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稲田騒動

7月に入って初めての記事です。

1870年(明治3年)に起きた稲田騒動についての徳島新聞の記事に思うことがありましたので記事にしたいと思います。
2008年10月20日付けの「稲田騒動 徳島藩、淡路独立許さず」の題名で書かれています。
(2014年5月7日現在、リンク切)
Googleで検索していて発見しました。

徳島新聞の記者が中学生ぐらいを相手に書かれたような記事です。
タイトルの「稲田騒動 徳島藩、淡路独立許さず」は、ちょっと腹立たしくもあります。
でも、これは徳島から淡路島に対する上から目線で書いたものでないと信じたいのでタイトルについての私の意見ではありません。

記事は全体的に、淡路島を失ったことの口惜しさがにじみ出ています。
この口惜しさは、私には逆に心地よく兵庫県の一部であることの嬉しさを感じます。
徳島は意外に先端企業も多く、やるなと思わせます。
でも、やっぱり神戸と一緒の兵庫県が良いですよね。
兵庫県であることの恩恵は大きいと思います。
政治経済だけでなくスポーツなんかでもね。
スポーツなんかの大会で先進都市の神戸などに行ったり、目を向けることが多くなることは良い事だと思います。
淡路島出身の有名人を調べていると結構いるのに驚きです。
それは、精神的に関西の一部であることからの上昇志向が強くなったからではと思ったりしています。

私が特に言いたいと思ったのは次のことです。
記事の中で稲田家の武士が明治政府に氏族と言う身分を求めた大きな理由の「本藩側は佐幕派に対し稲田家側では尊王派で活躍したこと」を全くふれていないことです。
つまり、徳島藩は徳川体制を支持したが、淡路島の稲田家が尊王派で明治維新に貢献した。
その事を徳島新聞の記事は全くふれていないと言うことです。

つまり近代日本の発展の第一歩に稲田家は貢献した。しかし、徳島の本藩は~
この点が徳島新聞の記者は口惜しくて記事に書かれなかったと思われるのです。
まあ、日本人が日本と言う国を愛するように、徳島の人も徳島県を愛するがゆえの記事の内容と思えば納得なのですが!

追記 2012年9月3日)
Googleで「徳島新聞」+「淡路島」で検索すると、この日記が8番目ぐらいに表示されました。
「稲田騒動」で検索すると11番目ぐらいです。
結構、この私のカキコを読んでいる人がいるかも?
もし、気を悪くした方がいましたら気にせんといてね。
徳島は別に嫌いじゃないですし~
こんな日記をネットで公開している以上は、たまには毒舌もはいてみようと言う軽い気持ちから書きました。
それに、神戸在住の管理人のかってな日記ですから。

追記 2014年11月14日)
今、迷っています。
何をかといえば、この「稲田騒動」についての私の記事を削除すべきかどうかをです。
ネットで調べてみると徳島新聞の稲田騒動(庚午事変)に関する記事が結構あるのがわかります。
でも、それらをよく読んでみると淡路島に好意的な文章が多いのです。
2008年10月20日付けの徳島新聞「稲田騒動 徳島藩、淡路独立許さず」の記事は私的に気になったので感想を述べてきました。
2008年10月20日付けの記事は子供向けに書いたものなので、子供に興味を持たせるためにあのような記事になったんでしょうね~
今回の私の記事「稲田騒動」は結構面白いと思っているんですが、一部の方にとっては気分が悪いかもしれません。
まぁ、そんな訳でこの「稲田騒動」についての記事を削除すべきじゃないかと思ったりしています。

また、私自身、「稲田騒動」と書くのもおかしいですね。
事件を起こした側は徳島本藩の一部の者です。
洲本の稲田家の者は無抵抗であったとも言われています。
騒動を起こしたのは徳島本藩の一部の者ですから、淡路島側の人間が「・・騒動」と言うのも変ですね。
淡路島側の人間は何も騒動を起こしていないんですから、淡路島出身の私が「・・騒動」と認識するのはおかしいです。
で、以降は「稲田騒動」じゃなく「庚午事変」と書きたいと思います。

そもそもですが、一般的に言われるように本当に庚午事変がなければ淡路島が徳島県だったかもあやしいです。
当時、徳島県は淡路島を含めて名東県と呼ばれていました。(以下wikipediaより)
・1870年(明治3年)に庚午事変が起きます。
・1871年(明治4年)に洲本を含む津名郡が兵庫県に編入。
・1873年(明治6年)に香川県(旧讃岐国)が名東県に編入。
・1875年(明治8年)に香川県が名東県から分離独立。名東県は(旧阿波国・旧淡路国)で再設置。
・1876年(明治9年)に淡路が名東県から分離し兵庫県に編入。名東県が高知県に編入。名東県は消滅。
・1880年(明治13年)に高知県から徳島県が分離し徳島県(旧阿波国)を設置。

何が何やらわからなくなりますね。
当時、日本全国どこもかしこも分離、編入、独立を繰り返していたものと思われます。
淡路島に関していえば、徳島県(名東県)、兵庫県、徳島県(名東県)、兵庫県と変遷しています。
たしかに庚午事変をきっかけに徳島県から兵庫県に編入されていますが、その後に徳島県に再編入されています。
徳島県に再編入後、また兵庫県に再編入される際、徳島県に残るほうが良いか兵庫県になるほうが良いか淡路島の人で検討されたようです。
結局は大阪や京都に近い兵庫県の方が良いという意見が多数だったと言います。
庚午事変をきっかけに一度は兵庫県になったことがあるから、兵庫県への再編入が簡単だったこともあるかもしれませんが、淡路島が兵庫県になったのは庚午事変とは直接には関係ないようにも思いますね。
たぶん、映画や小説にすれば庚午事変をきっかけに徳島県から兵庫県に編入されたとしたほうが今的にはおもしろいのでしょう。
いつごろから、「庚午事変がきっかけに淡路島が徳島県から兵庫県になった」と言われるようになったか知りたいものですね。


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