魚市場人 伊藤春次小伝 ( No.1 ) |
- 日時: 2021/01/25 15:30
- 名前: 管理人 ID:al9sYDfI
- 南あわじ市のホームページの「南あわじ市名誉市民一覧」には多くの方が載っています。
今、注目しているのは伊藤春次です。
東京に中央魚類と言う約2000億の売り上げを誇る水産会社があるようです。 その創業者が伊藤春次です。 伊藤春次の息子の伊藤裕康氏が旭日中綬章を受章したとの記事がみつかります。 その記事の中で「父は神戸高商の夜間部で苦学した人でした。」とあります。
また、「魚市場人 伊藤春次小伝」と言う本がでているようです。 そこに、「沼島」「神戸」と言う言葉がでてきます。
伊藤春次さんは沼島出身かも? あるいは、神戸出身で淡路島の水産物を扱った方の可能性もありそうですがー
南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
水産タイムス 冷食タイムス 〜この人に聞きたい〜 http://www.suisantimes.co.jp/cgi-bin/interview.cgi?n=569
カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝 http://www.kazubooks.com/?pid=109011171
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呱々の声・沼島 ( No.2 ) |
- 日時: 2021/01/25 21:36
- 名前: 管理人 ID:al9sYDfI
- 「カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝」には以下のように書かれた部分があります。
呱々の声・沼島、神戸・社会第一歩、東京で「いせ高」旗揚げ
「呱々」の意味が良くわからないのでGoogleってみました。 Weblio辞書には次の様にあります。
赤ん坊の泣く声。特に、生まれてすぐの泣き声。
と言うことは「呱々の声・沼島」の意味は「沼島で生まれた」と 言うことでしょうか? 売上高2000億円(連結)の中央魚類の創業者・伊藤春次さんの出身は沼島と考えて良いのではないでしょうか? たぶんーーー
Weblio辞書 呱々 https://www.weblio.jp/content/%E5%91%B1%E3%80%85
カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝 http://www.kazubooks.com/?pid=109011171
wikipedia 中央魚類 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%AD%9A%E9%A1%9E
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エビデンスが欲しいです。 ( No.3 ) |
- 日時: 2021/02/15 06:04
- 名前: 管理人 ID:oDIx1UoA
- 伊藤春次さんは沼島出身だと思われます。
しかし、沼島出身だと言う確かなエビデンスはありません。 よって、淡路島情報館のwikiのページの更新は行いません。
伊藤春次さんを含め淡路島出身有名人の情報が何かありましたら、当掲示板への書き込みのほどよろしくお願いします。 
淡路島情報館 淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
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アルゼンチンで花卉栽培の専門家として活躍した賀集九平氏も淡路島出身? ( No.4 ) |
- 日時: 2023/03/21 19:44
- 名前: 管理人 ID:AnzaujZs
- 賀集九平氏も淡路島出身なんでしょうか?
「淡路島」+「賀集」でGoogle検索をしていて見つけた「ディスカバー・ニッケイ」のアルベルト・松本さんの「「花の都:エスコバール」日本人移住90周年(2019)と自分のルーツ再認識」と言う記事があります。
ディスカバー・ニッケイ https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
記事によると アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市の北部50キロにあるエスコバールは「花の都」として知られているんだそうです。 毎年10月には「花祭り」が開催され、国内外からの新しい品種の展示やその品評会、エスコバール日本人会を含むの複数の地元団体によるカーネションなどで飾った花車のパレードやミス花祭りコンクールが行われると言う。 そして、エスコバールの花卉栽培は、北海道出身で花卉栽培専門の農業技師だった賀集九平氏が、1929年にこの土地にやってきたのがその始まりといわれているんだとか!? 2019年11月にはエスコバール日本人会の会館で賀集九平さんの到着を記念して日本人移住90周年の祝賀式典が行われた・・・
また、賀集九平氏の長男アンヘル清氏は国会議員にもなり、次男で会計士のアルベルト氏は、在京日本大使館の商務参事官職を歴任したらしい。
またまた、賀集の名前がーー
すげー
またまた、「賀集」ネタですいません! 
賀集九平氏は、花卉栽培の尽力で南あわじ市名誉市民に選ばれるている方です。
南あわじ市・南あわじ市名誉市民一覧表 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
「ディスカバー・ニッケイ」の記事には北海道出身の花卉栽培専門の農業技師とあります。 南あわじ市のホームページには淡路島出身とは書かれてはいません。 しかし、淡路島出身で著名人の多い賀集一族と同じ苗字です。そして、南あわじ市名誉市民です。 南あわじ出身、あるいは北海道移住後にアルゼンチンへ移民された方ではなかろうか?
しかし、淡路島出身というたしかなエビデンスがないので淡路島出身有名人のページには載せられません。
エビデンスが欲しいです。 淡路焼の賀集民平、淡路鉄道の賀集新九郎、鈴木商店の賀集益蔵、将棋棋士の賀集正三、賀集書店(後の海文堂)を開業した賀集喜一郎、俳優の賀集利樹と関係はあるのか?ないのか? 気になって眠れません。 
淡路島情報館・淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
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賀集院太郎氏、賀集晶氏 ( No.5 ) |
- 日時: 2024/02/08 13:14
- 名前: 管理人 ID:Jq3AHeNc
- 他にも「賀集」さんで気になる方が二人います。
賀集院太郎
映画の脚本家です。 若山富三郎の映画デビュー作「忍術児雷也」の脚本もされています。
キネマ旬報 https://www.kinejun.com/person/view/116791
新東宝チャンネル 忍術児雷也 https://youtu.be/wxsHIpNeY5g?si=douZhe9ms5mRQkwl
賀集晶
神戸出身の裁判官の方です。
wikipedia「賀集晶」 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E9%9B%86%E5%94%B1
賀集院太郎さん、賀集晶さんは淡路島と関係あるのかないのか? やっぱり、気になって良くねれません。

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賀集九平 ( No.6 ) |
- 日時: 2024/05/12 02:57
- 名前: N ID:WA7BR1tU
- 賀集九平氏の生まれは北海道です。
S51年3月30日出版の『世界の日本ザクラ』の著者略歴には、
明治29年 北海道に生まれる 大正4年 秋田県立農学校卒業 大正6年 農林水産省園芸試験場園芸科卒業 大正7年 兵庫県立農事試験場技手の職を辞し、アルゼンチンに渡り…
とあります。 なお、兵庫県立農事試験場は明石市北王子村位置します。
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淡路島ゆかりの有名人 ( No.7 ) |
- 日時: 2024/05/12 18:30
- 名前: 管理人 ID:aPWuvTZE
- Nさん
新情報、ありがとうございます。
と言うことは、賀集九平氏は北海道出身という事みたいですねー
しかしながら、「南あわじ市名誉市民」になっていることも事実ですから、南あわじ市となんらかな繋がりがあるのは間違いないと思われます。 例えば、先祖が南あわじ市からの移住者であるとか?
そんなわけで、「南あわじ市名誉市民」になった理由がわかりしだい、「淡路島ゆかりの有名人」のページにのせたいと思います。 なんらかなエビデンスが見つかれば良いのですがーー 
南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
淡路島情報館 淡路島ゆかりの有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
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賀集さん ( No.8 ) |
- 日時: 2024/07/01 16:51
- 名前: 管理人 ID:mI4/rHd.
- またまた、見つけました。
有名人の賀集さん。
それも、お二人も。 
全国的に見ても珍しい名字のはずの賀集さん。
賀集さんに限らす有名人っているもんだなと思う今日この頃です。
お一人目は 賀集裕子さん
https://www.nhk.jp/p/c-club/ts/6N5K88R4Q5/episode/te/2LZWLY855Y/
お二人目は 賀集洋一郎さん
https://cir.nii.ac.jp/crid/1130282271799204224
淡路島と関係あるのかないのか? やっぱり、気になって良く寝れません。

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賀集九平の経歴を自ら語る! ( No.9 ) |
- 日時: 2024/07/03 00:00
- 名前: エリスリナ・ガル ID:mwt54R7U
- 賀集九平が皇紀2600年を記念した祝賀会?かな、にアルゼンチンの日本人会を代表して日本に向かう送別会?かな、祝賀会の記事が亜爾然丁時報にありました!また、日本での行事の概要を日本放送協会で語った内容も翌年の同じ亜爾然丁時報の昭和16年4月17日の連載記事(10)が、あり、ディスカバー・ニッケイのアルベルト松本しの投稿の出典らしい事が判明しました❗ょ。
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賀集九平と田中数好の繋がりは? ( No.10 ) |
- 日時: 2024/07/03 16:12
- 名前: エリスリナ・ガル ID:lLkrWGe6
- 賀集九平とアルゼンチンで明興園を協同経営していたのが田中数好と出てきました❗その後九平は弟の万吉を呼び寄せて兄弟で花卉を栽培することになった様ですね!せこで、気になる共同経営をしていた田中数好ですが、兵庫県の出身の農業技術者らしいのですが、もしかしたら、九平が一年間働いていたという、県の農業試験場の職員とか、相談を受けていた農家?の次男坊とか?
そこで、ハタと閃いたのが、南あわじ市の名誉市民と関わりがあるとしたら、合併みえの三原郡の有力者との繋がりが無いと、ダトすれば田中万米が最有力候補として浮上してきませんか❗淡路島の酪農のらその縁者を通じて賀集九平も何らかの交友なり、多額の寄附とか、淡路島から若い青年を移住者として受け入れたりもあり得るのでは、と想像の範囲ですが、昭和37年頃なら酪農組合長とか、議員や村長もされてきた訳ですから、数好が息子でなくても、縁者であった可能性はあるかも?と
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田中家と賀集家 ( No.11 ) |
- 日時: 2024/07/03 20:21
- 名前: 管理人 ID:11Hc070Q
- 良いせん、いってるかもしれませんね!
南あわじ市北阿万の伊賀野出身の賀集a平が淡路焼をはじめ、その後、賀集a平に繋がる人がダントーを作り、また、賀集家に繋がる人を中心に淡路島の有力者の出資を元に淡路鉄道が開通した。
淡路島の有力者である賀集家、田中家が繋がっている可能性も高いでしょう。 そして、賀集九平が賀集家と繋がってもおかしくはないでしょうし、田中数好が田中家と繋がっていても不思議ではないですね。
賀集a平 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E9%9B%86%E7%8F%89%E5%B9%B3
田中萬米 https://awajishima-milk.jp/awaji-island-dairy-greats-tanaka-manbei/
追記) この掲示板は通常の絵文字は使えません。 掲示板の入力項目のコメントの上に表示されている絵文字をクリックしてみてください。 これら、絵文字のみ使用できます。
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移民の記録が残っているらしいので、 ( No.12 ) |
- 日時: 2024/07/03 22:31
- 名前: エリスリナ・ガル ID:PwiANbqc
- もう、ここまで来たら、南あわじ市に問い合わせするか三原町時代の町史か郡誌をあたるしか無いけれど、もう一手がありました!それは、移住者の記録を調べる事でしょうか。海外の移住者のデータべースが公開されている様なので、横浜か神戸の資料館に問い合わせれば、淡路島の出身かどうか判るハズ。
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田中数好について ( No.13 ) |
- 日時: 2024/07/05 07:27
- 名前: エリスリナ・ガル ID:T.IYX9yk
- 田中数好がアルゼンチンの賀集九平の明興園を出てからの記録でしょうか、『呼び寄せ渡航・移住者』と言う文章を著作しているらしいことが『力行会(リッコウカイ)』海外移住者のための語学教育などをしていた団体に関係していた様ですね。
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『力行世界』に掲載された田中数好の記事と写真 ( No.14 ) |
- 日時: 2024/07/05 16:42
- 名前: エリスリナ・ガル ID:/LTP89JQ
- 今朝ほど、力行世界の記事について事務局に問い合わせしましたら、投稿記事と農園を背景にした写真が送られてきました❗アルバムの解説には田中数好が兵庫県の出身とはありましたが、淡路島からとの確証は得られませんでしたので、別の文献なり資料にあたる必要があります。以上、この24時間で判明したことを報告します。
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いろいろ新情報、ありがとうございます ( No.15 ) |
- 日時: 2024/07/05 18:55
- 名前: 管理人 ID:uc0aUCHw
- いろいろ新情報、ありがとうございます。

私は、まったく手付かずです。 頭ばかりで、何も行動には移せずにいます。 
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芸術は爆発だ!の岡本太郎も淡路島縁の芸術家 ( No.16 ) |
- 日時: 2024/07/08 05:27
- 名前: エリスリナ・ガル ID:hYnKlnb2
- 出た〜あ、賀集健介、でも堅介でも賢介でも有りませんでした、岸本翁の覚書とありましたから?ヒョットして、岸本信正のホームページに関係あるのかな。で、、つてん出典はと言うと、益習館のホムページ?で北の零年の150周年の記念展示記録に有りました!岡本太郎も池辺良も稲田氏家臣の末裔だとか?
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岡本太郎も池辺良も淡路島からの子孫?は ( No.17 ) |
- 日時: 2024/07/08 22:31
- 名前: エリスリナ・ガル ID:9UAlZ4ww
- 益習の集い公式HPより『北の150年』2021年に有りました
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賀集益蔵も田中万米も前年に名誉市民受賞している、から? ( No.18 ) |
- 日時: 2024/07/09 19:27
- 名前: エリスリナ・ガル ID:hDm4.Ltc
- 『北の150年』の記事、益習之集いHP.2021.3.18の岡本太郎と池辺良のところのコメントには、管理者さんも書き込みされてましたね。コロナの影響で展示会が延期になったり、会場の変更などもあった様ですが、改めて展示内容や資料を閲覧出来たら、賀集家やもしかしたら、賀集九平の両親や縁者の事が判るでしょうか?南あわじ市の名誉市民の受賞者の何人かの職業や経歴や、業績をみていると、やはり九平の受賞理由には、?疑問符が付きますね。前年には田中万米も賀集一族も受賞している、ことから地元、両親の親族からの強力な『押し!』と云うか推薦でもないことには説明が、付きません。 0
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北海道 ( No.19 ) |
- 日時: 2024/07/10 01:04
- 名前: 管理人 ID:YhmgPiUg
- 淡路島出身で北海道に移住した方では、坂東秀太郎氏を淡路島出身の有名人として「淡路島出身有名人」のページに載せさせていただいています。
淡路島情報館 淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
また、淡路島から北海道に移住した方々の子孫では、池澤夏樹氏、池部良氏、岡田繁幸氏、岡田牧雄氏、岡本太郎氏、沼田義明氏を「淡路島ゆかりの有名人」のページの載せさせていただきました。
淡路島情報館 淡路島ゆかりの有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
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賀集九平の『世界のサクラ・日本のサクラ』から判明したこと ( No.20 ) |
- 日時: 2024/07/11 19:34
- 名前: エリスリナ・ガル ID:/yk2B4Ig
- 南あわじ市の名誉市民受賞者は16番目の賀集益蔵と17番目の伊藤春次までの全員がが昭和37年3月20日となっています。受賞制度が出来たのが、36年度だったのでしょうが、農業や果樹栽培、また8番の田中萬米の酪農と受賞地の南あわじ市で長年農業に拠る功績は市民(当時は三原町かな?)に良く知られたコトでしょうから、異論は無いと思います。教育や社会事業に功績があった方々も周知の事実でしょうし、16番の賀集益蔵や17番の伊藤春次については、全国区での産業功績として理解出来るのですが、2回目の12月4日の賀集九平の花卉園芸の功績は、地球の裏側、アルゼンチンでのお話でしょうから、ハテ?如何なものかと、思われます。
1974年に誠文堂新光社から本田正次と林弥栄の共著、『日本のサクラ』の中で賀集九平は、「10年ぶりに日本のサクラをみて」では、 私が前に日本のサクラをみたのは、東京オリンピックの前年であった。(昭和28年、受賞の翌年)また、ところが10年たって来日し、南は九州四国から北は北海道根室や 松前まで全国のサクラをみて歩いて驚いた。とも書いています。だとしたら、南あわじ市との関わりは何だったのか?と、アルゼンチンでの功績を元に、であれば、両親が淡路島、三原郡内との関係ぐらいしか想像出来ません。 受賞理由や当時の選定基準が不明なので、何とも言えないから、掲示板の管理種も困惑されるのは、もっともだと思います。
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長い長い船旅の末、エビータのエビデンスのひとつが ( No.21 ) |
- 日時: 2024/07/16 06:29
- 名前: エリスリナ・ガル ID:hiJwwkaI
- やっと、念願のエビデンスが、2018.10.28の益習の集いから、南あわじ市長の挨拶に続いて、賀集與三郎の解説の中に九平のコトが、有りました!與一郎も関係していりのか、注目しておりましたが、中々ヒットしませんでした。これで、出身は北海道で確定ですが、南あわじ市、当時の南淡町での功績評価についても、もう少し調べる必要が有りそうです。
できれば、話題のペロン大統領夫人の記載部分を広島市のHPか平和大通り樹の会からこちらに取り入れて頂ければ、国花のアメリカデイゴやアメリカサイカチの写真も閲覧出来ますので、お願い致します。
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淡路島ゆかりの有名人 ( No.22 ) |
- 日時: 2024/07/16 14:56
- 名前: 管理人 ID:0nSWInnE
- おー
エリスリナ・ガルさん、凄い。 大収穫です。
賀集九平について書かれていますね。 淡路島から移住した賀集與三郎の三男「九平」とあります。
見落とししていました。 
だいたい、昔の日本語を見だけで、めまいを起こすオイラです。
賀集九平は、淡路島ゆかりの方と言うエビデンスが出てきました。 後は、賀集九平が有名人かどうかです。 桜だけでなく、アルゼンチンでの事。 子供がアルゼンチンで大臣になり、エビータと知り合い。 十分にwikipediaに書かれても良いだけの特筆性があると思います。 どなたか、wikipediaに詳しい方に載せていただきたい。
少し整理をして、「淡路島ゆかりの有名人」のページに載せたいと思います。
益集のつどい公式HP (守本南あわじ市長様よりメッセージをいただきました。ありがとうございます。) http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
淡路島情報館 (淡路島ゆかりの有名人) https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
追記) ただ、エリスリナ・ガルさんがおっしゃるように、「南あわじ市名誉市民」に認定された理由が良くわからないのも事実です。 淡路島出身者の子どもと言うだけで、南あわじ市名誉市民に認定されるということは考えずらい。 この辺は、調査待ちでしょうか? 思うのは、当時、アルゼンチンのエビータが世界的な話題となり、エビータとのつながりのある方が、淡路島から北海道へ移住した方の孫と言うのが、当時、大きな話題となったことも考えられますね。 まあ、「あんな有名なかたと、淡路島がつながりがある」と言うのは面白いし、淡路島の方に知ってもらおうとした・・・
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益集のつどい公式HPの九平についての部分を転記 ( No.23 ) |
- 日時: 2024/07/16 15:02
- 名前: 管理人 ID:0nSWInnE
- 益集のつどい公式HPの九平についての部分を転記します。
読めない部分は「?」としました。
三男九平は秋田農学校農商務官省々属静岡県園芸試験所を卒業、兵庫県立園芸試験所技奉職、目下南米「アルゼンチン」に留学?ら園芸研究中なりと云う
益集のつどい公式HP http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
このあと、子どもがアルゼンチンで国会議員になり、エビータとつながりができるとは凄い。 (訂正 2024.7.17 大臣になったと掲示板にカキコしていましたが、国会議員のようです。)
wikipedia エビータ (映画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%BF_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
wikipedia エバ・ペロン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%B3
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その後 ( No.24 ) |
- 日時: 2024/07/17 13:06
- 名前: 管理人 ID:ihA595ig
- 益集のつどい公式HPさんの記事で、淡路島から北海道へ移住した賀集與三郎氏の活躍が紹介されていました。
益集のつどい公式HP http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
その記事の中で、「三男の九平はアルゼンチンに留学」と小さな文字で書かれたものが紹介されていました。 記事はここまでなのです。
が・・・ その後は、もっと凄い? 
1.賀集九平氏、エスコバールを「花の都」にする。
出典 ディスカバー・ニッケイ https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
2.子どもの賀集アンヘル清氏は、戦後のペロン政権のもと、大統領府法制局部長、統計局長、国会議員(1955年の軍事クーデターゆえに就任期間は5ヶ月間)、ブエノス州商工会議所監事、国内外企業のコンサルタント等を歴任。
出典 ディスカバー・ニッケイ https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
3.賀集九平氏、桜の本を出す。
出典 日本の古本屋 https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=142547422
4.賀集九平氏が日系移民代表として来日し、海外発展厚労省として、また、拓殖功労者として、外務大臣と拓殖大臣からさらに日本産業協會總裁の伏見宮博恭王殿下より、産業功労者として表彰状を賜った。
出典 エリスリナ・ガルさんの淡路島情報館・掲示板の書き込み。
5.賀集九平氏、南あわじ市名誉市民になる。
出典 南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
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九平はモッパラ、園藝に千年、専念中かな? ( No.25 ) |
- 日時: 2024/07/17 20:37
- 名前: エリスリナ・ガル ID:fHOLAPkM
- 益習の集いのHPの賀集與三郎は賀集村の生まれで、そのひとつ前の、安田権兵衛は福井とありませんでしたか?九平の母方が梅田家からと、両家が共に淡路島の三原郡からの移住者でしたね。読めなかった活字?は、おそらく『専ら』、現在のところ園藝に専念、していると言うところでしょうか?
樫村さんのアルゼンチンでの九平の評判は、その様でした。また、宮地勝夫社長は、かなり大胆な、型破りの編集長だった様ですから、間違いなく、花卉園芸組合や日本人会を巻き込んで、アルゼンチン公園の企画を発案したのか、扇動したのか?ですが、大統領官邸に出かけてエビータから、国花のアメリカデイゴののタネを受け取った、というのはあり得ると、思います。 淡路島の農業総合センターの南あわじ支所の庭に有るものも、このようなルートで 、或いは、名誉市民の受賞に対した返礼だったのかも? 名誉市民に推薦、受賞の運動展開をアルゼンチンからやったりしたのでしょうが?
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専ら ( No.26 ) |
- 日時: 2024/07/19 16:18
- 名前: 管理人 ID:CKelNWeo
- 「専ら」のようですね!
「専」は薄っすらと見えて、「ら」はハッキリと見えます。
読み方が「もっぱら」です。
コトバンク https://www.weblio.jp/content/%E5%B0%82%E3%82%89
もちろん、「もっぱら」は通常良く使う言葉なのですが、漢字があるのは知りませんでした。現代日本語では、漢字で書くことは余りない? 難しい専門書等では、今でも漢字で書くことも良くあるんでしょうか? 「もっぱら」を漢字で「専ら」と書けることの知識があれば、「益集のつどい公式HP」さんの添付の資料もすんなりと読むことができたかもしれませんね。
あ、でも「もっぱら」を漢字変換をすると、すんなりと「専ら」とでてくるじゃん。 恥の上塗りか? 
今、思うのは「益集のつどい公式HP」さんの添付の資料も国会図書館を念入りに調べて見つけて来られたんでしょう。 国会図書館の資料を念入りに調べることで、淡路島の今は余り知られていない貴重なことが見つかっていくことでしょう。 人の余りやらないようなことを、丁寧に根気よく、興味をもってやっていくことの大事さがわかります。 オイラのような凡人には中々できないことです。
ま! と言うことで、 とりあえず、 国会図書館に簡易登録をしました。 
しかし、本登録をしないとすべてを見る事はできないようなので、本登録を近日中にできればと思います。
「南あわじ市名誉市民」で中央魚類の創業者・伊藤春次さんの出身はどこなのか? 調べてみたいと思います。
でも、日本人は昔から、「なんでも文書化するのが好きだなー」と思います。
国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/
「益集のつどい公式HP」さんの添付の資料の賀集九平氏について書かれた部分を再転記します。
三男九平は秋田農学校農商務官省々属静岡県園芸試験所を卒業、兵庫県立園芸試験所技手奉職、目下南米「アルゼンチン」に留学専ら園芸研究中なりと云う
益集のつどい公式HP http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
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伊藤春次って、生まれは別にしても、時代背景は? ( No.27 ) |
- 日時: 2024/07/20 20:45
- 名前: エリスリナ・ガル ID:bx6GIav2
- 伊藤春次氏の中央魚類って、もしかしたら、渋沢栄一達が、明治14年でしたか?立ち上げた大日本水産会とかの縁の、ニッスイとか、戦前の帝国水産統制?の統制が、取れた昭和42年7月3日の設立のようですから。GGQの要請で、海上部隊の大日本水産と、陸上部隊の荷受けや加工・冷蔵と市場関係に分離した、中央卸売市場と地方市場に関係しているみたいですね。現在でも極洋やニッスイと資本関係は続いているのかな?
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主要株主 ( No.28 ) |
- 日時: 2024/07/20 21:47
- 名前: 管理人 ID:hJiRM6O6
- ほんまですねー
主要株主 日本水産 12.01% 足利本店 7.42% 極洋 5.36% 三菱UFJ銀行 4.98% みずほ銀行 4.98% (2021年3月31日現在)
wikipedia 中央魚類
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%AD%9A%E9%A1%9E
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沼島 ( No.29 ) |
- 日時: 2024/07/20 22:00
- 名前: 管理人 ID:hJiRM6O6
- そう言えばー
wikipedia「沼島」で、 「明治時代の末から大正時代にかけて、下関を中心に活動した日本有数の水産会社であった山神組は、沼島出身の山野音吉・鶴松親子と大阪・ざこばの鮮魚商であった神平商店が共同出資し作った会社」 とあった!
そして、「1918年(大正7年)には「日本水産株式会社」(現・ニッスイ)へ発展した」とあります。
中央魚類創業者の伊藤春次氏も、沼島生まれの可能性あり? そして、中央魚類もニッスイと資本関係あり!
沼島がポイント?
wikipedia 沼島 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%B3%B6
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沼島から下関へ、日本水産のルーツのひとつは栄一? ( No.30 ) |
- 日時: 2024/07/22 09:14
- 名前: エリスリナ・ガル ID:mLRgbLG6
- 沼島出身の山神組は山口の山村汽船魚業部かな?と対抗しながらお互いに発展した?渋沢のニッスイやニチレイの日本水産や帝国統制?市場は築地が本拠地のようなな感じですが、久原財閥やニッサンコンツェルンとかの名前も登場してきて、混乱しています

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伊藤春次は六大都市の中央市場の代表者? ( No.35 ) |
- 日時: 2024/07/25 01:17
- 名前: エリスリナ・ガル ID:bxAROHNY
- 中央魚類って、築地にいつ頃開業したのでしょうか?築地には海軍兵学校が江田島に移る前に、開校してたからお得意さんだったかも?
広島には陸軍糧秣支しょうがあって、缶詰が作られていました。サバ缶やマグロはどうか判りませんが、下関や広島にもマルはかなニチロやニッスイの工場が今もあるから、陸軍や海軍は日清・日露以来の御得意様でしたかね。ココで訂正、統制が取れて、開業したのは昭和42年ではなくて、22でした。GGQはモチロンGHQです。伊藤春次は、名誉市民になったあとの昭和43年でしたか、六大都市の中央市場の代表者として、農林水産委員会で国会で意見陳述をした、記録が有りました。
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三平は誰の子。甥?九平の出生地は? ( No.36 ) |
- 日時: 2024/07/28 03:11
- 名前: エリスリナ・ガル ID:ZurNMWjQ
- No.4のトコロで、賀集九平と賀集a平のevidenceを話題にされておりましたが、a平の方は、能勢敬三の創業者賀集a平傅が出現したので、どうでしょうか?ただ、a平の子供達が他の解説では一太、三平とか出てきますし、弟の恒次郎もコトバンク?の解説にあるようですから、記載の根拠や出典、引用元を調べてみる必要がありますね。九平の方は在アルゼンチン日本人会の会長や世話役を長年続けていたことから、同胞〇〇年史として出版、広く頒布されているから、まず、本人の履歴書を尊重して、北海道生まれとされたらいかがですか?
なお、兵庫県の移民史の中に、淡路島の地番があると言うのは、執筆者が直接、戸籍や渡航申請書を確認されたか、その引用元は何かを調べる必要が、有るような、気がします。益習の集いのHPにある安田・賀集與三の記事は日高町の町史や北海道開拓史に出ているような気がします。普通、出生地と言ったら寅さんの生まれも育ちも、のコトでしょうし、清水の親方の生国と発します?と言うのも同じ意味だと、考えれば、移民史からの記述をそのママ引用して、名誉市民に推挙したとしたなら、ソレも問題でしょう?両親の移住元の地番を調べて、移民史に載せる理由なら、根拠を移民史の他の記載部分を含めて検討されたら、如何でしょうか?
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淡路島出身有名人 ( No.37 ) |
- 日時: 2024/07/28 16:03
- 名前: 管理人 ID:OOwvqAmw
- 賀集a平については、数年前から淡路島情報館の「淡路島出身有名人」のページの陶芸家の項目に載せています。
賀集九平については、父親が淡路島出身と言うエビデンスもでてきました。 社会への貢献も大きくwikipediaに載せるだけの特筆性もあると思います。 wikipediaには、wikipediaに詳しい方に載せていただきたいですね。 淡路島情報館の「淡路島ゆかりの有名人」のページにも載せる予定ですが、少しまとめてから載せようと思います。
伊藤春次については、淡路島出身と言うエビデンスがあれば淡路島情報館の「淡路島出身有名人」のページに載せようと思っています。 国立国会図書館で沼島出身かどうかを調べようと思います。 ただ、現在は国立国会図書館には仮登録のままなので調べることはできていません。 一部図書館からも国立国会図書館を見る事ができるようなので、神戸市立中央図書館で調べるかもしれません。
あと、エリスリナ・ガルさんの指摘する渡辺盈作、近藤廉平、星合常恕については、淡路島出身と言うエビデンスと、wikipediaに載せる特筆性があるようでしたら、淡路島情報館の「淡路島出身有名人」のページにも載せようと思います。 この辺は、私の調査にも限界があるので、これからどうなるかはわかりません。 星合常恕については、wikipedia「星合常恕」として載っていますね。たぶん、 淡路島情報館の「淡路島出身有名人」のページにも載ることになると思います。
淡路島情報館 淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
淡路島情報館 淡路島ゆかりの有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
wikipedia 星合常恕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%90%88%E5%B8%B8%E6%81%95
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可能な限り推測は排除して、提示します ( No.38 ) |
- 日時: 2024/07/28 17:26
- 名前: あ ID:H1CI4kqI
- 伊藤春次が「淡路島出身有名人」に載るかどうかは、管理人様の「国会図書館への登録待ち」という感じでしょうか。
とはいえ、エビデンスを重要視する姿勢は尊敬に値します。推測と妄想交じりの話では、事実かどうか判断できませんものね。
一方、何をもって「エビデンスと呼ぶか」の議論の余地もあるでしょう。 ここは管理人様のWebサイトですので管理人様が判断されることになるでしょうが、以下についてはどのように考えられますか。
『三原郡史』724ページに「名誉町民」と見出しがあり、「西淡町と南淡町はつぎの各氏を名誉町民に推戴した。( )は出身地。」と記載され、「伊藤春次(沼島)」という表記があります。 『三原郡史』は信用に値しないからエビデンスに採用できない、という考え方もありましょうが、名誉町民となった昭和37年当時、伊藤春次氏はご存命でしたから、全くの誤記というわけでもないでしょう。
また水産総合月刊誌『水産界』1248号(昭和64年1月1日発行)の52ページで、「新刊紹介」として『魚市場人伊藤春次伝』が紹介されています。 そこでは、「・・・ここに変わり者が参入した。淡路の孤島沼島出身の一青年が上京して魚問屋を経営した。それが伊藤春治氏。彼はやがて・・・」と書籍の紹介がされており、沼島出身を裏付けるエビデンスとなり得るでしょう。
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難題です (ToT) ( No.39 ) |
- 日時: 2024/07/28 19:09
- 名前: 管理人 ID:OOwvqAmw
- ほんまに難しい

考えれば考えるほどー
たしかに、簡単にエビデンス、エビデンスといっていますが、なにをもってエビデンスとするか? また、エビデンスが複数あり、微妙に違う場合もあります。 出身地は何をもって出身地とする?
本人の言葉、本人の書籍、公的機関、メディア、wikipedia。
それに、有名人とはなんなの?
難しい難題を与えられました。

もう少し、考えて質問には答えさせていただきたいと思います。
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淡路島出身有名人と考えます ( No.40 ) |
- 日時: 2024/07/28 19:20
- 名前: 管理人 ID:OOwvqAmw
- 伊藤春次について、そこまで書かれているなら間違いなく淡路島出身と判断させていただきます。
ただ、文章を書くのは余り得意ではないので時間がかかりそうです。

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本登録完了(^^)v ( No.42 ) |
- 日時: 2024/07/31 23:24
- 名前: 管理人 ID:K1GEZP2M
- 国会図書館の本登録できました。
7月29日(月)の夜10時頃に本登録を申請し、翌7月30日(火)の昼の3時頃に本登録完了のメールが来ていました。
早かったな。
5日位かかるようにホームページに書かれてたと思ったけど。
仮登録から本登録への移行だったから早かったのかも?
さっそくに使ってみます。 
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魚市場人 伊藤春次小伝 ( No.43 ) |
- 日時: 2024/08/02 22:04
- 名前: 管理人 ID:qo6hQDUw
- あさん
>『三原郡史』724ページに「名誉町民」と見出しがあり、「西淡町と南淡町はつぎの各氏を名誉町民に推戴した。( )は出身地。」と記載され、「伊藤春次(沼島)」という表記があります。
>また水産総合月刊誌『水産界』1248号(昭和64年1月1日発行)の52ページで、「新刊紹介」として『魚市場人伊藤春次伝』が紹介されています。 そこでは、「・・・ここに変わり者が参入した。淡路の孤島沼島出身の一青年が上京して魚問屋を経営した。それが伊藤春治氏。彼はやがて・・・」と書籍の紹介がされており、沼島出身を裏付けるエビデンスとなり得るでしょう。
国立国会図書館で伊藤春次氏の部分を確認しました。
ありがとうございます。
新刊紹介での「魚市場人伊藤春次伝」の紹介部分は凄ーい。 私からも一部転記させていただきます。
江戸時代から続く日本橋魚市場の伝承を受け継ぐ東京・築地市場。 ここの有力者は日本橋時代から続く”旦那衆ばかり”。 ここに変わり者が参入した。 淡路島の孤島「沼島」出身の一青年が上京して魚問屋を経営した。 それが伊藤春次氏。 彼はやがて卸の単複問題の黒幕となって身を挺し、単一会社を実現した。 戦後は卸複数化にあたって、率先して中央魚類を設立して、東京で一、二を争う2部上場企業に成長させた。
いやいや、凄い。 国会図書館凄い。
南あわじ市のホームページで「南あわじ市名誉市民一覧」を発見し、そこで伊藤春次氏を知りました。 しかし、その後は伊藤春次氏については良くわからず放置。 こんなところに載っていたとはーーー
カズブックスから出版されている「魚市場人 伊藤春次小伝」を買えばうん千円もいったところでした。 伊藤春次氏の出身地を知るためだけにうん千円を出すのはきつい。 
南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝 http://www.kazubooks.com/?pid=109011171
追記) 「卸の単複問題」とは、なんぞや? 
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T6/T6-6-01-02-05-08.htm
https://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/gyosei/about/enkaku/
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お札も更新で、改めて水産業界再編を辿ると ( No.44 ) |
- 日時: 2024/08/06 04:35
- 名前: エリスリナ・ガル ID:1Dk2c3P2
- ここで、No.30.の誤記を訂正しておきます。
山口の、山村汽船魚業部は、田村汽船でした。 大日本水産会とニッスイか渋沢栄一で、出て来るはずなのですが? 何処が間違っているのか、管理者さんお願いします。
https://www.nihonsuisan.or.uplouds.
水産業界の再編は、漁船の大型化と漁法技術の発達と共に漁業法の改定に合わせて、進んて行った、と言うふうな背景、バックグラウンドの大きな変化が裏側にあったのですね。ニッスイやマルハニチロと片仮名書きでは、流れが把握出来ませんでした。神戸の水産物荷受け会社、~ も社印は、◯には、マルハだそうですね。
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春次と三平は?賀集三平は単なる同性同名でしかないのかも ( No.45 ) |
- 日時: 2024/08/06 05:03
- 名前: エリスリナ・ガル ID:1Dk2c3P2
- 失礼、しました。
~の後の空白は、~港魚類株式会社で、ジンコウギョルイですが、社印かな?商標は、◯に‘は‘、春次の会社はさて、◯に中だったりして? 広告の話しは、賀集三平の『買い物手引き』に繋がっていくのかな?
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山野音吉 ( No.46 ) |
- 日時: 2024/08/07 18:08
- 名前: 管理人 ID:u6wgrd8o
- 沼島の山野音吉が作った山神組については、三原郡史に詳しく書かれていました。
まとめて、転記させていただきたいたいと思います。
しばらくお待ちください。 
国立国会図書館デジタルコレクション https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001412894
https://dl.ndl.go.jp/pid/9574263
wikipedia 沼島 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%B3%B6
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山野音吉・鶴松親子と山神組と日本水産 ( No.47 ) |
- 日時: 2024/08/09 00:58
- 名前: 管理人 ID:t21JmreU
- wikipedia「沼島」に、「山神組」と言う項目があり、以下のように書かれています。
明治時代の末から大正時代にかけて、下関を中心に活動した日本有数の水産会社であった山神組は、沼島出身の山野音吉・鶴松親子と、大阪・ざこばの鮮魚商であった神平商店が共同出資し作った会社で、1918年(大正7年)には「日本水産株式会社」(現・ニッスイ)へ発展した。
「山神組」? 「沼島出身の山野音吉・鶴松親子」? 「「日本水産株式会社」(現・ニッスイ)へ発展した」?
始めて聞く名前と、 沼島出身の親子が作った会社が、現在のニッスイに発展したと驚くべき事実が書かれていました。 たいへん興味を持ったのですが、Googleで検索しても、それらしい事を書かれたものは見つかりませんでした。 そんな中、先日から使い始めた国立国会図書館デジタルコレクションで検索することにしました。 検索キーワードは「山神組」+「山野音吉」です。 さすが、国会図書館です。6件が見つかりました。 その中で「三原郡史」の396ページ目と397ページ目に分かりやすく書かれていました。重要部分を転記してみたいと思います。
山神組という沼島の山野音吉が創設した水産会社が、明治四十年ごろから大正七年にかけて、南朝鮮を中心に活躍した。 山神組は日本水産株式会社を設立した。 山神組は大阪ざこ場の有力な生魚商神平商店(鷺池平九郎)が資金を出し、沼島の山野音吉、同鶴松父子が生魚船を出した共同の企業であった。 大正六年増資によって資本金百三十万円にとなり、山野鶴松が代表取締役となった。この時、田村汽船株式会社社長田村一郎の資本がはいった。増資と共に日本水産株式会社となり、山野鶴松は副社長となった。 ・・・社内の意見が分かれ、山野ら沼島出身者の多数は日本水産から脱退し、大正七年新しい山神組を組織した。一部沼島出身者は日本水産に残留した。 資本力と設備の近代化で日水のために次第に押されていった。 大正十年内外水産を設立するなど挽回につとめたが、同年山神組は解散するの止むなきにいたった。
wikipedia 沼島 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%B3%B6
wikipedia ニッスイ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B9%E3%82%A4
wikipedia ざこば https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0
追記) wikipedia「ニッスイ」には、次のように書かれていますね! 1917年 ・6月3日 - 田村市郎が株式会社山神組の増資を引き受け、日本水産株式会社に改称[12]。 ・7月10日 - 日本水産の社章を商標登録[12]。
wikipedia「ニッスイ」の[12]のリンク先。
日本水産(株)『日本水産50年史』(1961.05) https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=30&query=&class=&d=all&page=16
渋沢栄一? 新紙幣の人物にやられちゃった? 
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ニッスイの創業年は1917年になるのではないか?1911年ではないと思う。 ( No.48 ) |
- 日時: 2024/08/09 04:41
- 名前: 管理人 ID:t21JmreU
- wikipedia「ニッスイ」の沿革の記述はおかしいのではないか?
次のように書かれています。
・1911年5月 - 久原財閥総帥・久原房之助の兄である田村市郎が「田村汽船漁業部」を山口県下関に創立、國司浩助らとトロール漁業経営を始める(日本水産の創業)[11]。 ・1917年 ・6月3日 - 田村市郎が株式会社山神組の増資を引き受け、日本水産株式会社に改称[12]。 ・7月10日 - 日本水産の社章を商標登録[12]。 ・1919年9月27日 - 「田村汽船漁業部」が組織変更し「共同漁業株式会社」に改称、松崎壽三が社長として就任[13]。
どこがおかしいかと言えば、 「1911年5月 ・・・ 國司浩助らとトロール漁業経営を始める(日本水産の創業)[11]。」 とあります。
そして、「1917年6月3日 - 田村市郎が株式会社山神組の増資を引き受け、日本水産株式会社に改称[12]。」
と言うことは、1917年に「田村市郎が株式会社山神組の増資を引き受け、日本水産株式会社に改称[12]。」時点が、ニッスイの真の創業となるべきはずです。 1911年5月に(日本水産の創業)とあるの間違いと思う。 「田村汽船漁業部」は、1919年9月27日に「共同漁業株式会社」に改称とも書かれています。 「ニッスイ」は「田村汽船漁業部」を引き継いでいないはずです。 まあ、と言うことでニッスイは山神組を引き継いだ会社なはずです。  ニッスイは、沼島出身の山野音吉・鶴松親子が創業した会社と言えるのでは? 
社史が1911年創業となっているのかもしれないがーーー
wikipedia ニッスイ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B9%E3%82%A4
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マルハと日露に、ニッスイの関係は? ( No.49 ) |
- 日時: 2024/08/09 06:17
- 名前: エリスリナ・ガル ID:zoAgKh4M
- 管理者さんの、疑問はもっともですが、少し前に触れた
田村汽船魚業部の関係で、林兼産業◯には?かな商標は、つまりマルハ、創業は山口の下関だと、思ってたら、明石が創業地らしいのです。詳しくは、ニッスイの150年史の41/320辺りを見て下さい、疑問の答えに🎯ると、想像します。ニチロが共同魚業となる時に、資本の力関係より、名前を取ったと言う事でしょうか?
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結局のところ、よくわからない! ( No.50 ) |
- 日時: 2024/08/09 07:17
- 名前: 管理人 ID:t21JmreU
- wikipedia「ニッスイ」の沿革をよく見ると、
1926年に、よくわからない動きです。
合併したり、改称したり・・・
ただ、「日本水産株式会」と言う名前が初めてでてきたのは1917年です。
wikipedia「ニッスイ」には、 「1917年6月3日 - 田村市郎が株式会社山神組の増資を引き受け、日本水産株式会社に改称」とあります。
でも、三原郡史は、「山神組は日本水産株式会社を設立した。」とありますね。
これだと、山神組が日本水産株式会社になったとは言えないなぁ!
結局のところ、よくわからない! 
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田村市郎の田村汽船漁業部がカンでいました! ( No.52 ) |
- 日時: 2024/08/12 09:41
- 名前: エリスリナ・ガル ID:C9Qgf7xY
- ニチレイ150年史では、なくて75年史でした。https://www.nichirei.co.jp/75thhistory/pageindices/index41.html#page=41
コチラをご覧に下さい。 ニチレイは戦後の会社だから、75年の歴史を纏めた訳ですが、そのもう一方の歴史、渋沢の関与した大日本水産会の設立は確か、明治14年と記憶しておるましたから、150年と言う事になって仕舞いました!この暑さの中で、頭の中も混同しております、少し冷やさないと。
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歴史は勝者によって作られる(^^) ( No.53 ) |
- 日時: 2024/08/12 13:45
- 名前: 管理人 ID:zL1vpvV2
- 歴史は勝者によって作られる。
日本水産の名前が初めて出てきたのは、1917年であるのは事実です。
勝者側から見るか、敗者側から見るかでしょう。
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漁獲戦争は漁船の建造投資から始まる? ( No.55 ) |
- 日時: 2024/08/19 12:04
- 名前: エリスリナ・ガル ID:Bd4Pdmes
- 少し、時代は下りますが、長崎の市場の戦前、戦中と戦後の水産業界の統制と改革に付いての流れは、参考になると思います。
底引きやトロール船での出漁と漁獲と運搬、水揚げ後の市場や冷蔵施設の整備も漁船の建造と、大手の凌ぎを削る戦いの結果が、現在に至ると?
https://www.nagasaki-uo.co.jp/ichiba_history02.htm
日本水産、マルハニチロに林兼産業と、こうだったのかと、少しだけですが…、歴史を学んだ様な気がします。
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渋沢栄一と水産会、梅子の父親ぬ津田仙も ( No.56 ) |
- 日時: 2024/08/25 20:15
- 名前: エリスリナ・ガル ID:JUaPscnI
- 上手くリンク出来なかった、ようでしたので
渋沢栄一と大日本水産会の記事です。
https://suisankai.or.jp/news/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80%E3%81%A8%E6%B0%B4%E7%94%A3%E6%A5%AD%E3%80%81%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%B4%E7%94%A3%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%A4/
また、大日本農会や津田仙の学農社とかも、別記事にて
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伊能測量隊は、沼島を本拠地に? ( No.58 ) |
- 日時: 2024/09/10 09:02
- 名前: エリスリナ・ガル ID:LNMlUE7k
- 少し前に、伊藤次春と沼島の関係が話題になっておりましたか、
幕府も北海道、蝦夷地の防備上の必要性から忠敬に測量をさせたのと同じ理由で、紀淡海峡も意識していたのでしょう。伊能の測量隊の本隊がかなりの日数を掛けて測量をしたコトが、記録に残っていますね。
宿、本拠地にしたのが嘉兵衛?はて、高田屋と同じとは、偶然でしょうか? 時代的に、北海道の測量の援助や測量船を嘉兵衛達が手配したのなら、案外、日本各地の湊にも営業地点なり、協力した同業他社も居たでしょうから、 詳しい証左は、後ほどに、しても、淡路島の漁師がこの頃から全国に進出して行ったのは、間違いの無いことでしょうか?後に、山神組や田村汽船漁業部が朝鮮や南シナ海へ漁場を求めたのも、嘉兵衛や伊能図も影響したのなら、國海の島、淡路島も、先日のドラマで子規や好古・真之の秋山兄弟の活躍に少なからず繋がったのでは、想像します。
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平瀬与一郎が淡路島を出た理由は、 ( No.60 ) |
- 日時: 2024/09/16 12:25
- 名前: エリスリナ・ガル ID:Yzx5aY7U
- 鈴木商店?の、加集益蔵は淡路島の何処に縁があるのかと、思い出したのが平瀬与一郎の職業と言うか、家業はなんだッた、のか、疑問に思い三原郡史(1322p)を開いて見ると、最初の業に
平瀬與一郎は安政六年(1859)三原郡福良平瀬守一郎(如舟)の後嗣として生まれた。平瀬家は福良宮の下の太子屋と言う屋号で、知られた富裕な商人であった。と、ありました。
そこで、淡路島と屋号太子屋、で検索してみると、なんと令和5年で創業155年になるという、企業が出て来ました。1900年が明治33年ですから、今から124年前の更に、21年前の明治12年の創業になりますか?三原郡史には自前の舟を所持していたらしいので、廻船問屋?とか、場所がら、a平焼を船積みした港に面した商家、庄屋だったのだろうと思います。
現在は、不動産をメインに淡路島産や国内産、輸入木材も扱う商社と、言った営業内容で155年も太子屋の暖簾を守っているようです。與一郎が明治20年に権利を譲った、暖簾分けでは無くて?縁の商店だと、思ったりしています。
ナゼ、こんな書き込みをするのかと言うと、先に與一郎は淡路島の商売に見切りを付けた?のだろうと、強引に書いてしまったので、少し心配になりました。 與一郎は名族賀集家のやすを娶りと何処かに有りましたから、 a平焼の三平とも、繋がる様な気がします。し、血縁だけでなく、南あわじ市の産物、玉ねぎはまだ普及していなくても、米や麦などの穀物や特産の淡路焼きの積み出し港として、また、焼き物に必須の薪や木材の集積・販売も手掛けていたと考えての、ことでした。 島内の産物を売り買いするには、島外との取引が必須でしょうから、a平が明治4年になくなり、一時は島内?三原郡の米の生産額を上回る生産を誇っていた、a平焼・淡路焼が衰退したのは、北海道への移住の前に、周辺の山の木々を薪や炭に変えたから、焼き物の産地として成り立たなくなったのでは、と考えたり、この辺は、三原郡史の産業の歴史のページを開いて見る必要が、有りますが、この辺は、また、改めてと、いたしましょう。
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賀集九平が日本人会の会長としてして来たこと ( No.61 ) |
- 日時: 2024/09/19 20:13
- 名前: エリスリナ・ガル ID:8QBLPrmU
- 賀集九平の名誉市民の解説は、きれいに纏められていて、流石だと思いました。
ひとつ、加えるなら、受賞の理由は花卉栽培の技術開拓とか、アルゼンチンでの花卉栽培組合の発展に寄与したのと、もう一つ、日本人会を通じてアルゼンチンとの交流を長年続けた事でした。淡路島との関係は、島の近親者の呼び寄せも有ったとは、思いますが、日本人会の会長として移住者全体の交流や互助会組織の運営とか、更に、病気や結核などの療養施設を運営したり、したことも重要な点だと思います。ほんの一部ですが、JICAの纏めた記録写真で見ることができます。
https://jommdms.jica.go.jp/fmp/fana/map/jp6_28/
https://jommdms.jica.go.jp/fmp/fana/map/jp6_29/
https://jommdms.jica.go.jp/fmp/fana/map/jp6_30/
https://jommdms.jica.go.jp/fmp/fana/map/jp6_31 /
https://jommdms.jica.go.jp/fmp/fana/map/jp6_32/
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賀集九平達のもう一つの大仕事が ( No.62 ) |
- 日時: 2024/09/22 21:27
- 名前: エリスリナ・ガル ID:GUZdjKu6
- 賀集九平が花卉園芸組合を土台として、在亜日本人会や次に紹介するアルゼンチンと日本の交流を促進する組合が出来たのも、九平の功績でしょうか?
賀集九平達が、立ち上げたアルゼンチン拓殖協同組合の設立は1953年と言いますから、エビーたの亡くなった年の前後に当たりますか?
https://ataku.org/profile /
また、組織を見て見ると、安東定夫や九平の名前が、理事や組合長として設立以来ずっと、関与して移住者の呼び寄せにも関わった事が分かります。
https://ataku.org/
この組織が、後のJICAに発展していったようですから?
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JICAに発展? ( No.63 ) |
- 日時: 2024/10/16 01:08
- 名前: 管理人 ID:z502JZRU
- アルゼンチン拓殖協同組合は、ミシオネス州の住民と子供たちの参加による植林活動とかやられているんですねーーー
日本人は世界中で植林しているのは誇らしい!
そして、この組織が後のJICAに発展していったんですか? それは、どこかに資料あるんでしょうか?
もし、JICAに発展していったんなら、凄くないですか? 賀集九平氏がかかわった組織がJICAに発展したのであるなら、賀集九平氏に対する評価もこれまで以上にアップです。
JICA - 国際協力機構 https://www.jica.go.jp/
https://www.jica.go.jp/volunteer/outline/history/
wikipedia 国際協力機構 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E6%A7%8B
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詳細は、JICAのアルゼンチン報告を見れば ( No.64 ) |
- 日時: 2024/10/17 10:07
- 名前: エリスリナ・ガル ID:QevIH/I.
- 確実な事は、まだ分からないのですが、ディスカバーニッケイ?のアルベルト松本さんの記事に、賀集九平の夫人、静子さんが神奈川県の農業技術センターで教えていたとか、また、松本の父親がその研修を受けて、第一回目の修業生としてアルゼンチンかウルグアイに移住したようです、から。
昭和27年頃から国交回復の動きの中で、次男は通商代表部の一員として静子さんと来日していた、のでは無いかと思います。
リンクが上手く出来ないのですが、JICAのレポートのアルゼンチンの園芸振興計画の最後に、年表が有ります。明治時代からの出来事が詳しく簡潔に述べられていますから、一読をされたら良いかと。
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今まで全然知らなかった方が、自分たちの身近な中で関与していたのを知ったりすると楽しい! ( No.65 ) |
- 日時: 2024/10/17 13:47
- 名前: 管理人 ID:b6oU1PEk
- 了解です。

調べれば調べるほど、新しい情報がでてきて楽しいです。
特に、今まで全然知らなかった方が、自分たちの身近な中で関与していたのを知ったりすると楽しいですね。
全然、役にはたたないかもしれなけどーーー

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世界の日本ザクラ ( No.66 ) |
- 日時: 2024/12/25 02:58
- 名前: 管理人 ID:fvqa0nIU
- エリスリナ・ガルさんの書き込みによれば、賀集九平(がしゅうくへい)氏が書かれた「世界の日本ザクラ」が国立国会図書館デジタルで読めるようです。
会員登録さえすればオンラインで自宅のパソコンで読めるので、ぜひ読んでみたいですね。 世界の日本ザクラは、1978年に誠文堂新光社より出版されています。
「世界の日本ザクラ」の末尾には賀集九平氏の略歴が書かれていますので転記します。
明治29年(1896年) 12月 北海道に生まれる 大正4年(1915年) 3月 秋田県立農学校卒業 大正6年(1917年) 3月 農林省園芸試験場園芸科卒業 大正7年(1918年) 12月 兵庫県立農事試験場技手の職を辞しアルゼンチンに渡り、ブエノスアイレス郊外のエスコバール市にて花卉園・研究所などを経営して現在にいたる 昭和15年(1940年) 11月 総理大臣より感謝状を受ける 昭和29年(1954年) 8月 日本ザクラに関する功労者として大統領賞を受ける 昭和31年(1956年) 12月 『アルゼンチン同胞50年史』を著わす 昭和34年(1959年) 7月 黄綬褒章を受ける 昭和42年(1967年) 4月 勲五等瑞宝章を受ける 昭和48年(1973年) 3月 日本さくらの会よりサクラの功労者として表彰状を受ける
淡路島情報館 掲示板 エリスリナ・ガルさん https://awaji.kobe-ssc.com/bbs/read.cgi?no=84
国立国会図書館デジタル 世界の日本ザクラ https://dl.ndl.go.jp/pid/12639331/1/98
追記)
ちなみに、 「総理大臣より感謝状を受けた」昭和15年(1940年)11月時の総理大臣は近衞文麿です。
「大統領賞を受けた」昭和29年(1954年)8月時のアルゼンチン大統領はフアン・ペロンです。妻のエバ・ペロン(エビータ)は、1952年に亡くなられています。
また、賀集九平氏が南淡町の名誉町民(現南あわじ市の名誉市民)を受けたのは、昭和37年(1962年)12月4日です。 南あわじ市の名誉市民のページでは、賀集九平(かしゅうくへい)となっています。 「がしゅう」と「かしゅう」? お孫さんの賀集イレーネさんも「がしゅう」さんのようです。
賀集イレーネさんが「がしゅう」さんと知ったのは最近です。ずっと、「かしゅう」さんと思い込んでいました。 
南あわじ市賀集は、「かしゅう」と読みます。
でも、 総理大臣から感謝状とは凄い。 黄綬褒章(おうじゅほうしょう)、勲五等瑞宝章(くんごとうずいほうしょう)も受けられているようなので、エビデンス等を確認の上で、淡路島ゆかりの有名人のページを更新したいと思います。
wikipedia 近衞文麿 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF
wikipedia フアン・ペロン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%B3
南あわじ市 南あわじ市名誉市民 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
賀集イレーネ https://www.jauw.org/renew2021/wp-content/uploads/2023/03/IWD2023JAUW%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC1.31.rev_.pdf
淡路島情報館 淡路島ゆかり有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
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国立国会図書館デジタルは「全文検索」を使おう! (;>_<;) ( No.67 ) |
- 日時: 2024/12/26 08:16
- 名前: 管理人 ID:ywUsMKQo
- 国立国会図書館デジタルには「全文検索」という機能があるのを、今知りました。
むちゃ、良いやん。
国立国会図書館デジタルは、使い勝手が悪いとか、なんとか言いまくりましたが撤回します。 
今まで、単に使いこなせていなかっただけのようです! 
Googleと国立国会図書館デジタルでの検索方法が、微妙に違う点が使いこなせていなかった理由です。 国立国会図書館デジタルでは、「複数」キーワードでの「and」検索と「or」検索をうまく使いこなせていませんでした。
Googleの場合、 ・「複数」キーワードでの「and 検索」は、キーワードとキーワードの間に「空白」、又は「and」を入れます。「and」の前後には空白が必要です。 ・「複数」キーワードでの「or 検索」は、キーワードとキーワードの間に「or」を入れます。「or」の前後には空白が必要です。
国立国会図書館デジタルの場合、 ・「複数」キーワードでの「and 検索」は、国立国会図書館デジタルのTOP画面で検索窓にキーワードとキーワードの間に「空白」を入れるのはGoogleと同じです。 ・しかし、検索された本を開いた状態での検索は違ってきます。「全文検索」を選び、検索窓に複数キーワードを入力し実行すると、「or 検索」になります。複数キーワードのどちらも有効になるのです。ですから、「全文検索」での複数キーワードでの「and」検索は使えない事を理解しておけば問題なく使えるように思います。
追記) 三原郡史を検索し開いた後、「全文検索」で「賀集九平」を入力し検索すると、3箇所検索されました。
p719で詳しく書かれていますので、まとめた上で転記したいと思います。
国立国会図書館デジタル 三原郡史 p719 https://dl.ndl.go.jp/pid/9574263/1/389?keyword=%E8%B3%80%E9%9B%86%E4%B9%9D%E5%B9%B3
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JICAの報告から、亞国園芸組合の歴史 ( No.68 ) |
- 日時: 2024/12/30 13:55
- 名前: エリスリナ・ガル ID:6VAEDrg2
- アルゼンチン花卉園芸振興計画の報告書
https://drive.google.com/file/d/1Q-YEENaAQcQbzLzellhO0-w53c4cvc9a/view?usp=drivesdk
ココの年表に賀集九平等の活動が、記録されています。
JICAのアルゼンチン農業支援事業は、同胞50周年に書いた、希望通りの展開になった様です、ね。
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高田屋嘉兵衛と共に捕らえられた金蔵の故郷は今 ( No.69 ) |
- 日時: 2025/01/04 20:24
- 名前: エリスリナ・ガル ID:ekjo8wTc
- 少し、横道に、高田屋嘉兵衛の金蔵を調べて、いたらココにも鈴木商店が、出て来ました。
https://www.suzukishoten-museum.com/footstep/area/hibi/ 鞆や下津井と共に当時は潮待ちの港として、日比港は栄えていた様です。瀬戸内海大橋、児島坂出線が開通して宇高連絡船が衰退、鳴門橋が完成したら、徳島側の小松島港も昔の賑わいは偲ぶべくも有りません。
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観世丸水主 金蔵の『ヲロシア帰朝話』について ( No.70 ) |
- 日時: 2025/01/08 00:35
- 名前: エリスリナ・ガル ID:KDaH/3e2
- 岡山県立図書館から、正月明けに以下の資料があると、連絡がありました
。
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100258135/1?ln=ja
https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004093020021942737
金蔵は、松太郎、また徳兵衛と名乗っていたようですね 。
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複製サレタ一茶翁四季扇面屏風とは ( No.71 ) |
- 日時: 2025/01/11 06:38
- 名前: エリスリナ・ガル ID:H4VX2kT2
- 淡路の高田近蔵(方壺)の句と一茶に唐紙に揮毫を依頼した、句
一茶全集(信濃毎日新聞)と一茶大事典より
https://photos.app.goo.gl/2oKT2ytd7eMYRhFk8
https://photos.app.goo.gl/2Zb6As2wgkNfDAJM8
https://photos.app.goo.gl/yRXMhcQVDufCSFMW9
ポイントは、金一歩にて、方壺が書いてとヨ越したと言う、四キの4句です。 ソレは、複製・一茶翁四季扇面屏風の4句では?
コレも、妄想と言えば妄想では、有りますが、唐紙が屏風にバケバケなら
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一茶の、屏風が展示されていた様ですが ( No.72 ) |
- 日時: 2025/01/17 00:00
- 名前: エリスリナ・ガル ID:DlBqF0hI
- 何と、2022年に一茶記念館で一茶の『四季扇面の屏風』が展示されていた様です。
一茶の貼交屏風、信濃に帰郷 80年ぶり発見、記念館で展示 /長野 | 毎日新聞
https://search.app/6b5v6dQ15JvHvZza8
高田近蔵が、一茶に依頼したモノと同一か、どうかは分かりませんが、かなり最近の話ですから。
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明治初期の高田屋は ( No.73 ) |
- 日時: 2025/01/20 08:57
- 名前: エリスリナ・ガル ID:Vcuvjwxw
- 少し、また脱線と言うか、一茶の屏風は置きまして、明治14年11月の発行当時は、兵庫津の高田屋はどうなっていたのか、判りませんが、『豪商、神戸の魁』
には、2件程高田の名前がついた商店が有りました。
https://photos.app.goo.gl/s2CBEKKVZQ6b3oJb6
モチロン、嘉兵衛の跡を継いだ弟金兵衛は、闕所となり全財産を没収されたとありましたから、兵庫津や大阪、淡路島の兄弟の店のその後が少し気になりますが
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賀集九平の「出身地」と「生誕の地」について ( No.74 ) |
- 日時: 2025/01/27 06:15
- 名前: 管理人 ID:xWGMJalM
- 賀集九平の「生誕の地」はどこか?
いまだに、釈然としませんねーーー 
■出身地 賀集九平の「出身地」は、どこかと言えば「北海道」と言いきれます。
賀集九平自身が「生まれた地」を「出身地」とするなら「生まれた地」が「出身地」であるし、学校へ行ったり、幼少期を過ごした地を「出身地」とするのもおかしくありません。
賀集九平自身の著作は、「出身地」の記述は一つもありません。本人の著作物からは「北海道に生まれる」としかありません。 しかしながら、その他資料からは「淡路島生まれ」を匂わすように書かれた資料もあります。 ただ、本人の著作物では「北海道生まれ」とあるし、経歴を見ても出身地は「北海道」と言い切れます。
■生誕の地 では、賀集九平の「生誕の地」はどこか? 賀集九平氏は、北海道で生まれたのか? それとも、淡路島で生まれた?
「出身地」は、本人の意思しだいと言えますが、「生誕の地」は本人の意思とは関係はないと思います。生まれた場所は一つのはずですから。
賀集九平自身の著作は全て「北海道生まれ」となっていますが、その他資料からは「淡路島生まれ」をうかがわせるものがあります。
本人の著作物、その他資料の「生誕の地」等が書かれたものを時系列に記したいと思います。
★アルゼンチン同胞五十年史(賀集九平著 1956年出版) 「明治29年(1896年) 12月 北海道に生まる。」
https://dl.ndl.go.jp/pid/3445480/1/5?keyword=%E8%B3%80%E9%9B%86%E4%B9%9D%E5%B9%B3
★兵庫県海外発展史(兵庫県海外発展史編集委員著 1970年出版) 「賀集は、三原郡南淡町賀集の出身で、明治二十九年十二月十五日に生まれた。一家が北海道に転住していた関係上・・・」
https://dl.ndl.go.jp/pid/11969776/1/322?keyword=%E8%B3%80%E9%9B%86%E4%B9%9D%E5%B9%B3
★世界の日本ザクラ(賀集九平著 1976年出版) 「明治29年(1896年) 12月 北海道に生まれる」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12639331/1/98?keyword=賀集九平
★三原郡史(三原郡史編纂委員会著 1979年出版) 「賀集九平は南淡町賀集の出身で、明治29年生まれ、一家が北海道に転住していた関係で・・・」
https://dl.ndl.go.jp/pid/9574263/1/389?keyword=%E8%B3%80%E9%9B%86%E4%B9%9D%E5%B9%B3
★アルゼンチン同胞八十年史(賀集九平著 1981年出版) 「明治29年(1896年) 12月15日 北海道沙流郡平取村で生れた。」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853326/1/124
■結論 このコメントを書いているうちに、出世地、出身地ともに良く分からなくなってきました。 
1970年出版の「兵庫県海外発展史」には、賀集九平について詳しく書かれていますので、簡単にまとめたいと思います。
・アルゼンチンの日本人と言えば花卉栽培が想起されるが、賀集は先駆者であると同時に指導者として偉大な貢献をした。 ・賀集は三原郡南淡町賀集の出身で、明治29年12月15日に生まれた。 ・一家が北海道に転住していた関係上、空知農学校に学び、転じて秋田農学校本科を卒業したのち、農林省園芸試験場園芸課を卒業した。 ・卒業後、兵庫県農事試験場技手となった。 ・一年後の大正7年12月にアルゼンチンに渡航した。 ・大正8年12月、ペルーホ種苗会社に入社した。 ・大正12年9月、兵庫県人の田中数好と共同で、既存の花卉園を譲うけ「明興園」と名付けてバラ、菊、ダリアの鉢栽培を開始した。これがアルゼンチンにおける鉢栽培の嚆矢(こうし)であった。*1 ・大正13年4月、アルゼンチン市内に新しい花卉園を開設し、カーネーションの温室栽培を開始した。これまた、日本人花卉業者の温室切花栽培の草分けであった。
・・・
・昭和4年3月、エスコバールに3ヘクタール借地し、ここに明興園の育成部を移した。これが同地方における日本人花卉園の嚆矢(こうし)であった。 ・昭和8年、在亜日本人花卉園業者の相互扶助機関として花卉園芸同業組合が設立され、会計監査に就任。 ・昭和13年、在亜日本人花卉園芸組合連合会の初代会長に推される。 ・昭和15年、拓務省が計画した海外在留邦人代表者会議でアルゼンチン代表に選ばれ、日本政府の招へいにより帰国。各地でアルゼンチン事情の啓発に貢献した。その際、外務省から海外発展功労者として、拓務省からは海外拓植功労者として表彰を受ける。さらに、同年には日本産業協会からも在外産業功労者の表彰も受ける。*2 ・昭和18年、有限責任アルゼンチン花卉産業組合長に就任。 ・昭和28年、アルゼンチン拓殖共同組合監事、監査役となり、現在に至る。 ・昭和37年7月、岸信介首相のアルゼンチン訪問の際、花卉業の発展に貢献したとして黄綬褒章(おうじゅほうしょう)を授与される。*3 ・昭和41年、兵庫県人海外移住先駆者として知事表彰をうける。「アルゼンチン同胞50年史」「花卉園芸40年」の著者および編者として知られ、また花卉園芸に関する著作・論文も多い。南淡町は名誉町民に推し、郷土の先駆者をたたえている。*4
*1 goo辞書 嚆矢 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9A%86%E7%9F%A2/
*2 wikipedia 拓務省 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%93%E5%8B%99%E7%9C%81
*3 wikipedia 黄綬褒章 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%92%E7%AB%A0#%E9%BB%84%E7%B6%AC%E8%A4%92%E7%AB%A0
*4 南淡町の名誉町民には昭和37年になっています。 南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
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国道交通省での、出身地の扱いは ( No.75 ) |
- 日時: 2025/02/06 23:18
- 名前: エリスリナ・ガル ID:U7QUXwjs
- 出生地と出身地について、
国道交通省での扱い?は······、 生まれた、土地と育った場所が異なる場合、転勤族とかの子供だと、中々難しいと思われます。
https://note.com/yon_95/n/nc17930b50c2d
なぜ、国道交通省が、と思われますが、恐らく、交通省の前身の運輸省でしょうか、交通機関で旅行中や船舶で渡航や旅行中に災害や事故、遭難とかの場合同姓同名の人物を見分ける必要が有る事は、以前述べたとおりですが、性別や年齢だけでなく、生年月日も重要な事項ですね。パスポートにも記載する項目があった様に思います。 この辺は、コレだと言い切れないのですが、最近誰かさんが、出生地主義を前提に不法移民でも、生まれた場所か米国なら、アメリカ人!を見直しするとか、 賀集九平の場合は、ある意味で渡航申請書とか、も参考になると思って、います。
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中央魚類創業者の伊藤春次氏の事が書かれた資料が国立国会図書館デジタルにありました。 ( No.76 ) |
- 日時: 2025/02/26 20:00
- 名前: 管理人 ID:xLQ0EiCA
- 沼島出身で中央魚類創業者の伊藤春次氏の事を詳しく書かれた資料が、国立国会図書館デジタルに見つかりました。
資料は、総合調査研究所より1979年に出版された「市場人名鑑 : 水産物市場及び市場関連業の指導者 首都圏」です。
『市場人名鑑 : 水産物市場及び市場関連業の指導者 首都圏』,総合調査研究所,1979.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11935272 (参照 2025-02-26)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11935272/1/17?keyword=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%98%A5%E6%AC%A1%E3%80%80%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B6
一部をまとめて転記しておきたいと思います。
中央魚類株式会社相談役 社団法人全国中央市場水産物 卸売業者協会顧問 伊藤春次
明治33年兵庫県淡路島生まれ。 大正13年神戸高商(現神戸大学)を出た。 中央卸売市場きっての理論家。
中央魚類創立者の一人であり、日本一の大卸売会社に育てた、同社にとっての功労者。
伊藤氏は、決して投機や冒険を行わない主義。 ・・・ この見識が、中央魚類が他社が味わった苦難から救った。
全国市場会の代表的な人物であった伊藤さんが、中央地方の卸売市場界につくした功績ははかりしれない。 勲四等瑞宝章、黄綬褒章受章。
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在アルゼンチン日系人録 1968 ( No.77 ) |
- 日時: 2025/03/09 03:23
- 名前: 管理人 ID:vGO7ZQRo
- 国立国会図書館デジタルを見ていると「在アルゼンチン日系人録 1968」と言う本が見つかります。
ここには、賀集九平、賀集万吉の兄弟などアルゼンチン在住者について9項目について詳しく書かれています。 写真付きです。 弟の賀集万吉氏は真面目そうな感じの方です。なんか、私の母方のじいちゃんに似ている気もするな。 
一般人でもあるし、現在の個人情報にあたるような気もしますので、@出生地、A出生年月日、C職業、H趣味についてのみ転記をしておきます。 賀集万吉氏の趣味で「ローサ」とありますが、なんだろう?
★賀集九平 @出生地 北海道日高国沙流郡平取町 A出生年月日 明治29年(1896年)12月15日 C職業 花キ園芸 H趣味 読書と植民の研究並試験
★賀集万吉 @出生地 北海道沙流郡平取町 A出生年月日 明治32年(1899年)12月17日 C職業 花キ園芸、ローサ H趣味 天狗つり倶楽部(会長)釣り、浪花節
在アルゼンチン日系人録 1968 ページ64 https://dl.ndl.go.jp/pid/12852947/1/37?keyword=賀集万吉
亜国日報編集者の宮地勝夫氏についても載っています。 残念ながら写真はついていません。 職業の〇の部分は漢字がわからず〇としました。
★宮地勝夫 @出生地 兵庫県三原郡八木村 A出生年月日 明治39年(1906年)6月10日 C職業 〇菜・花キ園芸、ピアノ修繕師、新聞社長 H趣味 民族伝承学、音楽、舞踊、創作等
在アルゼンチン日系人録 1968 ページ478 https://dl.ndl.go.jp/pid/12852947/1/244?keyword=%E5%AE%AE%E5%9C%B0%E5%8B%9D%E5%A4%AB
追記) 「在アルゼンチン日系人録 1968」をキーワード「淡路島」や「淡路」「洲本」「三原」等で検索をしましたが、宮地勝夫氏以外に淡路島関係の方はみつかりませんでした。 あと思ったのは、趣味をが読書としている方が多い。それは良いのですが、囲碁としている人も結構多い。将棋と書いている人は、ほとんどいない。最近、日本では囲碁人口の減少が気になります。最近の日本の囲碁界は、どうなっているんよ?
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アルベルト松本の父親は農業技術者かな ( No.78 ) |
- 日時: 2025/03/12 08:32
- 名前: エリスリナ・ガル ID:g7bpVwW6
- アルベルト松本さんのインタビュー記事が、有りました。
父親が農業技術者だったらしいから、賀集九平や高市茂、田中数好とかの交流が有ってもおかしく無い様な、気がします。
https://5dn.org/ja/interviews/clips/1723/
また、田中数好と同じ移民会社の力行会にも所属していた様ですから、田中千信とどう繋がって来るか期待出来そうです。
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賀集九平の夫人、静子さんの記事 ( No.79 ) |
- 日時: 2025/03/20 09:45
- 名前: エリスリナ・ガル ID:46tSRv.g
- アルベルト松本さんのディスカバーニッケイのインタビュー記事、何度か出て来ましたが
父親が神奈川県の研修所で賀集九平の夫人の静子さんからアルゼンチンの事情を聞いた事が出ておりましたから、再掲してみます。
https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
そして、亜爾然丁時報の記事が日本文化センターから公表されています。
https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/ichiran.php?title=ArgentinDjijo
大正14年6月13日の記事に、賀集九平が夫人と共にハワイ丸かな、帰国した記事と、その下にも私人・公人の処にも記事が、有りました。
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