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[91] 賀集九平も三平の話は終わりそうなので
日時: 2024/09/06 06:27
名前: エリスリナ・ガル ID:z0/vWFRY メールを送信する

 余談の余談が長くなりすぎて、閲覧者も管理者も少し混乱されているようなので、項を改めてしばらく続けたいと、思います。
 切っ掛けは、渡辺えい作の同僚として小泉八雲の話から怪談の十六日桜を紹介しました。また、えい作は平瀬与一郎とも縁が、有りそうだと最近気付きましたので、平行して、先日書き込みしています。
 そして、『怪談』の中の「乳母(姥)桜と十六日桜」は実在する、実在した桜として信州の俳人、小林一茶が訪れて逗留したのが、松山近郊の伊予松前(町)
造り酒屋、庄屋をつとめていた樗堂の所でした。
 2回も伊予松山の十六日桜を見る為?だけで旅をした訳ではないとは思いますか、一茶の残した日記を紐解けば良いのですがここでは、スルーします。
 ところで、信州から四国安行の旅なら淡路島も通過しているハズと想像して、探して見ますと、一茶事典にあわぢ島を詠んだ句が幾つか紹介されておりました。また、淡路の高田方壺(近蔵)から、金一歩を添えた揮毫の依頼の手紙が送られ来た、と詳しい説明は有りませんが、何らかの繋がりは有った事は窺えました。
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高田方壺の関与した句碑が実在した様です! ( No.1 )
日時: 2024/09/06 06:58
名前: エリスリナ・ガル ID:z0/vWFRY メールを送信する

 淡路島の、豪商とか俳人で高田、方壺を検索してみましたがヒットしませんでした。そこで、淡路島と言えば、司馬の名作の名前が浮かびましたので、嘉兵衛の縁者ににと、検索をしてみましたが出て来ませんでした。

 ところが、代わりにヒットしたのが、房州での一茶の記録でした。一茶亡き後も、一茶を名乗る人物がアチラこちらに登場して短冊を残している事もあるので、見分けるのは中々、困難ですが、日記と連歌、を突き合わせてその真偽を論議した論文に、高田?が依頼した揮毫に依る句碑が実在するらしいと、設置されていたのは白浜、淡路島の対岸の様でした。
 
 今のところは、確実に一茶が淡路島の島内に足跡を残したとは、言い切れませんが、俳句仲間や交流をしていた人物が登場して来ましたから、関心のある方なら埋もれている句碑や記録も出て来るのではと、思います。

 また、司馬の菜の花沖の主人公と繋がるか、どうかは別として、関心を寄せています。管理者さん、いちいち詳しい説明を省いて混乱させて失礼しました。
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小林一茶と松尾芭蕉 ( No.2 )
日時: 2024/09/06 13:38
名前: 管理人 ID:9fqxiurw

実は、一茶が出てきたあたりから
話の流れがわからなくなっていました。

添付の資料は、
難しく読むのが邪魔くさいしー

(^^;

でも、一茶なら淡路島に来てそう。
と、
言いながら一茶は良く知らないし!

淡路島の地元、賀集八幡神社には、
松尾芭蕉の句碑がありますが!

松尾芭蕉も小林一茶の違いも良く分からないのが本当のところです。

ちょこっとキーワード「淡路島」プラス「小林一茶」でGoogleを検索すると、
wikipediaの小林一茶の中に、
「京都を発った後は、大坂、河内、淡路島を巡って四国に渡った。」
と書かれていますね。

小林一茶
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E8%8C%B6

松尾芭蕉
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89

淡路島情報館 賀集八幡神社
https://awaji.kobe-ssc.com/kanrinin/?p=1106

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松尾芭蕉が世界的な超有名人だったのに驚く ( No.3 )
日時: 2024/09/06 18:29
名前: 管理人 ID:9fqxiurw

wikipediaの松尾芭蕉を見ると、対応言語版が159言語もあります。
松尾芭蕉が世界的な超有名人だったのには驚きます。


ちなみに世界的に有名と思われる日本人を見てみました。

昭和天皇 130言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

黒澤明 145言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6%98%8E

三船敏郎 118言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E

オノ・ヨーコ 76言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B3

紫式部 141言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8

徳川家康 75言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
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高田方壺から依頼された句は? ( No.4 )
日時: 2024/09/09 16:25
名前: エリスリナ・ガル ID:YMM9K0S. メールを送信する

それでは、淡路島の高田方壺より揮毫を依頼された一茶の12句をコチラに、当時、一般に一茶の代表句とされる作品傾向がわかる、と一茶大事典(大修館書店)に矢羽勝幸は紹介しています。

 目出度さは今年の蚊にも喰われけり、
 身の上の鐘としりつゝ夕涼み
 餅花の木陰にてうちあはゝ哉
 連れのない雁はさっさと帰りにけり
 我国は草も桜を咲きにけり
 菜の花のとつばづれ也ふじの山

まずは、取り敢えず、この5句で、
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揮毫を依頼された残り7句 ( No.5 )
日時: 2024/09/09 16:42
名前: エリスリナ・ガル ID:YMM9K0S. メールを送信する

続いて、唐紙に依頼された作品(以下)とあり、

 家内安全とか咲けり門の梅
 我が春も上々吉ぞ梅の花

また、四季

 花のなんのとんちんかんで五十年
 それでこそ御時鳥松の月
 名月の御覧の通り屑家哉
 うまさうな雪やふふはりはりと 以上です。
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揮毫依頼の前年に大阪に別荘を? ( No.6 )
日時: 2024/09/11 09:12
名前: エリスリナ・ガル ID:MQNOp1j6 メールを送信する

依頼の日付は、文政6年の7月9日に届いた様ですから、隠居した淡路島では、どうかと疑問に思っていたら、嘉兵衛の年譜にその前年の文政5年に大阪の野田に別荘を建てたと、有りますから、案外、唐紙に揮毫なら有りそうな事だと、思われます。ね。

https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/b613064a91d3d9999a39bfc22abe80b9
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淡路島での一茶の足どりは、判明 ( No.7 )
日時: 2024/09/13 14:49
名前: エリスリナ・ガル ID:Kbbs6Cfk メールを送信する

一茶大辞典から、一茶の寛政四年紀行、寛政六年の記録に淡路島に関すること、俳句が載っておりましたから、此処に紹介します。

https://photos.app.goo.gl/RDKsdoAckrRDEn466

https://photos.app.goo.gl/bBsZaAKDvECsWHvq7

これで一茶は寛政5年の7月に松帆(松穂がた)を訪れていた事が、判明しました。

一茶は、淡路島を詠んだ句として、鶯、茅の輪、木枯らしと一茶大辞典には出てきましたので、それぞれ別の季節ですから、伊予松前への行き帰りの3回は淡路島をて通過した事がこれで分かりました。

 閲覧者の方には、結論が中々出て来ないので、草臥れたと思います。
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高田近蔵(方壺)の俳句か、三句? ( No.8 )
日時: 2024/09/15 11:06
名前: エリスリナ・ガル ID:j3zY6UJs メールを送信する

信州の一茶記念館からも、『一茶大事典(矢羽勝幸)』大修館書店と、信濃毎日新聞かな?一茶全集の中の高田近蔵(方壺)の俳句、三句が送られて来ましたので、リングしてみます。上手く行けば、良いが?

https://drive.google.com/file/d/1zak1QxV_XUXSWSBugOF1IMfG1v0-ozTs/view?usp=drivesdk

俳句十二句の揮毫は、直接一茶に依頼したのでは、無さそうです。

恐らく、夏目?随斎筆記の作者、蔵前の指札を仕事としていたらしいから、高田屋とは、取引もあった事でしょう。淡路島の米や味噌・醤油に灘の酒も納品していたかも?
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再度、一茶に依頼された句と方壺の三句 ( No.9 )
日時: 2024/09/15 16:08
名前: エリスリナ・ガル ID:K1GJ06PY メールを送信する

どうやら、また別の画像か、張り付いて仕舞いました。

https://drive.google.com/file/d/134ioRe9zjGzHkj_4dB4rOysUlp3uIMpa/view?usp=drivesdk

一茶の唐紙に揮毫を依頼された12句と、方壺の詠んだ三句が信濃毎日新聞の『一茶全集』に、いづれにも、夏目成美、随斎筆記からの様です。
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高田屋嘉兵衛は船乗りだから、厳島にも? ( No.10 )
日時: 2024/09/17 06:47
名前: エリスリナ・ガル ID:42LJSr56 メールを送信する

もう一つ、田(屋)金兵衛「金蔵?」の関与したらしい、石碑が出て来ました。
場所は、噴火湾を望む有珠山でしょうか?航海の安全祈願を祈って、配下の三好某と、厳島神社のいちきひめを祀る宮島に嘉兵衛や弟も参拝したかは不明ですが、瀬戸内を通過して兵庫津と下関から日本海へと、考えれば、宮島は通過点ですからあながち想像の範囲でも良いかな。
と言うのは、安房州の白浜の厳島神社に建立した芭蕉翁の追悼句碑、井上良a・杉長の三回忌か5回忌?にその子や「方壺」の名前があるのは、何となく意味か感じられます。館山の野島崎なら、有珠山と共に航海安全を祈願する場所に相応しいかなと。

参考に、函館市の嘉兵衛の部分、金兵衛の財産没収の経緯を次に載せて、見ます。

https://adeac.jp/hakodate-city/text-list/d100050/ht004060
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高田屋は屋号ですから、弟金蔵は襲名して金兵衛? ( No.11 )
日時: 2024/09/18 22:31
名前: エリスリナ・ガル ID:AVydlsAQ メールを送信する

今日は、『名字の日』だったらしい。

https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/45b4e232aecbfc9ad4589c4f4cbcb5557071a387&preview=auto

なぜ、こんな話題をと、思われますが、実は、『菜の花の沖』の主人公高田屋嘉兵衛腹ロシアとの交渉による功績により、名字帯刀を許された。つまり、屋号の高田屋から高田嘉兵衛となった、わけですが、嘉兵衛の跡を継いだ弟金兵衛(金蔵?)も、後に名字帯刀を許されています。しかし、間もなく、ロシアとの密貿易の嫌疑を掛けられ、けっしょ、全財産を没収されます。

ソレは、伯耆高田屋の話を見ていただくとして、もうひと、話題にした国立淡路島公園期成同盟会の会報を見ると、本拠地の淡路島には高田姓の子孫の名前は、ないのですが、大阪と神戸(兵庫津)には、後継者らしい高田姓の人物が名前を出しています。大正10年頃の話ですがら、2代か3代後の時代でしょう。

もう一つ、淡路島の輪郭、港の有力者を見たいと、同時期の伊能忠敬の測量隊の日記を見て見ますと、本陣や庄屋の名前はありますが、名字は有りません。やはり、宿舎は各港の庄屋や廻船問屋などを利用していた、様です。

もう一つ、話題がありましたから、掲載して見ます。

伊能忠敬に強い影響与えた? 地図に描かれたコンパス・ローズが酷似 津和野藩士・堀田仁助の資料を専門家が調査 島根県津和野町(山陰中央新報)
#Yahooニュース
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/45b4e232aecbfc9ad4589c4f4cbcb5557071a387&preview=auto



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9月19日は、名字の日、高田屋やから高田嘉兵衛に ( No.12 )
日時: 2024/09/18 22:44
名前: エリスリナ・ガル ID:AVydlsAQ メールを送信する

名字の日は、コチラを

https://zatsuneta.com/archives/109193.html
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一茶が詠んだ淡路島の3句 ( No.13 )
日時: 2024/09/22 17:51
名前: エリスリナ・ガル ID:aUhUDWHY メールを送信する

お待たせしました。一茶の淡路島で詠んだ?句です。

発句(春) 動物 鶯 (一茶大辞典203p)

うぐひすの腮(あご)の下より淡路島

(夏) 茅の輪、216p
茅の輪から丸に(々)に見ゆる淡ぢ(路)島

(冬)木がらし、260p
木からしや枕元なる淡ぢ島
夏の茅の輪の句は、淡路島での句ではなく、大阪か明石か阿波側の港で詠んだのかも?
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アルゼンチンと日本の交流史から ( No.14 )
日時: 2024/09/27 08:49
名前: エリスリナ・ガル ID:HNnCNMF6 メールを送信する

一茶の話は、八雲の怪談と子規の俳句からでしたが、
一茶と子規は実物の十六日桜を見て、或は過去に観て俳句を詠んだ
と思います。

賀集九平は実物は見ていないとしても、花卉園芸組合の先輩の高市(コレまで武市と誤って表記していました)茂から、折に触れて聞かされいたのでは、無いかと考えていましたら、面白い記述を見つけました。ソレは後程に

九平とペロン大統領の関係の詳細は不明ですが、以下に大統領の事が載っていましたので

https://photos.app.goo.gl/sFVEw64UrfsXzdez5

https://photos.app.goo.gl/XCK71tFkASMJhNxe6

此の前には、「日進」「春日」の回航と観戦武官ドメック・ガルシア大佐の話が載っていました。

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エビータとベロン財団は? ( No.15 )
日時: 2024/09/29 23:57
名前: エリスリナ・ガル ID:hu8/.zbs メールを送信する

ペロン財団の復興支援の話は、コチラに詳しい。

https://dept.sophia.ac.jp/fs/pdf/kiyo39/08.pdf
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アメリカキササゲもアルゼンチンからでしょうか? ( No.16 )
日時: 2024/10/11 07:23
名前: エリスリナ・ガル ID:09JCPHUY メールを送信する

この木も、アルゼンチンから贈られた40種の中の木では無いかと、聞きましたが、背景の建物は新しく出来たサッカー場と丸い天井の子供文化科学館(ホールにはプラネタリウム)、相生橋から太田川の左岸の風景。

https://photos.app.goo.gl/As8Q8eDoXeS8STRQ9
https://photos.app.goo.gl/LDWt1d4QFYsuRrkT8
https://photos.app.goo.gl/qtfa2qpE2ijyx43Y7

アメリカキササゲ(ハナキササゲ)の右手奥が、旧市民球場で、電車通りを挟んで原爆ドームが、あります。
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エビータから贈られたアメリカサイカチ ( No.17 )
日時: 2024/10/19 06:43
名前: エリスリナ・ガル ID:jmxVuct2 メールを送信する

2022年6月の平和大通りのサイカチの写真が出てきたのて、リンクしておきます。エビータから贈られたタネからの一本だったのでしょうか?

https://photos.app.goo.gl/wJ2sjsC7Nb9aH9NC7

確かに、樹齢70年の風格が、感じられます。

https://photos.app.goo.gl/ikqtUoxekg7AcyTY8

倒壊する前の上部はかなり左側に枝が張っていますから、バランスが取れて無かった様に思います。参考に、倒壊した状況が分かる記載がありましたので、リンクしておきます。
https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2024/06/post-766a7c.html
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届いたアルゼンチンの種子と、内乱❓️ ( No.18 )
日時: 2024/12/22 09:49
名前: エリスリナ・ガル ID:Ztx2wMcE

昭和26年10月3日の中国新聞にアルゼンチンからタネは届いた、

https://photos.app.goo.gl/TkY3EPFyuyoZnJ5r5

と、有りましたか、その3日前、9月30日の記事では、アルゼンチン内乱の記事が有ります。
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一茶の生涯の記述を見ると、西国は重要だと ( No.19 )
日時: 2025/01/14 08:58
名前: エリスリナ・ガル ID:NmyXxJlE

アルゼンチンの話題、No14からは、スキップして、淡路島と一茶の話に戻ると、No.2で、管理者さんも確かに一茶が淡路島を訪れた、踏破したコトにウィキの引用から掲載されているのに、今気付きました。
流石です、茅の輪に見ゆるあわぢ島は、島の外から、或いは舟の中から詠んだのでしょうか?淡路島で詠んだ俳句を再度見直す必要が、有るかも?
芭蕉も一茶の師匠竹阿の足取りを紀行文とか、で見ていけば一茶の立ち寄った名所・旧跡に芭蕉の句碑があると思います。
方壺と一茶は淡路島内で会っている可能性は少ないでしょう。
やはり、浅草蔵前の札差の成美を通しての付合いダッタのでしょうか?
屏風の出現で、再度、淡路の近蔵・方壺に注目したい、と思います。
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淡路島で詠まれた俳句は ( No.20 )
日時: 2025/02/07 05:35
名前: エリスリナ・ガル ID:jXqhtKpk

淡路島の俳人、方壺の句は

ん〜、でしたが

淡路島の俳句ですね、承知いたしました。
淡路島は、豊かな自然と歴史に育まれた俳句の地です。松尾芭蕉、与謝蕪村、正岡子規など、多くの俳人が淡路島を訪れ、句を詠んでいます。
淡路島で詠まれた俳句の例
* 松尾芭蕉
* 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」
* 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
* 「海士(あま)の子の 袖や濡らさむ 鳴門鯛」
* 与謝蕪村
* 「春の海 潮(うしほ)の香や 鰆(さわら)立つ」
* 「菜の花や 月は東に 日は西に」
* 正岡子規
* 「淡路島や けふも日が暮る 浦の宿」
* 「松の葉や 潮(うしほ)の香に 染まりけり」
これらの句は、淡路島の美しい自然や、人々の暮らしを生き生きと描写しています。
淡路島の俳句についてもっと知りたい場合
* 淡路島の俳句に関する書籍やウェブサイトを調べてみてください。
* 淡路島には、俳句に関するイベントや句会もあります。参加してみるのも良いでしょう。
* 淡路島の自然や歴史に触れながら、自分自身で句を詠んでみるのもおすすめです。
俳句を通して、淡路島の魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。
淡路島を訪れて詠んだ俳人の句、更に一茶の句も

淡路島で詠んだ一茶の句ですね、承知いたしました。
小林一茶は、江戸時代中期の俳人で、松尾芭蕉、与謝蕪村と並び称される俳聖です。一茶は、全国を行脚し、各地で多くの句を詠みました。淡路島も訪れており、いくつかの句が残されています。
淡路島で詠んだ一茶の句の例
* 「木がらしや 隣といふは 淡路島」
この句は、冬の寒風が吹き荒れる中、隣の島である淡路島を遠くから眺めている情景を詠んだものです。厳しい自然の中に、どこか寂しさを感じさせる一茶の心情が表れています。
一茶の句は、庶民の生活や感情を率直に表現したものが多く、ユーモラスなものから、人生の哀歓を詠んだものまで、幅広いテーマを扱っています。
淡路島の一茶の句についてもっと知りたい場合
* 淡路島の俳句に関する書籍やウェブサイトを調べてみてください。
* 淡路島には、一茶の句碑やゆかりの場所もあります。訪れてみるのも良いでしょう。
一茶の句を通して、淡路島の自然や歴史、そして人々の暮らしに触れてみてはいかがでしょうか。

一茶が詠んだ十六日桜の句ですね、承知いたしました。
十六日桜は、旧暦の1月16日頃に咲く早咲きの桜で、愛媛県松山市の龍穏寺や天徳寺などにあったものが有名です。一茶もこの桜を訪れて句を詠んでいます。
一茶の十六日桜の句
「十六日や Lieにつぼむ 寒桜」
この句は、旧暦1月16日に、まだ寒い時期にもかかわらず咲き始めた寒桜の様子を詠んだものです。「Lie」は英語の「lie」(嘘)で、桜がまだ寒いのに咲いてしまったことを「嘘」と表現している点が面白いですね。
十六日桜について
十六日桜は、真冬に桜の花を見たいという病父のために、孝子吉平が桜に祈ったところ開花したという伝承から孝子桜とも呼ばれています。小泉八雲もこの伝承を世界に紹介しており、広く知られています。
一茶の句についてもっと知りたい場合
* 一茶の句集や伝記を読んでみてください。
* 松山市の龍穏寺や天徳寺を訪れて、実際に十六日桜を見てみるのも良いでしょう。
一茶の句を通して、十六日桜の美しさや、それにまつわる物語に触れてみてはいかがでしょうか。

が答えとなりました。


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淡路の高田近蔵は、実在してた様です。 ( No.21 )
日時: 2025/03/13 23:09
名前: エリスリナ・ガル ID:5Lo12oTw

長野県立図書館に問い合わせした、一茶の随斉筆記の書き込みの件が、公表されておりました。

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000361825&page=ref_view

随斉筆記=(一茶直筆)化政期俳人録、勉誠社、前田利治

その部分が

https://photos.app.goo.gl/BkrvoLVG5EbLYZvw9

確かに、淡路 高田 近蔵と読めますね。
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高田金蔵の生年と、須本の方壺の投稿の歳が判明 ( No.22 )
日時: 2025/03/17 15:59
名前: エリスリナ・ガル ID:TiCNAhEo

方壺の投稿句が立命館大学の翻刻した『花供養』に有りました。
天保3年のページに一句のみでしたが、確かに俳号の一覧には須本 39歳と出ています。
嘉兵衛と共に淡路島に隠居したものの、嘉兵衛が亡くなった後、また、金兵衛が闕所処分を受けた後は、五色村から須本に住まいを移していた様ですね。

玉野市の市史資料編の『ヲロシア見聞帰朝話』の初めには安永壬ノ辰生まれと有りますから、本人一茶に揮毫を依頼した高田近蔵は金蔵、方壺と思って良いと。

https://photos.app.goo.gl/WQVbHng5FogyCv259

https://photos.app.goo.gl/7o4axFwsB8WqY4Rs9

https://photos.app.goo.gl/rhiM6hT6W5MZbJNS7

これを元に、小林一茶と井上杉長や松平定信、高田屋の年表を作成出来れば、野島崎の厳島神社の境内に建立された、芭蕉の句碑や杉長墳との関係もハッキリするでしょう。

地元の郷土史家の協力が有れば、120年前の小泉八雲とそのまた120年.240年の謎が、判明するかと思うと、ワクワクして来ました。
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