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wikipedia等を引用しながら淡路島ゆかりの有名人をまとめています。
最新更新日は平成28年7月24日です。新しく追加した方は を表示しています。

■淡路島ゆかりの有名人

おなまえ 説  明
奥華子 千葉出身のシンガーソングライター、作曲家。父親が淡路島出身。
トレードマークは赤い縁のメガネ。
テレビ朝日の人気番組「関ジャニ仕訳∞」の最終回「2015年3月21日放送」の「ピアノ王決定選」では見事なピアノ演奏を披露していました。   
川端千枝 大正から昭和にかけての神戸出身の歌人。父親が淡路島出身。
洲本で淡路新聞記者の川畑氏に嫁ぐも早くに死別。淡路島で短歌を作ることを覚え、その後、東京に移住し女流歌人の地歩を築きました。
著作集に「川端千枝全歌集」。1970年には川端千枝をモデルにしたNHKドラマ・千鳥「淡路島を背景に、女として母として美しい恋に生きた歌人」 として放送されています。   
直原玉青 直原玉青(じきはら ぎょくせい)は、画家で禅僧。岡山県赤磐郡(現:赤磐市)生まれ、淡路島で育つ。日展に16回入選。南画の第一人者。
洲本市名誉市民、守口市名誉市民、南あわじ市名誉市民。   
杉良太郎 歌手、俳優、財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。法務省特別矯正監。外務省日本ベトナム特別大使。ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使、ハワイ州ホノルル市名誉市長、シンガポール日本文化協会名誉会長、麻薬追放協会会長など。
父親は南あわじ市出身。
演歌歌手である夫人の伍代夏子は鳴門海峡うず潮観光大使。
高山路爛 高山路爛(たかやま ろらん)は、医師で作家。南あわじ市立阿那賀診療所長。
医療漫画の「メスよ輝け!!」の原作者。
田島征彦 淡路島在住、大阪府堺市生まれの絵本作家。同じく絵本作家の田島征三は双子の兄弟。
1981年に「祇園祭」で世界絵本原画展金牌受賞。1985年に「てんにのぼったなまず」で世界絵本原画展2度目の金牌受賞。
鄭承博 鄭承博(チョン・スンバク、ていしょうはく)は、在日朝鮮人一世作家。小説、川柳、詩、随筆などと幅広く活躍。
淡路島で地元の文化活動の求心力ともなっていた。
坪内ミキ子 東京都出身の女優、タレント。父親は演劇評論家の坪内士行、母親は洲本出身で宝塚歌劇団1期生の元トップ娘役の雲井浪子です。
1963年に早稲田大学文学部英文科を卒業後、大映映画「陽気な殿様」でデビュー。「学士女優」と呼ばれ、大映の看板女優として活躍しました。
現在はテレビドラマ、クイズ番組、コメンテーター、執筆など幅広く活動中です。NHK「連想ゲーム」では12年間レギュラー回答者を務めています。
西日本(淡路島)ハンバーガールZ(ゼータ) 西日本(淡路島)ハンバーガールZ(ゼータ) 世界初「ご当地バーガーアイドル」です。淡路島と通天閣を拠点に、オリジナルのハンバーガーソングのLIVEや、ご当地バーガーを使った町おこしイベントなどを行っています。
にこいち 神戸出身のアコースティックデュオ。
淡路島が舞台の映画「種まく旅人 くにうみ の郷」の主題歌を歌いました。また、淡路島のイベントにたびたび出演してくれています。
ミュージックビデオには淡路島の女の子が多数出演しています。

灰谷健次郎 児童文学作家。「兎の眼」で児童文壇にデビュー。
一時期、淡路島に住んで活躍されていました。
増田英彦 漫才コンビ「ますだおかだ」のボケ担当。父親が南あわじ市出身。
マック鈴木 神戸出身の元メジャーリーガー、元プロ野球選手。メジャー通算6年で16勝31敗。完封1。プロ野球通算2年で5勝15敗1セーブ。
現在、南あわじ市広田のサンライズマックジムでトレーナ、および講演などをされているそうです。
夫人はお笑いコンビクワバタオハラの小原正子。amebaの芸能人ブログは人気で淡路島の話題もたまにでているようですね!
湊かなえ 広島出身の小説家。淡路島在住。淡路島の高校で家庭科の非常勤講師となる。結婚後、昼は主婦業をこなし、朝晩は小説の執筆に励んでいるそうです。
原作の「告白」「北のカナリアたち」「白ゆき姫殺人事件」が映画化されています。また、多数の作品がテレビドラマ化もされ、2014年11月現在も「Nのために」が榮倉奈々主演で放送中です。
第61回NHK紅白歌合戦(2010年)のゲスト審査員にもなっています。

追記 2015.8.5 淡路島情報館 管理人)
湊かなえの小説本「望郷」を読みました。そのタイトル「望郷」は、今の私の心境にぴったりだと興味を持っていたのです。 詩人の室生犀星も「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」と詠いましたね!
湊かなえの「望郷」は瀬戸内海の架空の島を舞台にした短編6作品からなります。私は短編6作品、一作一作を味わいながら読みました。
いや〜、凄い!短編すべてが名作揃いじゃないですか!
「望郷」は社会派ミステリーとも言える考えさせるものでした。
一見どこでもあるような社会問題を、島と言う環境と絡ませながら、その背景を丹念にわかりやすく、そして作品ごとに「思わぬ結末と驚き」「勇気」「感動」などを与えてくれます。
短編6作品が全て名作なのですが、個人的には「みかんの花」「海の星」「雲の糸」「石の十字架」「光の航路」が特に良かったですね〜
あらら!6作品中5作品を書いちゃったよ!つまり、殆どみんな素晴らしかったということです。
私は図書館で「望郷」を借りたのですが、手元に置いておいて損が無い一冊だと思います。
中学生以上の子供にも絶対のお勧めですね。
いずれ、短編すべてがドラマ化、ないし映画化されても不思議ではないでしょう。

追記 2015.9.11 淡路島情報館 管理人)
「望郷」に続いて「告白」「少女」「夜行観覧車」「往復書簡」「境遇」「母性」を読みました。
ちょっと、湊かなえにはまってるかも!
彼女の小説で「イヤミス」と言うジャンルが世に広まったらしい。なるほど、作品によっては「イヤミス」感を十分すぎるほど味わったオイラです。
(;゚д゚)ゴクリ…
女性視点の作品のいくつかは特に「イヤミス」感が漂いましたね。(イヤミスの意味についてはグーグってください)
そんなわけで、男性諸氏への私のお勧めは「望郷」「告白」「往復書簡」です。
村上信夫 フランス料理のシェフ。帝国ホテルの料理長を26年間務めるなどフランス料理を広めた人物として知られる。
父親が洲本の網元の息子で、東京で食堂を営んでいました。
NHK「きょうの料理」に出ていたシェフの方です。ちょっと太った方で誰もが知っていますね!
by.淡路島情報館 管理人   
綿貫民輔 政治家であり実業家。政治家としては第70代衆議院議長、第28代自由民主党幹事長。また、建設大臣、国土庁長官などを務めました。国民新党の 初代代表でもあります。
実業家としては破たん寸前だった砺波運輸(現トナミ運輸)を経営再建し上場させました。
綿貫民輔の自叙伝「わが半生の記」によれば父親の綿貫佐民は淡路島の南家出身とあります。綿貫佐民の父親は南嘉五郎と言い、「南家は楠木正成の後裔といわれる家系」「南嘉五郎は賀集村の郵便局長で、県議や漁協の組合長なども務めていた」などともあります。
  

■淡路島ゆかりの歴史上の人物

おなまえ 説  明
足利尊氏 足利尊氏は、延元3年/暦応元年(1338年)、光明天皇から征夷大将軍に任じられ室町幕府を開きました。
その足利尊氏伝説の寺が淡路島北部の釜口にあります。
「妙に勝つ」と、なんとも縁起の良い名前の妙勝寺です。
足利尊氏は楠木正成や新田義貞に敗れて九州へ落ちのびていくなかで、その縁起の良い名前に惹かれ淡路島に上陸し妙勝寺にお参りました。
そして、これをきっかけに足利尊氏は態勢を立て直し、湊川の戦いで楠正成を破り室町幕府を開くことになったと伝えられています。
妙勝寺
妙勝寺
  妙勝寺 妙勝寺 map
黒田官兵衛 播磨国の姫路生まれ。戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。
豊臣秀吉の参謀として天下取りを支えます。豊臣政権崩壊後も筑前国福岡藩祖として息子の長政とともに黒田家の繁栄を築きました。
官兵衛は武将として人を殺生することを好まなかったと言われています。そんな中、生涯で二人だけ謀殺したとも言われます。
織田信長が天下取りを目指していたとき、秀吉は官兵衛に淡路島の平定を命じます。
官兵衛は淡路島の由良城攻めのおり、淡路島水軍として名をはせた城主の安宅河内守(安宅清康あるいは安宅貴康)を謀略により討ち取ったと言われています。
その時の刀は名刀「安宅切」と呼ばれ、現在は福岡市博物館に保存されています。
静御前 生没年不詳。平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。
源義経の愛妾。
静の死について諸々の伝承があります。
静は鎌倉で頼朝に義経との子を殺されたが命は助けられ、頼朝の妹の夫である一条能保に預けられました。その一条家の荘園が淡路島の志筑にあったためここに隠れ住み没し、供養として宝篋印塔が建てられたと伝えられています。
淡路市志筑にある「静の里公園」は、静御前の霊廟を中心に整備された公園です。
また、「淡路市立しづかホール」は、静御前にちなんで名づけられたものです。あの美しい建物の形は、「静御前」が、舞を舞うときの「扇」をイメージしたものです。
静の里公園
静の里公園
  静の里公園 map
淡路市立しづかホール
淡路市立しづかホール
  津名港 淡路市立しづかホール map
淳仁天皇 天平5年(733年) − 天平神護元年10月23日(765年11月10日)。
第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日) − 天平宝字8年10月9日(764年11月6日)。
孝謙上皇との争いに敗れ淡路島に幽閉されました。古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれています。
南あわじ市賀集には「淳仁天皇 淡路陵(じゅんにんてんのう あわじのみささぎ)」があります。
南あわじ市十一ヶ所には幽閉地の跡という「野辺の宮」、菩提寺と伝えられる「宝積寺」があります。
南あわじ市賀集の「万福寺」は淳仁天皇御陵奉仕の僧侶の宿院として千二百年前に開かれた由緒寺院です。
淡路市多賀の「妙京寺」は淳仁天皇の行在所(あんざいしょ)であったと伝えられ、天皇の位牌が祀られているそうです。(行在所とは天皇が外出時の仮の御殿)
また、淳仁天皇とともに淡路島に流された母親「当麻山背(たいまのやましろ)」の墓が南あわじ市北阿万にあります。
淳仁天皇 淡路陵
淳仁天皇 淡路陵
  淳仁天皇 淡路陵 淳仁天皇 淡路陵 map
万福寺
万福寺
  万福寺 万福寺 淡路陵 map
妙京寺
妙京寺
  妙京寺 妙京寺 map
当麻山背の墓
当麻山背の墓
  当麻山背の墓 当麻山背の墓 map
平敦盛 南あわじ市の福良湾には「煙島」と呼ばれる変わった名の小さな島があります。その島の名の由来は悲しい。
800年余り前、平氏と源氏は一の谷で戦いました。平家は敗れ屋島へと逃れていきます。
平敦盛は平清盛の弟である平経盛の末子です。
その敦盛は一の谷の合戦で敵将の熊谷直実に首をとられます。この時、敦盛は17歳でした。
しかし、敦盛は若くてイケメン、そして一の谷の合戦での見事な戦い様で後になり名を残す事になります。平家物語の名場面として幸若舞、能、文楽、歌舞伎などに取り上げられていくのです。
大河ドラマなどで織田信長が歌いながら舞うシーンが印象的です。この時、織田信長が歌っている歌こそが幸若舞の「敦盛」の一節なのです。
(敦盛の一節:人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか)
平家一門は屋島へ逃れていく中で、淡路島各地にも渡っていきます。その中の本体が福良湾の小さな島で敦盛の遺骸を荼毘にふしたそうです。
その時に立ち上った煙が「煙島」の由来になったと伝えられているのです。島の頂上には敦盛の首塚があります。
福良湾
福良湾
  福良湾 福良湾 map
平清盛と松王丸 淡路島北部の岩屋には万葉の昔から詠われてきた美しい小さな島「絵島」があります。 その「絵島」の頂上には絵島大明神と書かれた石塔が建てられています。
この石塔には17歳の松王丸という少年の悲しい話があります。
平清盛は松山ケンイチ演ずる大河ドラマ「平清盛」でも有名、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われた時代を作った平家の棟梁です。
その平清盛は大輪田の泊(おおわだのとまり)、現在の神戸港西側の一部を修築しようとします。 当時の大輪田の泊は南東からの大風が吹くと防ぐものがない為に船の出入りができなくなりました。 その為に平清盛は大輪田の泊の沖に島を築いて防波堤を作ろうと考えたのです。
しかし、工事は難工事となります。祈祷師は「島を築くには海中の竜神の怒りをしずめなくてはならない。三十数町余りも埋め立てるのだから三十数人の人柱を海にしずめて竜神に供えるとよいだろう。」と言いました。
平清盛は仕方なく人柱を海にしずめることにします。その時、平清盛のそば仕えの少年だった松王丸は「人柱などと言うむごいことは、おやめください。私が三十数人の身代わりになりましょう。」と言い身代わりとなり、千人の僧侶の読経する声がひびく中で海の中へと沈んでいったのです。
そして、平清盛は朝夕に松王丸と眺めていた美しい「絵島」に松王丸の供養塔を建てたと伝えられているのです。
今も「絵島」のある岩屋からは神戸の町が見えます。松王丸も岩屋から神戸の町を見ていることでしょう!
絵島
絵島
  絵島 絵島 map