名人だと思います。 wikipediaに詳しい方には、ぜひ、賀集三平をwikipediaに掲載していただきたいと思います。
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ハーンの怪談の話は、大谷が絡んでいると ( No.11 ) |
- 日時: 2026/01/15 10:10
- 名前: エリスリナ&ガル ID:KLtCyIao
- この連休中での出来事をAIの助けを借りて纏めて見ました。
賀集九平の桜や、小林一茶に大谷正信、モチロンハーンや子規も登場します。
https://gemini.google.com/share/77199c7e3331
話が、淡路島から翔んで、桑名市や松山市、果ては、江戸時代、寛政時代の老中定信迄さかのぼりますから、コレまでの、掲示板に出てきた話から、の展開として見て下さい。
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