魚市場人 伊藤春次小伝 ( No.1 ) |
- 日時: 2021/01/25 15:30
- 名前: 管理人 ID:al9sYDfI
- 南あわじ市のホームページの「南あわじ市名誉市民一覧」には多くの方が載っています。
今、注目しているのは伊藤春次です。
東京に中央魚類と言う約2000億の売り上げを誇る水産会社があるようです。 その創業者が伊藤春次です。 伊藤春次の息子の伊藤裕康氏が旭日中綬章を受章したとの記事がみつかります。 その記事の中で「父は神戸高商の夜間部で苦学した人でした。」とあります。
また、「魚市場人 伊藤春次小伝」と言う本がでているようです。 そこに、「沼島」「神戸」と言う言葉がでてきます。
伊藤春次さんは沼島出身かも? あるいは、神戸出身で淡路島の水産物を扱った方の可能性もありそうですがー
南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
水産タイムス 冷食タイムス 〜この人に聞きたい〜 http://www.suisantimes.co.jp/cgi-bin/interview.cgi?n=569
カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝 http://www.kazubooks.com/?pid=109011171
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呱々の声・沼島 ( No.2 ) |
- 日時: 2021/01/25 21:36
- 名前: 管理人 ID:al9sYDfI
- 「カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝」には以下のように書かれた部分があります。
呱々の声・沼島、神戸・社会第一歩、東京で「いせ高」旗揚げ
「呱々」の意味が良くわからないのでGoogleってみました。 Weblio辞書には次の様にあります。
赤ん坊の泣く声。特に、生まれてすぐの泣き声。
と言うことは「呱々の声・沼島」の意味は「沼島で生まれた」と 言うことでしょうか? 売上高2000億円(連結)の中央魚類の創業者・伊藤春次さんの出身は沼島と考えて良いのではないでしょうか? たぶんーーー
Weblio辞書 呱々 https://www.weblio.jp/content/%E5%91%B1%E3%80%85
カズブックス 魚市場人 伊藤春次小伝 http://www.kazubooks.com/?pid=109011171
wikipedia 中央魚類 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%AD%9A%E9%A1%9E
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エビデンスが欲しいです。 ( No.3 ) |
- 日時: 2021/02/15 06:04
- 名前: 管理人 ID:oDIx1UoA
- 伊藤春次さんは沼島出身だと思われます。
しかし、沼島出身だと言う確かなエビデンスはありません。 よって、淡路島情報館のwikiのページの更新は行いません。
伊藤春次さんを含め淡路島出身有名人の情報が何かありましたら、当掲示板への書き込みのほどよろしくお願いします。 ![](./img/smile02.gif)
淡路島情報館 淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
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アルゼンチンで花卉栽培の専門家として活躍した賀集九平氏も淡路島出身? ( No.4 ) |
- 日時: 2023/03/21 19:44
- 名前: 管理人 ID:AnzaujZs
- 賀集九平氏も淡路島出身なんでしょうか?
「淡路島」+「賀集」でGoogle検索をしていて見つけた「ディスカバー・ニッケイ」のアルベルト・松本さんの「「花の都:エスコバール」日本人移住90周年(2019)と自分のルーツ再認識」と言う記事があります。
ディスカバー・ニッケイ https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
記事によると アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市の北部50キロにあるエスコバールは「花の都」として知られているんだそうです。 毎年10月には「花祭り」が開催され、国内外からの新しい品種の展示やその品評会、エスコバール日本人会を含むの複数の地元団体によるカーネションなどで飾った花車のパレードやミス花祭りコンクールが行われると言う。 そして、エスコバールの花卉栽培は、北海道出身で花卉栽培専門の農業技師だった賀集九平氏が、1929年にこの土地にやってきたのがその始まりといわれているんだとか!? 2019年11月にはエスコバール日本人会の会館で賀集九平さんの到着を記念して日本人移住90周年の祝賀式典が行われた・・・
また、賀集九平氏の長男アンヘル清氏は国会議員にもなり、次男で会計士のアルベルト氏は、在京日本大使館の商務参事官職を歴任したらしい。
またまた、賀集の名前がーー
すげー
またまた、「賀集」ネタですいません! ![](./img/smile01.gif)
賀集九平氏は、花卉栽培の尽力で南あわじ市名誉市民に選ばれるている方です。
南あわじ市・南あわじ市名誉市民一覧表 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
「ディスカバー・ニッケイ」の記事には北海道出身の花卉栽培専門の農業技師とあります。 南あわじ市のホームページには淡路島出身とは書かれてはいません。 しかし、淡路島出身で著名人の多い賀集一族と同じ苗字です。そして、南あわじ市名誉市民です。 南あわじ出身、あるいは北海道移住後にアルゼンチンへ移民された方ではなかろうか?
しかし、淡路島出身というたしかなエビデンスがないので淡路島出身有名人のページには載せられません。
エビデンスが欲しいです。 淡路焼の賀集民平、淡路鉄道の賀集新九郎、鈴木商店の賀集益蔵、将棋棋士の賀集正三、賀集書店(後の海文堂)を開業した賀集喜一郎、俳優の賀集利樹と関係はあるのか?ないのか? 気になって眠れません。 ![](./img/smile05.gif)
淡路島情報館・淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
![メンテ](./img/mente.gif) |
賀集院太郎氏、賀集晶氏 ( No.5 ) |
- 日時: 2024/02/08 13:14
- 名前: 管理人 ID:Jq3AHeNc
- 他にも「賀集」さんで気になる方が二人います。
賀集院太郎
映画の脚本家です。 若山富三郎の映画デビュー作「忍術児雷也」の脚本もされています。
キネマ旬報 https://www.kinejun.com/person/view/116791
新東宝チャンネル 忍術児雷也 https://youtu.be/wxsHIpNeY5g?si=douZhe9ms5mRQkwl
賀集晶
神戸出身の裁判官の方です。
wikipedia「賀集晶」 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E9%9B%86%E5%94%B1
賀集院太郎さん、賀集晶さんは淡路島と関係あるのかないのか? やっぱり、気になって良くねれません。
![](./img/smile05.gif)
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賀集九平 ( No.6 ) |
- 日時: 2024/05/12 02:57
- 名前: N ID:WA7BR1tU
- 賀集九平氏の生まれは北海道です。
S51年3月30日出版の『世界の日本ザクラ』の著者略歴には、
明治29年 北海道に生まれる 大正4年 秋田県立農学校卒業 大正6年 農林水産省園芸試験場園芸科卒業 大正7年 兵庫県立農事試験場技手の職を辞し、アルゼンチンに渡り…
とあります。 なお、兵庫県立農事試験場は明石市北王子村位置します。
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淡路島ゆかりの有名人 ( No.7 ) |
- 日時: 2024/05/12 18:30
- 名前: 管理人 ID:aPWuvTZE
- Nさん
新情報、ありがとうございます。
と言うことは、賀集九平氏は北海道出身という事みたいですねー
しかしながら、「南あわじ市名誉市民」になっていることも事実ですから、南あわじ市となんらかな繋がりがあるのは間違いないと思われます。 例えば、先祖が南あわじ市からの移住者であるとか?
そんなわけで、「南あわじ市名誉市民」になった理由がわかりしだい、「淡路島ゆかりの有名人」のページにのせたいと思います。 なんらかなエビデンスが見つかれば良いのですがーー ![](./img/smile01.gif)
南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
淡路島情報館 淡路島ゆかりの有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
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賀集さん ( No.8 ) |
- 日時: 2024/07/01 16:51
- 名前: 管理人 ID:mI4/rHd.
- またまた、見つけました。
有名人の賀集さん。
それも、お二人も。 ![](./img/smile05.gif)
全国的に見ても珍しい名字のはずの賀集さん。
賀集さんに限らす有名人っているもんだなと思う今日この頃です。
お一人目は 賀集裕子さん
https://www.nhk.jp/p/c-club/ts/6N5K88R4Q5/episode/te/2LZWLY855Y/
お二人目は 賀集洋一郎さん
https://cir.nii.ac.jp/crid/1130282271799204224
淡路島と関係あるのかないのか? やっぱり、気になって良く寝れません。
![](./img/smile07.gif)
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賀集九平の経歴を自ら語る! ( No.9 ) |
- 日時: 2024/07/03 00:00
- 名前: 渡部 正明 ID:mwt54R7U
- 賀集九平が皇紀2600年を記念した祝賀会?かな、にアルゼンチンの日本人会を代表して日本に向かう送別会?かな、祝賀会の記事が亜爾然丁時報にありました!また、日本での行事の概要を日本放送協会で語った内容も翌年の同じ亜爾然丁時報の昭和16年4月17日の連載記事(10)が、あり、ディスカバー・ニッケイのアルベルト松本しの投稿の出典らしい事が判明しました❗ょ。
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賀集九平と田中数好の繋がりは? ( No.10 ) |
- 日時: 2024/07/03 16:12
- 名前: 渡部 正明 ID:lLkrWGe6
- 賀集九平とアルゼンチンで明興園を協同経営していたのが田中数好と出てきました❗その後九平は弟の万吉を呼び寄せて兄弟で花卉を栽培することになった様ですね!せこで、気になる共同経営をしていた田中数好ですが、兵庫県の出身の農業技術者らしいのですが、もしかしたら、九平が一年間働いていたという、県の農業試験場の職員とか、相談を受けていた農家?の次男坊とか?
そこで、ハタと閃いたのが、南あわじ市の名誉市民と関わりがあるとしたら、合併みえの三原郡の有力者との繋がりが無いと、ダトすれば田中万米が最有力候補として浮上してきませんか❗淡路島の酪農のらその縁者を通じて賀集九平も何らかの交友なり、多額の寄附とか、淡路島から若い青年を移住者として受け入れたりもあり得るのでは、と想像の範囲ですが、昭和37年頃なら酪農組合長とか、議員や村長もされてきた訳ですから、数好が息子でなくても、縁者であった可能性はあるかも?と
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田中家と賀集家 ( No.11 ) |
- 日時: 2024/07/03 20:21
- 名前: 管理人 ID:11Hc070Q
- 良いせん、いってるかもしれませんね!
南あわじ市北阿万の伊賀野出身の賀集a平が淡路焼をはじめ、その後、賀集a平に繋がる人がダントーを作り、また、賀集家に繋がる人を中心に淡路島の有力者の出資を元に淡路鉄道が開通した。
淡路島の有力者である賀集家、田中家が繋がっている可能性も高いでしょう。 そして、賀集九平が賀集家と繋がってもおかしくはないでしょうし、田中数好が田中家と繋がっていても不思議ではないですね。
賀集a平 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E9%9B%86%E7%8F%89%E5%B9%B3
田中萬米 https://awajishima-milk.jp/awaji-island-dairy-greats-tanaka-manbei/
追記) この掲示板は通常の絵文字は使えません。 掲示板の入力項目のコメントの上に表示されている絵文字をクリックしてみてください。 これら、絵文字のみ使用できます。
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移民の記録が残っているらしいので、 ( No.12 ) |
- 日時: 2024/07/03 22:31
- 名前: 渡部 正明 ID:PwiANbqc
- もう、ここまで来たら、南あわじ市に問い合わせするか三原町時代の町史か郡誌をあたるしか無いけれど、もう一手がありました!それは、移住者の記録を調べる事でしょうか。海外の移住者のデータべースが公開されている様なので、横浜か神戸の資料館に問い合わせれば、淡路島の出身かどうか判るハズ。
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田中数好について ( No.13 ) |
- 日時: 2024/07/05 07:27
- 名前: 渡部 正明 ID:T.IYX9yk
- 田中数好がアルゼンチンの賀集九平の明興園を出てからの記録でしょうか、『呼び寄せ渡航・移住者』と言う文章を著作しているらしいことが『力行会(リッコウカイ)』海外移住者のための語学教育などをしていた団体に関係していた様ですね。
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『力行世界』に掲載された田中数好の記事と写真 ( No.14 ) |
- 日時: 2024/07/05 16:42
- 名前: 渡部 正明 ID:/LTP89JQ
- 今朝ほど、力行世界の記事について事務局に問い合わせしましたら、投稿記事と農園を背景にした写真が送られてきました❗アルバムの解説には田中数好が兵庫県の出身とはありましたが、淡路島からとの確証は得られませんでしたので、別の文献なり資料にあたる必要があります。以上、この24時間で判明したことを報告します。
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いろいろ新情報、ありがとうございます ( No.15 ) |
- 日時: 2024/07/05 18:55
- 名前: 管理人 ID:uc0aUCHw
- いろいろ新情報、ありがとうございます。
![](./img/smile01.gif)
私は、まったく手付かずです。 頭ばかりで、何も行動には移せずにいます。 ![](./img/smile07.gif)
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芸術は爆発だ!の岡本太郎も淡路島縁の芸術家 ( No.16 ) |
- 日時: 2024/07/08 05:27
- 名前: 渡部 正明 ID:hYnKlnb2
- 出た〜あ、賀集健介、でも堅介でも賢介でも有りませんでした、岸本翁の覚書とありましたから?ヒョットして、岸本信正のホームページに関係あるのかな。で、、つてん出典はと言うと、益習館のホムページ?で北の零年の150周年の記念展示記録に有りました!岡本太郎も池辺良も稲田氏家臣の末裔だとか?
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岡本太郎も池辺良も淡路島からの子孫?は ( No.17 ) |
- 日時: 2024/07/08 22:31
- 名前: 渡部 正明 ID:9UAlZ4ww
- 益習の集い公式HPより『北の150年』2021年に有りました
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賀集益蔵も田中万米も前年に名誉市民受賞している、から? ( No.18 ) |
- 日時: 2024/07/09 19:27
- 名前: 渡部 正明 ID:hDm4.Ltc
- 『北の150年』の記事、益習之集いHP.2021.3.18の岡本太郎と池辺良のところのコメントには、管理者さんも書き込みされてましたね。コロナの影響で展示会が延期になったり、会場の変更などもあった様ですが、改めて展示内容や資料を閲覧出来たら、賀集家やもしかしたら、賀集九平の両親や縁者の事が判るでしょうか?南あわじ市の名誉市民の受賞者の何人かの職業や経歴や、業績をみていると、やはり九平の受賞理由には、?疑問符が付きますね。前年には田中万米も賀集一族も受賞している、ことから地元、両親の親族からの強力な『押し!』と云うか推薦でもないことには説明が、付きません。 0
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北海道 ( No.19 ) |
- 日時: 2024/07/10 01:04
- 名前: 管理人 ID:YhmgPiUg
- 淡路島出身で北海道に移住した方では、坂東秀太郎氏を淡路島出身の有名人として「淡路島出身有名人」のページに載せさせていただいています。
淡路島情報館 淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
また、淡路島から北海道に移住した方々の子孫では、池澤夏樹氏、池部良氏、岡田繁幸氏、岡田牧雄氏、岡本太郎氏、沼田義明氏を「淡路島ゆかりの有名人」のページの載せさせていただきました。
淡路島情報館 淡路島ゆかりの有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
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賀集九平の『世界のサクラ・日本のサクラ』から判明したこと ( No.20 ) |
- 日時: 2024/07/11 19:34
- 名前: 渡部 正明 ID:/yk2B4Ig
- 南あわじ市の名誉市民受賞者は16番目の賀集益蔵と17番目の伊藤春次までの全員がが昭和37年3月20日となっています。受賞制度が出来たのが、36年度だったのでしょうが、農業や果樹栽培、また8番の田中萬米の酪農と受賞地の南あわじ市で長年農業に拠る功績は市民(当時は三原町かな?)に良く知られたコトでしょうから、異論は無いと思います。教育や社会事業に功績があった方々も周知の事実でしょうし、16番の賀集益蔵や17番の伊藤春次については、全国区での産業功績として理解出来るのですが、2回目の12月4日の賀集九平の花卉園芸の功績は、地球の裏側、アルゼンチンでのお話でしょうから、ハテ?如何なものかと、思われます。
1974年に誠文堂新光社から本田正次と林弥栄の共著、『日本のサクラ』の中で賀集九平は、「10年ぶりに日本のサクラをみて」では、 私が前に日本のサクラをみたのは、東京オリンピックの前年であった。(昭和28年、受賞の翌年)また、ところが10年たって来日し、南は九州四国から北は北海道根室や 松前まで全国のサクラをみて歩いて驚いた。とも書いています。だとしたら、南あわじ市との関わりは何だったのか?と、アルゼンチンでの功績を元に、であれば、両親が淡路島、三原郡内との関係ぐらいしか想像出来ません。 受賞理由や当時の選定基準が不明なので、何とも言えないから、掲示板の管理種も困惑されるのは、もっともだと思います。
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長い長い船旅の末、エビータのエビデンスのひとつが ( No.21 ) |
- 日時: 2024/07/16 06:29
- 名前: 渡部 正明 ID:hiJwwkaI
- やっと、念願のエビデンスが、2018.10.28の益習の集いから、南あわじ市長の挨拶に続いて、賀集與三郎の解説の中に九平のコトが、有りました!與一郎も関係していりのか、注目しておりましたが、中々ヒットしませんでした。これで、出身は北海道で確定ですが、南あわじ市、当時の南淡町での功績評価についても、もう少し調べる必要が有りそうです。
できれば、話題のペロン大統領夫人の記載部分を広島市のHPか平和大通り樹の会からこちらに取り入れて頂ければ、国花のアメリカデイゴやアメリカサイカチの写真も閲覧出来ますので、お願い致します。
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淡路島ゆかりの有名人 ( No.22 ) |
- 日時: 2024/07/16 14:56
- 名前: 管理人 ID:0nSWInnE
- おー
渡部さん、凄い。 大収穫です。
賀集九平について書かれていますね。 淡路島から移住した賀集與三郎の三男「九平」とあります。
見落とししていました。 ![](./img/smile05.gif)
だいたい、昔の日本語を見だけで、めまいを起こすオイラです。
賀集九平は、淡路島ゆかりの方と言うエビデンスが出てきました。 後は、賀集九平が有名人かどうかです。 桜だけでなく、アルゼンチンでの事。 子供がアルゼンチンで大臣になり、エビータと知り合い。 十分にwikipediaに書かれても良いだけの特筆性があると思います。 どなたか、wikipediaに詳しい方に載せていただきたい。
少し整理をして、「淡路島ゆかりの有名人」のページに載せたいと思います。
益集のつどい公式HP (守本南あわじ市長様よりメッセージをいただきました。ありがとうございます。) http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
淡路島情報館 (淡路島ゆかりの有名人) https://awaji.kobe-ssc.com/wiki5.php
追記) ただ、渡部さんがおっしゃるように、「南あわじ市名誉市民」に認定された理由が良くわからないのも事実です。 淡路島出身者の子どもと言うだけで、南あわじ市名誉市民に認定されるということは考えずらい。 この辺は、調査待ちでしょうか? 思うのは、当時、アルゼンチンのエビータが世界的な話題となり、エビータとのつながりのある方が、淡路島から北海道へ移住した方の孫と言うのが、当時、大きな話題となったことも考えられますね。 まあ、「あんな有名なかたと、淡路島がつながりがある」と言うのは面白いし、淡路島の方に知ってもらおうとした・・・
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益集のつどい公式HPの九平についての部分を転記 ( No.23 ) |
- 日時: 2024/07/16 15:02
- 名前: 管理人 ID:0nSWInnE
- 益集のつどい公式HPの九平についての部分を転記します。
読めない部分は「?」としました。
三男九平は秋田農学校農商務官省々属静岡県園芸試験所を卒業、兵庫県立園芸試験所技奉職、目下南米「アルゼンチン」に留学?ら園芸研究中なりと云う
益集のつどい公式HP http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
このあと、子どもがアルゼンチンで国会議員になり、エビータとつながりができるとは凄い。 (訂正 2024.7.17 大臣になったと掲示板にカキコしていましたが、国会議員のようです。)
wikipedia エビータ (映画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%BF_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
wikipedia エバ・ペロン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%B3
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その後 ( No.24 ) |
- 日時: 2024/07/17 13:06
- 名前: 管理人 ID:ihA595ig
- 益集のつどい公式HPさんの記事で、淡路島から北海道へ移住した賀集與三郎氏の活躍が紹介されていました。
益集のつどい公式HP http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
その記事の中で、「三男の九平はアルゼンチンに留学」と小さな文字で書かれたものが紹介されていました。 記事はここまでなのです。
が・・・ その後は、もっと凄い? ![](./img/smile01.gif)
1.賀集九平氏、エスコバールを「花の都」にする。
出典 ディスカバー・ニッケイ https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
2.子どもの賀集アンヘル清氏は、戦後のペロン政権のもと、大統領府法制局部長、統計局長、国会議員(1955年の軍事クーデターゆえに就任期間は5ヶ月間)、ブエノス州商工会議所監事、国内外企業のコンサルタント等を歴任。
出典 ディスカバー・ニッケイ https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/25/escobar/
3.賀集九平氏、桜の本を出す。
出典 日本の古本屋 https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=142547422
4.賀集九平氏が日系移民代表として来日し、海外発展厚労省として、また、拓殖功労者として、外務大臣と拓殖大臣からさらに日本産業協會總裁の伏見宮博恭王殿下より、産業功労者として表彰状を賜った。
出典 渡部さんの淡路島情報館・掲示板の書き込み。
5.賀集九平氏、南あわじ市名誉市民になる。
出典 南あわじ市 南あわじ市名誉市民一覧 https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/meiyoshimin/meiyoshiminichiran.html
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九平はモッパラ、園藝に千年、専念中かな? ( No.25 ) |
- 日時: 2024/07/17 20:37
- 名前: 渡部 正明 ID:fHOLAPkM
- 益習の集いのHPの賀集與三郎は賀集村の生まれで、そのひとつ前の、安田権兵衛は福井とありませんでしたか?九平の母方が梅田家からと、両家が共に淡路島の三原郡からの移住者でしたね。読めなかった活字?は、おそらく『専ら』、現在のところ園藝に専念、していると言うところでしょうか?
樫村さんのアルゼンチンでの九平の評判は、その様でした。また、宮地勝夫社長は、かなり大胆な、型破りの編集長だった様ですから、間違いなく、花卉園芸組合や日本人会を巻き込んで、アルゼンチン公園の企画を発案したのか、扇動したのか?ですが、大統領官邸に出かけてエビータから、国花のアメリカデイゴののタネを受け取った、というのはあり得ると、思います。 淡路島の農業総合センターの南あわじ支所の庭に有るものも、このようなルートで 、或いは、名誉市民の受賞に対した返礼だったのかも? 名誉市民に推薦、受賞の運動展開をアルゼンチンからやったりしたのでしょうが?
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専ら ( No.26 ) |
- 日時: 2024/07/19 16:18
- 名前: 管理人 ID:CKelNWeo
- 「専ら」のようですね!
「専」は薄っすらと見えて、「ら」はハッキリと見えます。
読み方が「もっぱら」です。
コトバンク https://www.weblio.jp/content/%E5%B0%82%E3%82%89
もちろん、「もっぱら」は通常良く使う言葉なのですが、漢字があるのは知りませんでした。現代日本語では、漢字で書くことは余りない? 難しい専門書等では、今でも漢字で書くことも良くあるんでしょうか? 「もっぱら」を漢字で「専ら」と書けることの知識があれば、「益集のつどい公式HP」さんの添付の資料もすんなりと読むことができたかもしれませんね。
あ、でも「もっぱら」を漢字変換をすると、すんなりと「専ら」とでてくるじゃん。 恥の上塗りか? ![](./img/smile07.gif)
今、思うのは「益集のつどい公式HP」さんの添付の資料も国会図書館を念入りに調べて見つけて来られたんでしょう。 国会図書館の資料を念入りに調べることで、淡路島の今は余り知られていない貴重なことが見つかっていくことでしょう。 人の余りやらないようなことを、丁寧に根気よく、興味をもってやっていくことの大事さがわかります。 オイラのような凡人には中々できないことです。
ま! と言うことで、 とりあえず、 国会図書館に簡易登録をしました。 ![](./img/smile05.gif)
しかし、本登録をしないとすべてを見る事はできないようなので、本登録を近日中にできればと思います。
「南あわじ市名誉市民」で中央魚類の創業者・伊藤春次さんの出身はどこなのか? 調べてみたいと思います。
でも、日本人は昔から、「なんでも文書化するのが好きだなー」と思います。
国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/
「益集のつどい公式HP」さんの添付の資料の賀集九平氏について書かれた部分を再転記します。
三男九平は秋田農学校農商務官省々属静岡県園芸試験所を卒業、兵庫県立園芸試験所技手奉職、目下南米「アルゼンチン」に留学専ら園芸研究中なりと云う
益集のつどい公式HP http://blog.livedoor.jp/ekishunotudoi/archives/13346163.html
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伊藤春次って、生まれは別にしても、時代背景は? ( No.27 ) |
- 日時: 2024/07/20 20:45
- 名前: 渡部 正明 ID:bx6GIav2
- 伊藤春次氏の中央魚類って、もしかしたら、渋沢栄一達が、明治14年でしたか?立ち上げた大日本水産会とかの縁の、ニッスイとか、戦前の帝国水産統制?の統制が、取れた昭和42年7月3日の設立のようですから。GGQの要請で、海上部隊の大日本水産と、陸上部隊の荷受けや加工・冷蔵と市場関係に分離した、中央卸売市場と地方市場に関係しているみたいですね。現在でも極洋やニッスイと資本関係は続いているのかな?
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主要株主 ( No.28 ) |
- 日時: 2024/07/20 21:47
- 名前: 管理人 ID:hJiRM6O6
- ほんまですねー
主要株主 日本水産 12.01% 足利本店 7.42% 極洋 5.36% 三菱UFJ銀行 4.98% みずほ銀行 4.98% (2021年3月31日現在)
wikipedia 中央魚類
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%AD%9A%E9%A1%9E
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沼島 ( No.29 ) |
- 日時: 2024/07/20 22:00
- 名前: 管理人 ID:hJiRM6O6
- そう言えばー
wikipedia「沼島」で、 「明治時代の末から大正時代にかけて、下関を中心に活動した日本有数の水産会社であった山神組は、沼島出身の山野音吉・鶴松親子と大阪・ざこばの鮮魚商であった神平商店が共同出資し作った会社」 とあった!
そして、「1918年(大正7年)には「日本水産株式会社」(現・ニッスイ)へ発展した」とあります。
中央魚類創業者の伊藤春次氏も、沼島生まれの可能性あり? そして、中央魚類もニッスイと資本関係あり!
沼島がポイント?
wikipedia 沼島 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%B3%B6
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沼島から下関へ、日本水産のルーツのひとつは栄一? ( No.30 ) |
- 日時: 2024/07/22 09:14
- 名前: 渡部 正明 ID:mLRgbLG6
- 沼島出身の山神組は山口の山村汽船魚業部かな?と対抗しながらお互いに発展した?渋沢のニッスイやニチレイの日本水産や帝国統制?市場は築地が本拠地のようなな感じですが、久原財閥やニッサンコンツェルンとかの名前も登場してきて、混乱しています
![](./img/smile03.gif)
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淡路燒の創業者のa平傅が読めません。 ( No.31 ) |
- 日時: 2024/07/23 23:19
- 名前: 渡部 正明 ID:HCqD5NoE
- No.11の田中家と賀集家の関係のトコロですが、別項に書き込みした『淡路焼の創業者の賀集a平傅』が参考になりますが、中々旧字が読めません、何方か現代風に書き直して、下さいませんか?また、甥の三平の事ももう少し詳しい事が判れば、良いのですが。
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たぶん! ( No.32 ) |
- 日時: 2024/07/24 00:22
- 名前: 管理人 ID:5Fz5ymNQ
- 『淡路焼の創業者の賀集a平傅』は、どのホームページの事を言われています?
「何方か現代風に書き直して」とのことですが、もちろん、私には無理です。 この掲示板を見られている方も限られていますから、渡部さんが一番詳しいかもしれません。 たぶん!
いくつか、賀集a平の事を書かれたブログ等をリンクします。
伝淡路a平焼 三彩陽刻牡丹図平鉢 https://blog.goo.ne.jp/otsumitsu/e/6c04784a60e348dce8b7d5e380d17b3f
窯場今昔100選 仲野泰裕 https://www.pref.aichi.jp/touji/about-aito/column_kama/column_kama01.html
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業界紙に投稿された、創業者a平傅です、 ( No.33 ) |
- 日時: 2024/07/24 03:25
- 名前: 渡部 正明 ID:Pkk3EgLo
- [11]のNo.37・38の(雑報)以下、窯業月報とありますから、業界紙でしょうか。出典の号数などは、不明ですが、淡陶社の技術者でしょうか、能勢という方が、あちらコチラのからの問い合わせが、良くあるので、文末を汚すコトを心配しながらも、ココに記す事は、云々と控えめな表現と、なっています。美術館や焼き物とかの研究者ではなく、a平の子や孫と共に仕事をしてきた者が語る評伝ですからなかなか、読み応えがアルノですが、雰囲気だけでも、と。出版社と巻数とかも確認出来れば、事典などの解説とはまた、異なる存在感が感じられますょ!
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一般のa平の説明文と業界紙の傅紀は? ( No.34 ) |
- 日時: 2024/07/24 06:51
- 名前: 渡部 正明 ID:qeMWOZjQ
- 恐るべし、国会図書館の賀集の名前の最後2人
三平と民平(a平)の関係を改めて調べてみてください。a平亡き後その子力太が継いだのは、官窯?藩窯を指すのか、家督を指すのでしょうか? 賀集a平傅には、弟の常左衛門かな、恒次郎とかの名前も何処かに出てましたが、幼名と、襲名したり一筋縄では行かない明治初期の戸籍法が出来て以後の家系と家業(会社組織)との系譜を、混同している様に思われます。 だから、能勢敬三がワザワザ、汚すのを省みず、業界紙に記したのでしょうか? 500ページの前後の内容から、明治45年の7月号かな?
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伊藤春次は六大都市の中央市場の代表者? ( No.35 ) |
- 日時: 2024/07/25 01:17
- 名前: 渡部 正明 ID:bxAROHNY
- 中央魚類って、築地にいつ頃開業したのでしょうか?築地には海軍兵学校が江田島に移る前に、開校してたからお得意さんだったかも?
広島には陸軍糧秣支しょうがあって、缶詰が作られていました。サバ缶やマグロはどうか判りませんが、下関や広島にもマルはかなニチロやニッスイの工場が今もあるから、陸軍や海軍は日清・日露以来の御得意様でしたかね。ココで訂正、統制が取れて、開業したのは昭和42年ではなくて、22でした。GGQはモチロンGHQです。伊藤春次は、名誉市民になったあとの昭和43年でしたか、六大都市の中央市場の代表者として、農林水産委員会で国会で意見陳述をした、記録が有りました。
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