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淡路鉄道初代社長 賀集新九郎

春祭りのころ、桜の名所として名高い賀集八幡神社です。
その賀集八幡神社の長~い参道の左側に、南淡町歴史民俗資料館があります。
そして、南淡町歴史民俗資料館の敷地に立派な慰霊碑が二つ立っています。
その慰霊碑の内の一つが「賀集新九郎氏表功碑」です。

現在、淡路島島内を走る路線バスが淡路交通です。
その前身が淡路鉄道です。
淡路鉄道は洲本から福良まで鉄道を走らせていました。
この淡路鉄道、戦後には電化もされています。
wikipedia「淡路鉄道」を見ると、淡路鉄道は北海道、本州、四国、九州の4島以外の島で走っていた唯一の鉄道だと言います。

淡路鉄道は大正11年に開業し昭和41年まで運行していました。
その淡路鉄道の創業者の一人で初代社長が上記「賀集新九郎氏表功碑」の賀集新九郎なのです。

淡路島情報館の管理人の私も、親に連れられて一度だけ淡路鉄道には乗ったことがあります。

それだけでは、ありません・・・
私が小学生のころ、通学路に廃墟になった広大な敷地の住居跡がありました。
当時、その住居跡の中に入る事もでき、瓦礫が渦高く散らばっていました。
何も無いタマネギ畑ばかりの福井の一角、その大きな住居跡はまるで城跡のようにも思えました。
その住居跡は何だったのか最近まで分かりませんでしたが、当掲示板を通じて淡路鉄道創業者の賀集新九郎氏の邸宅跡だと知ることができました。
また、1960年に公開された映画「くたばれ愚連隊」のロケにこの邸宅が利用されたと言います。
くたばれ愚連隊の監督は鈴木清順、原作が原健三郎です。主演は和田浩治です。

びっくりしましたね~
何気なく通っていた通学路の一角の廃墟になっていたお城のような住居跡が淡路鉄道創業者の邸宅で、映画のロケに使われていたんですから~

映画の中では賀集新九郎邸の豪華さを今に伝えています。
そして、映画の公開から数年後に賀集新九郎邸は火災で焼失しました。
その火災後の邸宅跡がそのまま残され、その横を通学路の一つとして利用していたわけです。

今回の「淡路島周遊の旅 第三回」では、その賀集新九郎の「賀集新九郎氏表功碑」と、賀集福井に今も残る「賀集新九郎邸跡」の写真を撮ってきました。
今回、訪れた「賀集新九郎邸跡」は塀だけが残り、中は竹やぶになっていました。
この塀、高さは3m前後はあったように思います。

賀集新九郎氏表功碑

賀集新九郎氏表功碑

賀集新九郎氏表功碑の側面

賀集新九郎氏表功碑の側面

邸宅跡

賀集福井の賀集新九郎邸跡

追記)
賀集福井の「賀集新九郎邸跡」の奥には南淡路病院ができています。
また、近くにあったスーパーのマスイさんが最近になって閉店していました。
今回の「淡路島周遊の旅 第三回」で、時代はどんどん動いているのを実感したしだいです。

南淡路病院

南淡路病院

追記 2015年3月15日)
な、なんと、神戸新聞の記事によれば淡路鉄道の当時の映像が見つかったそうです。
鉄道模型界の第一人者だった故原信太郎が50年前に映像に収めたものだそうです。
淡路鉄道の映像は前述の映画「くたばれ愚連隊」にも残されていますが、どちらにしろ、今回見つかった映像はとても貴重なものですね。

いやはや!
すごいわ!
この映像は国宝級、いや、島宝級のものだと思います。
∑d(*゚∀゚*)チゴィネ!!
映像は白黒ですが、映っている淡路島の景色は「50年前の淡路島、けっこうひらけてるじゃん!」なんて思ったりします。
50年前と言えばテレビの「マグマ大使」や「8マン」の時代ぐらいでしょう。

追記 2021年11月17日)
賀集新九郎など淡路島出身の有名人は当サイト「淡路島出身有名人」のページにまとめています。参考に!


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