近日中 ( No.1 ) |
- 日時: 2024/06/30 21:09
- 名前: 管理人 ID:6sM1UJaw
- 新情報、いろいろありがとうございます。
少し整理したうえで、淡路島出身有名人のペーじに載せたいと思います。
よろしくお願いします。
淡路島出身有名人 https://awaji.kobe-ssc.com/wiki4.php
追記) 渡辺盈作氏について、googleで検索してみたのですが、淡路島出身だというホームページの記事がありますでしょうか? wikipedia、本、メディアの何れかでの記事が欲しいです。 これまた、小泉八雲と言う超有名人との繋がりがあればおもしろですね。 たぶん、おっしゃられる通りだと思われるのですが、エビデンスがないと正確性に問題がでてくると思うのです。 かってなこと言って、すいません。
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渡辺盈作と松菊庵(木戸孝允)・諸隊リストの遊佐万之助の関係は? ( No.2 ) |
- 日時: 2024/06/30 22:07
- 名前: エリスリナ・ガル ID:QGNXBLd.
- 渡邊盈作については、2017年のホシザキグリーン研究報告に井山明・野津幸夫の詳しいレボートが報告されていますが、国会図書館の協同レファレンスからでも、盈作の著作と、動物学雜誌に投稿された報告のタイトルなどは閲覧出来ますよ。なお、盈作の自筆の経歴書によると徳島藩士の江戸屋敷で生まれたので、淡路島の出身とははっきりしませんが、同居人として遊佐万之助の名前と洲本市馬塲町の住所がありました。何らかの事情があったのでしょうが、遊佐姓から渡邊(自筆の履歴書は渡邉)に改姓又は復姓にあたって、夏休みを淡路島の岩屋浦で過ごした様ですね。この時に採取せし魚類と軟體動物のリストを創刊間もない動物学会誌に報告した様ですね。
なお、同居人とされた遊佐万之助の書状、一通が岡山市立図書館に寄贈、木幡文庫として昨年6月に公開されていますが、封筒の住所とホシザキのレポートの住所ともスモト(洲本)の馬場町と読み取れました❗ 遊佐万之助は松菊庵(桂小五郎?)諸隊リストにも、出て来ますょ
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小泉八雲と南方熊楠も見た背黒海蛇の記録 ( No.3 ) |
- 日時: 2024/06/30 22:26
- 名前: エリスリナ・ガル ID:QGNXBLd.
- 動物学会誌に報告された出雲の伊佐神社でしたか、セグロウミヘビの記事は小泉八雲と共に見学したと、ありました。
なお、この背黒海蛇は南方熊楠が『うが』として報告したものと同じらしいのですが、出典が確認出来ていないので、残念です。日本海に嵐の後で打ち上げられた海蛇を神社に奉納したのでしょうか?熊楠も暖かい田辺の海岸で出逢ったのを報告したのは、やはり珍しい動物だと、八雲と同時代の知識人が記録に残しているのを現代人が、知ることが出来るのは感激すべき事ですね❗
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盈作と八雲、漱石に子規と、俳句が揃う! ( No.4 ) |
- 日時: 2024/07/17 04:32
- 名前: エリスリナ・ガル ID:quNazCS.
- 盈作は、農事修学所を出て体操修学所に進みます。その後京都で体操教師として、明治23年に、松江師範学校と中学の教師として迎えられ、ハーンの同僚として1年半程過ごします。当時の生徒の一人が大谷で、英語が良く出来たので八雲に可愛買われたのか、後年、再び帝国大学の学生になった時に再度、八雲の生徒となります。しかも、漱石の生徒でもありましたし、根岸の子規の句会にも参加するようになり、盈作の教え子として後に俳句を始めたのは、図らずしも盈作か『俳句と博物』を書いたのは面白い展開だと、思います。
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訂正、繞石の仲立ちで英文学者から俳句仲間が揃う ( No.5 ) |
- 日時: 2024/07/17 05:13
- 名前: エリスリナ・ガル ID:quNazCS.
- ヘルン先生の生徒の1番は大谷後に繞石と号す、後年帝国大学で八雲の生徒となり、漱石の後を継いで、ロンドン?に、また、京都時代の同級生の虚子の紹介で根岸庵へ出入りするようになり、英文学から俳句仲間の輪が広がっていった、様です!
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八雲はニューオリンズで淡路焼を見たかも ( No.6 ) |
- 日時: 2024/07/20 06:31
- 名前: エリスリナ・ガル ID:FL0cYbfE
- 大谷正信の話・エピソードは、またにするとして、確か、ハーンが日本に関心を持つが関心を寄せるコトになったのは、ギリシャのラフカダ島(だから、ラフカディオ)に生まれ、叔母のいたアイルランドで育ったからとか、また、1917年に開かれたニューオリンズ万国博覧会で、東洋の島国の展示品を見たことから、古事記?世界に魅入られた、とか聞いた様な気がしますが、出雲の國造神話に淡路島が登場するのも、何か怨念、いや因縁があったりして?
まあ、大谷は八雲の全集を訳しているから、オイオイ、『開いたところ』や『案山子日記』を見る機会が有れば、少しは、触れられているかも! 良く知られている、『怪談』や『骨董』も再読が必要でしょうか?a平焼はまだ、当時としては、骨董品とは言えないでしょうがね。
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キーパーソンは、服部一三かな? ( No.7 ) |
- 日時: 2024/07/23 07:00
- 名前: エリスリナ・ガル ID:6FANJNlk
- ハーン゙がニューオリンズ万国博覧会で出逢った日本人は服部一三でした。明治17年のことです。後に、一三は文部省に勤めているので、八雲や盈作が相次いで松江に来る事になったのも、奇縁と云えば奇縁ですね。
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近藤廉平や星合常恕も関係ありそう? ( No.8 ) |
- 日時: 2024/07/25 05:36
- 名前: エリスリナ・ガル ID:J82B2uPU
- 渡辺盈作の同居人の遊佐万之助と共に稲田家臣を襲撃した徳島藩士の近藤廉平は徳島県の権の帥?(良くわからない、知事見たいなものか)の星合常恕の知遇を得て三菱の岩崎弥太郎に認められて、日本郵船の三代目社長に就任したとか、亡くなるまで終生日本郵船の社長に留まり、日清・日露戦争の補給を裏で支えたとか?で、庚午事変に遊佐万之助も近藤廉平も徳島藩士の洋式銃砲隊として、松菊庵(木戸孝允・桂小五郎)の緒隊リストにも名前が上っているから、淡路島の出身では無いのでしょうか、星合の居宅は益習館の近くにあったらしいから、何かの縁が、繋がりが有りそうに思います
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盈作の海産動物の関心は、夏休みの淡路島から? ( No.9 ) |
- 日時: 2024/07/28 09:34
- 名前: エリスリナ・ガル ID:SlnCir4k
- 盈作が明治25年に松江で出版した理科事典の動物編の参考にしたのは、大日本水産会報告や1889年に開かれたパリ万博の為に編集されたと言う『大日本水産会重要動植物図譜解説』でした。動物学会誌にも多数の海産動物に付いて報告していますから、エドワード・S・モースの影響を受けているのかも?
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新展開は淡路国の産物帳とウィーン博? ( No.10 ) |
- 日時: 2024/07/31 09:47
- 名前: エリスリナ・ガル ID:YOjOVYKw
- 江戸後期・産物帳集成と言う図書が科学書院から出版されています。その15巻目か、徳島、阿波と淡路国編で、先に紹介したウィーン博の解説の中にも、阿波国の産物136か138?品に対して、淡路国は70件とかなりの品目が列記されているそうですが、ネットの解説では、ウィーン万国博覧会の出品を探していて、この産物帳に出逢ったと、書き出しに有りました。海と山の幸に恵まれ、動植物や薬草だけでなく、鉱物や陶土なども数多く産出されて来たからでしょうが、盈作が獣医学から、生理(体操)、そして博物学へと関心を移した原点を見る思いがします。
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ボトマックの櫻と、ハーンの怪談がドウ繋がって行く? ( No.11 ) |
- 日時: 2024/08/03 10:12
- 名前: エリスリナ・ガル ID:N1J96qh2
- 3日間のタイム期限が、過ぎて、情報が古くなりましたから、更新してみます。この、[84]と[85]の関係に少し、共通点が、あるのに気付いて貰えてますか?小泉八雲と賀集九平と生まれも、育った環境も世界も違った英文学者と花卉園芸学の大家を繋ぐキーパソンを3名、ココに挙げて置きましょう!
まずは、ワグネル、独逸のお雇い外国人で当初は佐賀藩の有田焼の指導の為に来日、その後シーボルトの息子兄弟の口利きでウィーン博覧会の開催準備に尽力したとか、後年ワグネルは、南校から帝大のお雇い外国人教師として、焼き物や無機化学?かな、教授していた様ですね。異色の阿波藩の藩士だった長井長義も後に東大でで薬学を講義、日本初の薬学博士として知られています。更にもう一人、高峰譲吉は、ウィーン博とポトマックの櫻にも関与しているようですから、もう皆さん、管理者さんは、ア〜ナルホド、と岡田将生の演じる星滉一?かな、ハテ、昨日のタネ明かしは、なるほど、ナルホドの夜明けでした。
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怪談に登場する、櫻が主人公の二編の話は? ( No.12 ) |
- 日時: 2024/08/06 10:32
- 名前: エリスリナ・ガル ID:70emggrs
- 昨日から、警備のためでしょうか、ヘリコプターが1日中上空を飛び回り、その爆音で 、静かな記念行事も無事終わったようですから、皆さんお待ちかねのハーンとサクラ(ポトマックに植えられたサクラの事は、後ほど)について、触れておきます。大谷繞石は松江時代に同僚だった盈作と共にハーンの生徒だった事は先に述べました。また、ハーンの『怪談』には、櫻がテーマ・表題となっている作品が2つ、『姥(乳母)櫻』と『十六日櫻』の2篇はいづれも伊予(和気の郡とも)の昔話しを再録した形に、なっています。セツと繞石のどちらが八雲に話したのかは、良く分かりませんが、恐らく、繞石が日本文学雑誌でしたか、淡水生(人物像は不明)の投稿した小話が元になっていると、言う事です。
少し長くなりますから、一度、筆をおきます。
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怪談には一茶も見たという櫻の俳句がそえられて? ( No.13 ) |
- 日時: 2024/08/06 10:52
- 名前: エリスリナ・ガル ID:70emggrs
- 淡水生については、成城大学の牧野陽子か、国会図書館の協同レファレンスを見て下さい。なお、十六日櫻は、旧暦正月の十六日に咲くのでこの名前があり、確か西行法師?や一茶も、寒桜のために伊予に旅した日記が残っています。また、子規は、上野の櫻を人力車で巡り、故郷を偲んで『ウソのよな十六(日)桜咲きにけり』と一句よんでいて、怪談にはjiyurokunichisakuraと題の次に俳句が載っていますから、やはり繞石の資料提供と、考えてもよいかな?妄想では、有りますが。
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江戸末期の江戸で生まれ、東京育ちの盈作は? ( No.14 ) |
- 日時: 2024/08/09 19:34
- 名前: エリスリナ・ガル ID:.6FpVqgQ
- お盆も近い事ですから、盈作の出生地と出身地に付いて少し触れておきます。トコロが、盈作の両親が不明と言うか、出自が判っておりません。盈作が大阪府の八尾中学でしたか、市岡中学に提出したとされる自筆の履歴書には徳島藩士で、江戸屋敷で生まれ、玉藻学校に通い、創設されたばかりの農学修学所で獣医科で学んだと、ホシザキ野生生物研究所報告で井山明・野津幸夫両氏の詳細な年譜が整理されていますが、遊佐万之助が同居人として、淡路島の洲本十八番屋敷とだけ一番最初に記載されているのが、唯一の手掛かりとなっています。
賀集九平の様に、日高町史?のような詳しい資料は今のところ見つかっていません。江戸時代に江戸で生まれ、十四、五歳まで過ごしたのなら東京の出身と見なすべきでしょうが、盈作は徳島藩士の子息ですから、徳島県(藩)の出身と自認している様です。厄介な事に、淡路島の洲本では明治3年の五月に稲田騒動、庚午事変が起きていますし、翌年には廃藩置県により、徳島県となる訳ですが、この庚午事変が元で、徳島県から名東県を経て淡路島は、最終的に兵庫県に移管されて、しまうことは、皆さんご存知の、コトでしょうから、敢えて詳しい説明は不要でしょう。 しかし、県名が変わり、生活の場は江戸から東京と変わりましたが、一体全体、出身地は?何処になるのか、と言う問題が提起されそうです。
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盈作が理科辞典(動物学編)に参考図書としても引用 ( No.15 ) |
- 日時: 2024/08/12 20:55
- 名前: エリスリナ・ガル ID:X/kNuIzY
- 渡辺盈作のケースはチョット特殊なので、何とも言い難いのですが、出身地を見ていく時の、話は改めてと、します。
夏休中ですから、盈作が過ごした由良?海岸の『岩屋浦で採集せし』 海産動物を動物学会に報告した時に参考とした図譜と思われるモノをココに紹介します。カラーの図はパリ万国博覧会の為に描いた図の様です。 https://osakana.suisankai.or.jp/materials/7170
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大日本水産会がパリ万国のため作成? ( No.16 ) |
- 日時: 2024/08/12 21:03
- 名前: エリスリナ・ガル ID:X/kNuIzY
- リンクの貼付けに失敗、したようですから、こちらから
https://osakana.suisankai.or.jp/materials/7170https://osakana.suisankai.or.jp/materials/7170
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同じアドレスを2個貼り付けているようです。 ( No.17 ) |
- 日時: 2024/08/12 23:26
- 名前: 管理人 ID:zL1vpvV2
- 貼り付けたアドレスをよく見てくださいね。
同じアドレスを2個貼り付けているようです。
たまに、ある失敗ですね!
こういったときは、修正していただくとありがたいです。
修正は、表示されている右下にドライバーじゃないな、ネジ廻し?の絵が表示されていると思います。 この絵をクリックすると「メンテ画面」がでてきます。 パスワードを入力すると「修正フォーム」がでてきます。
https://osakana.suisankai.or.jp/materials/7170
追記) NO16の方を修正しておきます。
追記) あらら、 NO15の方を修正してしまいました。
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理由が分からないけれど、何回か試行錯誤の結果 ( No.18 ) |
- 日時: 2024/08/13 00:58
- 名前: エリスリナ・ガル ID:8MIGv8sw
- 有り難う御座いました。やっと、リンク付けの方法が、解り掛けたと、いったトコロですね。何度か、失敗を繰り返して、話題を一歩ずつでは有りますが進めて行きます。大日本水産会の重要水産動植物図譜は、幾つか改訂されたり、また、復刻されています。ネットでも、皆さん関心が有るのでしょう、沢山紹介されていますね。渋沢と博覧会の繋がりが見え隠れシテイマス。
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重要水産動植物図譜や図説と同様に ( No.19 ) |
- 日時: 2024/08/13 21:35
- 名前: エリスリナ・ガル ID:EOlh6urA
- 序に、高鋭一の製品図説から、香魚、鮎を
https://nrifs.fra.affrc.go.jp/book/D_archives/2010DA004.html
もう一つ、浅草海苔を次回には…
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ハーンがニューオリンズで見た、博覧会? ( No.20 ) |
- 日時: 2024/08/16 23:17
- 名前: エリスリナ・ガル ID:dFjbhHTk
- ハーンが見たニューオリンズ万国博覧会は?
https://www.aplink.co.jp/synapse/pdf/World_Expo.pdf
八雲の孫の凡氏が紹介していますね。
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ハーンが熊本から神戸にやって来て、日本人に ( No.21 ) |
- 日時: 2024/08/19 23:35
- 名前: エリスリナ・ガル ID:YoiJQgAQ
- 八雲の神戸時代の事は、コチラで、
https://hyogo-roudou.jp/about/yakumo/
子規が、神戸で療養していた時には、虚子や碧梧桐が苺を手に入れる話が確か、あったと思います。神戸なら高価な苺も作っているのか、品種は福羽イチゴかと、神戸には一時期ブドウ栽培をする為に、新宿御苑から来ていたのかと、子規の食べ物の話は…
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ハーンと焼津、服部一三と地震など ( No.22 ) |
- 日時: 2024/08/23 05:04
- 名前: エリスリナ・ガル ID:ZSOpij2I
- ハーンは熊本から神戸に、帰化した後一家で移住したあと、東京へ
毎年、夏には焼津を訪れていた様です。
https://www.city.yaizu.lg.jp/museum/yakumo/index.html
また、https://www.city.yaizu.lg.jp/museum/yakumo/know-yakumo/koizumiyakumo-yaizu.htmlhttps://yakumokai.org/5955
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リンク先を修正しました、 ( No.23 ) |
- 日時: 2024/08/23 05:09
- 名前: エリスリナ・ガル ID:ZSOpij2I
- https://www.city.yaizu.lg.jp/museum/yakumo/know-yakumo/koizumiyakumo-yaizu.html
https://yakumokai.org/5955
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稲むらの火も、火元はハーンでしたか? ( No.24 ) |
- 日時: 2024/08/26 11:20
- 名前: エリスリナ・ガル ID:aaegF0j.
- 『稲むらの火』って、ハーンが服部一三から聞いた話が元になっているのか、どうかは、別として焼津市の八雲記念館や富山の大学の資料に残っていた記事が元になっているのでしょうか?
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/11961
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出雲大社の大注連縄の様に3本の矢、いや綱が、 ( No.25 ) |
- 日時: 2024/08/30 08:44
- 名前: エリスリナ・ガル ID:IyOL6wiA
- 賀集三平が万国博覧会に作品を出品する様に、なったことと、a平焼が衰退して行くのは国内の市場と国外での価値観や芸術作品と生活雑器としての淡路焼き、淡陶社の主力製品と運営組織を考えて見れば理解できそうなきがします。
また、淡陶社の設立時期と三原郡から北海道への移住者が増えたのも、何か関連が有りそうですが、この辺は研究者にお任せすることにして、北海道へ移住した子息がさらに、アルゼンチン移住して花卉園藝に取り組んだこと、そして、名誉市民に推挙されたこと。アルゼンチンのカーネンション栽培の先駆者でもあった九平達は、カーネンション栽培が病気で壊滅状態になった時に、度亜したJICAの国立園藝研究所に派遣された小西教授の師弟が、コレまた、淡路島の園藝試験場の成果を元に、園藝学会から園藝功績賞を受賞されたと、それぞれの細い糸が絡まりつつ、大きな流れ、太い糸を紡いできた結果であったのかな。と
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平瀬与一郎と渡辺えい作の出合いは? ( No.26 ) |
- 日時: 2024/09/03 06:11
- 名前: エリスリナ・ガル ID:O.cWt.rE
- エビータのアメリカデイゴの話から二ヶ月、ソロソロ話のタネも尽きそうな気配が、漂ってきましたか、例の三原郡史には淡路焼きのa平と共に、平瀬与一郎も登場していました。与一郎が、京都に出たのが明治20年と言いますから、丁度えい作が農学・体操修学場を終えて、京都に赴任したのもこの頃でしょうか?夏休みに岩屋浦に逗留して海産動物を採集したのも、何かの縁を感じませんか?モチロン、想像の域を出ませんが。
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話題は、淡路島の港町から、北海道と千葉にも? ( No.27 ) |
- 日時: 2024/09/06 14:17
- 名前: エリスリナ・ガル ID:i6RyB5Wo
- なるほど、管理人さんが、訳が分からなくなって、また、眠れ無く成りそうなので、少し種明石、タネ明かしをして置きますね。
まず、唐突に一茶が出て来たのは、誰も驚きと言うか、淡路島との関係を話題にしたことは、余り無かった事でしょう。しかし、淡路島の高田方壺は誰なのか、と、一茶事典を紐解くと、数少ない淡路島を詠んだ俳句に、『・魂迎見ぬ世の人を松穂がた』掲載されていました。松穂がたは松帆かな?『寛政句帖』から、
後年(文政六年七月九日)一茶は、淡路島の高田方壺から金一歩で作品の揮毫を依頼されている。と、有ります。一茶は文政十年に亡くなっているようですから、淡路島の俳句を嗜む様な名家?でなく、嘉兵衛が晩年を過ごした淡路島の誰かが、遠く離れた野島崎の廻船問屋に…と、先に触れた、白浜は紀伊の白浜ではなくて、房州の白浜だった様です。失礼しました。
恐らく、この様な指摘と言うか、話題はこの情報館が初見では無いでしょうか? 新発見に繋がる予感を残して、次を期待して下さい。
と、言っても、困惑するだけでしょうから、ヒントをひとつ。以前に十勝…の国立公園昇格の期成同盟会の話題と共に、大正十年?十一年かな、国立淡路島公園の期成同盟会会報に賀集新九郎外、また賀集與一郎と共に、高田の名前か二人程出ておりました。さあ、結論はいかに、以下に、如何に?
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えい作の俳号は山赤人だ、そうです ( No.28 ) |
- 日時: 2024/09/07 06:55
- 名前: エリスリナ・ガル ID:1QjxekWg
- 元もとの、話題は渡辺えい作が松江でハーンに出合い、また、理科事典を出版した理科教師から始まっています。そして、萩の視学(阿武郡)を経て大阪の八尾中学、市岡中学時代に『俳句と博物』と言う、当時はカナリ売れたらしい、書籍を出版しておりましたから、当然、俳句もいづれ話題にと、思っておりました。
一茶の俳句には、ヘラサギ(箆鷺)を詠んだ句が、『俳句と博物』に載っていて、信州にもヘラサギが生息なり繁殖していたのか?と、疑問に思っておりましたが、西国行脚の旅で、九州、熊本や長崎にも足を運んでいり事が、分かりましたから、一応、納得は致しましたが、何処で詠んだ句かは、まだ、特定出来ていません。 一茶事典と一茶大辞典はかなりのページ数デスから、いちいち目次と巻末の索引とにらめっこを少しバカリ、やっては見ましたか、挫折して仕舞いました。
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えい作から八雲、そして大谷、漱石と ( No.29 ) |
- 日時: 2024/09/10 08:27
- 名前: エリスリナ・ガル ID:matk2XBg
- 一茶に依頼した俳句、は別項の高田万壺に付いてを御覧になるとして、八雲の十六日桜に付いて、話を勧めたいと思います。賀集九平が世界の日本ザクラを出版したのも、確かに、南あわじ市、当時の南淡町の功労者として表彰された事や来日した事が、契機になっている事は、この掲示板から理解出来ました。
https://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/146/146-makino.pdf
また、八雲の生徒、大谷正信が後に、漱石の生徒、さらにまた、ハーンの学生となり、帝国大学を卒業した後、ロンドンへ留学、帰国したあとは、京都にさらに、洲本中学で教頭として、赴任したのは、矢張り奇遇と言えば奇遇、えい作の話題からひと巡りして、英国を跨いでの話ですが、ソコは、ハーンの旅行記を翻訳するには、やはり、淡路島での教員生活は、俳句を詠んで弟子、高田蝶衣を見出したのも、やはり、運命的な、出合いが有ったのでしょう。
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ヘルンと服部一三、高峰と漱石のおさらい ( No.30 ) |
- 日時: 2024/09/14 04:43
- 名前: エリスリナ・ガル ID:TOsb.IcA
- なかなか、ハーンと服部一三に、高峰譲吉、そして漱石との関係を此処に書き込むには、スペースが足りないと、困ってといたら、ドン・ピシャリの解説が有りました。なお、高峰譲吉は、タカジアスターゼでご存知だとは思いますが、ワシントンののポトマックの桜にも関与してくるので、賀集九平のところにも、後程出て来るでしょう。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I10469202
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今日は、糸瓜忌、子規の命日だそうです。 ( No.31 ) |
- 日時: 2024/09/18 06:11
- 名前: エリスリナ・ガル ID:PqRcwZqQ
- 今日は、糸瓜忌、子規の命日です。
https://tenki.jp/amp/suppl/kous4/2017/09/17/25841.html
また、https://www.jalan.net/yad310608/blog/entry0006194791.html
渡辺えい作が『俳句と博物』を後年出版した事は、先に触れました。 一茶が師の竹阿ですかね、芭蕉の足跡を淡路島に辿り、そのまた縁の地を訪ねながら、十六日桜を見に伊予まで、と。そして子規も、詠んだのが小泉八雲の怪談の句でした。
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子規について、今夜の坂の上の雲が楽しみデス ( No.32 ) |
- 日時: 2024/09/22 10:29
- 名前: エリスリナ・ガル ID:El9k3lKc
- 子規の糸瓜忌の話題が、出て来ましたから、少し逸れますが、漱石の弟子?寅彦の話題、窮理(現在の物理学)学の文字が目に付きましたから
https://kyuurisha.com/hechimaki/#:~:text=%E4%B8%8A%E3%81%A7%E7%B4%B9%E4%BB%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%98%8E%E6%B2%BB,%E6%9C%AC%E7%A8%BF%E3%82%92%E7%B5%82%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
また、一茶な寛政紀行の旅に寄った三津浜、湊山の事は、コチラに
https://serai.jp/hobby/1081866
子規はこの三津から東京に、漱石は、三津の港から坊っちゃん列車に乗って松山市内にと、後に『まるで、マッチ箱の様だ』と坊っちゃんに言わせています。
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最近の八雲に関するニュースから ( No.33 ) |
- 日時: 2024/09/25 11:23
- 名前: エリスリナ・ガル ID:SadeuUNY
- 最近、松江の西田千太郎(松江尋常中学の教頭)宅で八雲の研究者が調査を始めたとニュースが有りました。
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/650630
ハーンの松江時代の事は、千太郎の日記に詳しいようですが、渡辺えい作も何度か登場しているのでしょうか?
https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/ja/5311
日記は復刻されているようですが、国会図書館で、閲覧出来る様です。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I37111107021646
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ハーンと西田千太郎が残した資料調査のニュース ( No.34 ) |
- 日時: 2024/10/01 20:46
- 名前: エリスリナ・ガル ID:zB0.HcFo
- 西田千太郎の旧宅の調査の続報デス。
さて、八雲と渡辺えい作との交流の記録や資料は、出て来るのでしょうか? https://www.fnn.jp/articles/-/766731
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えい作の『俳句と博物』から ( No.35 ) |
- 日時: 2024/10/05 07:14
- 名前: エリスリナ・ガル ID:XFcc3dgI
- 渡辺えい作の著作『俳句と博物』の奥付け、
最終ページの「淡烟妄批」は都築(淡烟?)宗春だと思います。
https://photos.app.goo.gl/SeViMQihEZy5QU4BA
なお、『淡煙』は子規門下の画家、中村不折も同名の絵画を描いています。 俳句も詠んでいますし、俳句雑誌の表紙も描いているようです。
子規の写生と、なにがしか、妄批?と、頭注の同じ淡烟の解説は通じるモノが、見て取れる様な気がします。
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八雲が頼った西田千太郎のコト ( No.36 ) |
- 日時: 2024/10/08 11:43
- 名前: エリスリナ・ガル ID:rkvFhpm6
- 西田千太郎について
https://www.hearn-museum-matsue.jp/exhibition-nishida.html#:~:text=%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%8D%83%E5%A4%AA%E9%83%8E%EF%BC%881862%2D1897%EF%BC%89,%E3%81%9F%E5%8D%94%E5%8A%9B%E8%80%85%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82&text=%E8%A5%BF%E7%94%B0%E3%81%AF%E8%8B%A5%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%A6%E7%B5%90%E6%A0%B8%E3%82%92,%E9%97%98%E7%97%85%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
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来年の朝ドラに大谷は登場するのかと、期待? ( No.37 ) |
- 日時: 2024/10/14 05:10
- 名前: エリスリナ・ガル ID:tzSL569g
- そう言えは、八雲の神戸時代の旧宅が、記念館になっている様ですょ。
小泉八雲旧居跡碑 https://g.co/kgs/pypf4P7
https://www.hyogo-tourism.jp/spot/result/33
来年の朝ドラ役の俳優は、誰が演じるのか?、大谷の出番もありそうですが、ハーン役はオーディション、公募らしいので発表が楽しみデスね。
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京都の十六日桜?十六夜桜は、はて? ( No.38 ) |
- 日時: 2024/10/24 07:56
- 名前: エリスリナ・ガル ID:yF3sTwLk
- 京都府立植物園に十六日(イザヨイ)桜とされている早咲きの桜が植えられているようです。
http://www.tree-flower.jp/26/kyotofu_shokubutsu_1208/kyotofu_shokubutsu_5.html
同名の桜が、同じ京都の植藤造園のブログにも有りますから、チョット気になっています。戦災で焼失してしまった一茶が見た桜が、現存している可能性が、出て来た様な気がします。
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小泉八雲役の発表は、まだ、女優は雪女? ( No.39 ) |
- 日時: 2024/10/29 23:40
- 名前: エリスリナ・ガル ID:O8ZiFR9M
- 来年の下半期の朝ドラの女優の発表が有りました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20241029/5060019685.html
まだ、八雲役の男優の発表は有りませんでしたが、決定はしている様ですね。
繞石の登場があるとしたら、コチラも気になるところです、 広校の関係者の話では、ズーズ弁の英語教師、教頭だったと言いますから?
出雲弁が東北の青森地方と同じだと、清張の『砂の器』の疑問の解決のキーワードだった様に思います。
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東北地方や出雲のあたりの方は、顔立ちがはっきりした美男美女が多い感じなのは何故? ( No.40 ) |
- 日時: 2024/10/30 03:51
- 名前: 管理人 ID:k3mFf9Jw
- あのあたりだけ、ズーズ弁でしたね。
そして、東北地方や出雲のあたりの方は、顔立ちがはっきりした美男美女が多い感じでしょうか?
むかし、大陸からのロシア系の移住があったからとか言った話もでたりしましたね!
と言うより、
それ以前に、人類が5万年から7万年の間に出アフリカ後、シベリアに進出した人たちがいて、シベリアで二つにわかれます。 ハプログループR (Y染色体)とハプログループQ (Y染色体)です。 ハプログループRは、その後ヨーロッパやインドに進出し、現在のインドヨーロッパ系になったと言われているようです。 ハプログループQは、モンゴロイドと混血しながら南北アメリカに進出しアメリカインディアンになったらしい。 アメリカインディアンがモンゴロイドといいながら、鼻が高いのは、こういった理由らしい。 間違っていたら、ごめんなさいです。
このハプログループQ (Y染色体)の人たちが混血しながら、東北地方や山陰地方にきたのではないか? 憶測です。
wikipedia Y染色体ハプログループ(父系遺伝子) https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
wikipedia ミトコンドリアDNAハプログループ(母系遺伝子) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2DNA%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
youtube アメリカ先住民の起源 https://youtu.be/9aHbzWnonvc?si=fByAAxiOsga0T8jh
youtube ヨーロッパ人と東アジア人は同一集団の子孫 https://youtu.be/pzLQVY-xOmQ?si=rnd8UXoPFIfEm1l9
追記) wikipediaのy染色体ハプログループの説明で、人類は南、北、西ルートで拡散したとあります。 北ルートに、ハプログループNOとハプログループPがあります。 ハプログループNOは、現在の東アジア人の多く。 ハプログループPは、その後にハプログループRとハプログループQに別れます。
これらから言えるのは、リンクのYOUTUBEの中で言われている事です。 面白いのは、ハプログループNOです。 ハプログループNOも二つに別れます。ハプログループNとハプログループOです。 ハプログループNは中国から東南アジアで生まれたと言われています。そして、彼らは北へ、西へと拡散して行きます。 北東ヨーロッパ等にも多く住むフィンウゴル語族にハプログループNの人達が多くいます。フィンランド人やエストニア人です。また、彼らはスラブ系、又はスカンジナビアの人達とも多く混血しています。
また、wikipediaのy染色体ハプログループには次の様に書かれています。
一方で2020年に発表されたハラストらの系統発生学的手法による古代および現代の非アフリカ人Y染色体のサンプルを用いた分析によると、7万年-5万5千年前に起きた基層となるD系統、C系統、F系統の遺伝子を持つ集団の出アフリカに続いて、新しい移民を除く全ての非アフリカ人男性のY染色体の系統は5万5千年-5万年前に東アジア/東南アジアから拡散したことを示しているとし、この基層となった系統は速やかにユーラシア全体にわたって拡散し、後に東南アジアで多様な系統に分岐し、それから約5万5千年-5万年前に西に向かって拡散し、先住民のY染色体系統と置き換わったとしている[6]。
人類は皆兄弟だと言う事のようです。
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リューリク朝 ( No.41 ) |
- 日時: 2024/11/04 05:01
- 名前: 管理人 ID:qZLdsVDI
- ウクライナとロシアとの戦争で、国家としての起源が話題となっているように思います。
どちらも、リューリク朝が始まりのようです。 キエフ公国やモスクワ大公国もリューリク朝の流れをくむようです。
伝説によると、リューリク朝の創立者はリューリクというノルマン人の長なんだそうです。 そのリューリクはハプログループNのようです。 リューリクの子孫は、東ヨーロッパで多くの国の始祖となっているようです。 現在も、リューリクの子孫が多くいるようで、遺伝子を見るとハプログループNが多いようです。 リューリクはフィン人とノルマン人の混血と言う事ですね!
ハプログループNの起源は東アジアです。 ちょっと、面白くないですか?
wikipedia「リューリク朝」の英語版の「遺伝子研究」の項目をみると次のように書かれています。
リューリク人の起源に関する遺伝学的研究(Zhur et al. 2023)では、ドミトリー・アレクサンドロヴィチ公の遺骨が「初めて」分析された。この研究では、ドミトリー・アレクサンドロヴィチ公と、ヤロスラフ賢公をはじめとする「中世および現代のリューリク人」のほとんどが、父系のハプログループN-M231(N1a)に属することが判明した。遺伝学的結果は、リューリク人の血統の形成には、東スカンジナビア(エーランド)の集団、中央ヨーロッパまたは鉄器時代のユーラシアステップの集団、およびシベリアから北東ヨーロッパへの遺伝子流入を介した東アジアの要素が含まれていたことを示唆している。[ 37 ]
wikipedia リューリク朝(日本版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E6%9C%9D
wikipedia リューリク朝(英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/Rurikids
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