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淡路島ゆかりの有名人

wikipedia等を引用しながら淡路島ゆかりの有名人をまとめています。

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淡路島ゆかりの有名人

おなまえ 説  明
池澤夏樹 北海道帯広市出身の小説家、詩人。
1988年に「スティル・ライフ」で芥川賞受賞。
北海道観光公式サイト「GoodDay北海道」さんの記事「開拓の歴史を今に伝える、長編小説『静かな大地』の舞台となる日高エリアへ(現在はリンク切れ)」によれば、曽祖父(母方)が淡路島からの移住者のようです。
池澤夏樹の小説「静かな大地」は、淡路島から北海道へ移住した曽祖父とその兄をモデルにした歴史的事実とフィクションを織り交ぜた物語です。小説は第3回親鸞賞を受賞しています。
池澤夏樹も池部良や岡本太郎と同じく庚午事変をきっかけに北海道に移住した稲田家臣団の子孫にあたるようです。
娘の池澤春菜は、声優、舞台女優、歌手、エッセイスト。日本SF作家クラブ会長も務めています。声優としては「とっとこハム太郎」「ケロロ軍曹」などに出演されています。
YouTube動画
舞台をゆく:北海道・静内 アイヌと手携えた「静かな大地」
池部良 東京都出身の俳優、随筆家。
1949年の映画「青い山脈」で原節子と共演し大ヒットしました。以降も二枚目スターとして数多くの映画に出演しました。日本映画俳優協会初代理事長も務めています。また、随筆家としては「そよ風ときにはつむじ風」で日本文芸大賞を受賞しています。
明治維新後まもなくの1870年(明治3年)、洲本城下で庚午事変(こうごじへん)が起こります。この事件をきっかけに明治政府から洲本の稲田家臣団に対して北海道静内などへの移住・開拓が命じられます。 この北の大地への移住・開拓は苦難を伴いました。船山馨の小説「お登勢」、吉永小百合、渡辺謙、石原さとみ出演の映画「北の零年」でも描かれています。
「益習の集い公式HP」さんの記事「岡本太郎も池辺良も稲田家臣子孫『北の150年』パネル展」によれば、俳優の池部良と芸術家の岡本太郎はこの時の稲田家臣団の子孫にあたるようです。
元稲田家臣である関谷辺の長女・正は7歳の時に洲本から北海道に移住します。その後、書家の岡本可亭と結婚することとなります。岡本可亭と正夫婦の長男が漫画家の岡本一平で、岡本一平と作家の岡本その子の間に生まれたのが岡本太郎です。三女・クヮウと画家の池部鈞との間に生まれたのが池部良です。岡本太郎と池部良は従兄弟同士になります。
また、wikipediaによれば池部良の妻・美子は森永製菓二代目社長の松崎半三郎が祖父であり、前内閣総理大臣・安倍晋三の夫人である安倍昭恵は池部良の従姪になるようです。
上田岳弘 兵庫県明石市出身の小説家。
2019年に「ニムロッド」で芥川賞受賞。
両親が淡路島出身です。
兵庫県のホームページの記事「県民だより ぐぐっと!(現在はリンク切れ)」には、両親が淡路島出身と言うことで「作品のなかに淡路島がでてきたりすることもあります」「長い休みになると必ず島に渡って過ごしていたので明石と淡路、故郷が2つある感覚です」とおっしゃっています。
大須賀王子 東京都出身の俳優。淡路島在住。 淡路島を舞台にした短編映画「あわじ探偵事務所」の原作・主演・監督。
米倉涼子が主演の人気ドラマ「ドクターX」などに出演。また、主演した映画「ANIKI」が横濱HAPPY MUS!C映画祭「最優秀作品賞」などを受賞しています。
神戸新聞の2022年1月14日付の記事「住民出演「まさかあいつが…」俳優・大須賀王子さん脚本・監督、淡路島舞台の映画完成」によれば、ハリウッド映画に挑戦するため米国へ行こうとしていましたが、新型コロナウイルス感染症の世界的拡大で米国移住をあきらめ、奥さんがインターネットで調べた淡路島に2020年7月に移住することになったんだそうです。
2022年10月からは、淡路市佐野でキッチンカーによるカフェ「あわじ探偵事務所」を開業されています。イベント会場への出張もするそうです。
岡田繁幸 北海道静内町出身の実業家、馬主。
ビッグレッドファームの創業者。
日本BS放送が放送している「BSイレブン競馬中継」の土曜日レギュラースタジオ解説者もされています。
「益習の集い公式HP」さんの記事「『北の150年』今も続く淡路の絆(2)馬産地 」によれば、庚午事変で北海道へ移住した稲田家臣団の子孫にあたるようです。出口牧場や服部牧場も淡路関係者だそうです。
弟の岡田牧雄も岡田スタッドグループ社長で、岡田スタッドグループは兄弟の父親である岡田蔚男が岡田蔚男牧場を創業したのが始まりです。
ビッグレッドファームの生産馬には、2009年の天皇賞(春)を制覇したマイネルキッツ、2021年の優駿牝馬(オークス)を制覇したユーバーレーベンがいます。
出口牧場の生産馬には、2012年の皐月賞、菊花賞、有馬記念、2013年と2014年の宝塚記念、2015年の天皇賞(春)を制覇したゴールドシップがいます。
服部牧場の生産馬には、2016年の皐月賞を制覇したディーマジェスティ、1996年の皐月賞を制覇したイシノサンデーがいます。
岡田牧雄 サラブレッドの生産・育成の岡田スタッドグループ社長。
兄の岡田繁幸は、ビッグレッドファーム創業者。
「Pacalla(パカラ)」さんの記事「【牧場の歴史 vol.03】岡田スタッドグループ編」によれば、岡田スタッドグループは、兄弟の父親である岡田蔚男が岡田蔚男牧場を創業したのが始まりだそうです。
また、「岡田家のルーツは淡路島にあり、もともとは武士の家系で、馬とは何の関係もなく、殿様の食事係・毒味係だったそうです。」「明治時代のはじめ頃、淡路島にいた稲田氏の一員として北海道に入植してきました。」とあります。
岡田スタッドグループの生産馬には、2007年の有馬記念を制覇したマツリダゴッホ、2021年の菊花賞、2022年の天皇賞(春)、宝塚記念を制覇したタイトルホルダーがいます。
岡本太郎 神奈川県出身の芸術家。
1970年開催の大阪万博のプロデューサーとして太陽の塔を構想しました。また、テレビのバラエティー番組にも数多く出演し「芸術は爆発だ」等のフレーズは流行語となりました。
以下は、俳優・池部良の説明と同じです。
明治維新後まもなくの1870年(明治3年)、洲本城下で庚午事変(こうごじへん)が起こります。この事件をきっかけに明治政府から洲本の稲田家臣団に対して北海道静内などへの移住・開拓が命じられます。 この北の大地への移住・開拓は苦難を伴いました。船山馨の小説「お登勢」、吉永小百合、渡辺謙、石原さとみ出演の映画「北の零年」でも描かれています。
「益習の集い公式HP」さんの記事「岡本太郎も池辺良も稲田家臣子孫『北の150年』パネル展」によれば、俳優の池部良と芸術家の岡本太郎はこの時の稲田家臣団の子孫にあたるようです。
元稲田家臣である関谷辺の長女・正は7歳の時に洲本から北海道に移住します。その後、書家の岡本可亭と結婚することとなります。岡本可亭と正夫婦の長男が漫画家の岡本一平で、岡本一平と作家の岡本その子の間に生まれたのが岡本太郎です。三女・クヮウと画家の池部鈞との間に生まれたのが池部良です。岡本太郎と池部良は従兄弟同士になります。
奥華子 千葉県出身のシンガーソングライター、作曲家。トレードマークは赤い縁のメガネ。
父親が淡路島出身。
父親が淡路島出身の作詞家・阿久悠と同じ中学の出身で、阿久悠より二つ下だそうです。
シングル「ガーネット」が2006年公開の角川映画劇場版アニメーション映画「時をかける少女」の主題歌となっています。
テレビ朝日の人気番組「関ジャニ仕訳∞」の最終回「2015年3月21日放送」の「ピアノ王決定選」では、見事なピアノ演奏を披露していました。
2018年に淡路夢舞台で開催された「グッドストックフェスティバル」にも出演しています。

YouTube動画
時をかける少女(劇場予告)
賀集利樹 兵庫県尼崎市出身の俳優。2001年にテレビ朝日系列「仮面ライダーアギト」で主役の仮面ライダーアギト役で俳優デビュー。
2018年2月17日放送のテレビ朝日系列「朝だ!生です旅サラダ」では、祖父が生まれ育った沼島、そして淡路島へ賀集家のルーツを探りに行きます。
■淡路島情報館 管理人
江戸時代末期、現在の南あわじ市北阿万出身でa平焼きで知られる賀集a平と直接関係があるのか?「朝だ!生です旅サラダ」の放送からは良くわかりません。訂正します。

桂吉弥 大阪府茨木市出身の落語家、俳優。
wikipedia「淡路島」によれば祖母が淡路島出身だそうです。

兼高かおる 兵庫県神戸市出身のジャーナリスト(ツーリストライター)。日本旅行作家協会名誉会長。
TBSで1959年から1990年まで放送された「兼高かおる世界の旅」では、世界約150か国の国を訪れています。
昭和60年には淡路ワールドパークONOKOROに「兼高かおる旅の資料館」が開館し名誉館長に就任しました。
令和2年2月28日に閉館することになり、キャンペーン「35年間の感謝をこめて。ありがとう、兼高かおるさん〜Farewell Our Beloved Adventuress, Kaoru Kanetaka」が開催されています。
川端千枝 大正から昭和にかけての神戸市出身の歌人。父親が淡路島出身。
洲本で淡路新聞記者の川畑氏に嫁ぐも早くに死別。淡路島で短歌を作ることを覚え、その後、東京に移住し女流歌人の地歩を築きました。
著作集に「川端千枝全歌集」。1970年には川端千枝をモデルにしたNHKドラマ・千鳥「淡路島を背景に、女として母として美しい恋に生きた歌人」 として放送されています。   
直原玉青 直原玉青(じきはら ぎょくせい)は、画家で禅僧。岡山県赤磐郡(現:赤磐市)生まれ、淡路島で育つ。日展に16回入選。南画の第一人者。
洲本市名誉市民、守口市名誉市民、南あわじ市名誉市民。   
杉良太郎 歌手、俳優、財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。法務省特別矯正監。外務省日本ベトナム特別大使。ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使、ハワイ州ホノルル市名誉市長、シンガポール日本文化協会名誉会長、麻薬追放協会会長など。
父親は南あわじ市出身。
演歌歌手である夫人の伍代夏子は鳴門海峡うず潮観光大使。
高山路爛 高山路爛(たかやま ろらん)は、医師で作家。南あわじ市立阿那賀診療所長。
医療漫画の「メスよ輝け!!」の原作者。
田島征彦 淡路島在住、大阪府堺市生まれの絵本作家。同じく絵本作家の田島征三は双子の兄弟。
1981年に「祇園祭」で世界絵本原画展金牌受賞。1985年に「てんにのぼったなまず」で世界絵本原画展2度目の金牌受賞。
立花孝志 大阪府泉大津市出身の政治家。元NHK職員。
YouTubeチャンネル「街録ch」に出演し、動画(公開日:2021/11/07)の中で、小学生の時「夏休みとか春休みとか冬休み、必ず長期の休みの時は淡路島のおばちゃんおじいちゃんのところで終業式終わったら船で淡路島に船に乗って行く」「おじいちゃんが大阪と淡路島を繋ぐ連絡船の会社の所長さんをしていたんで、夏休みは船に乗る人の切符を切ったり掃除をしたり、そういったバイトをしていた」などとおっしゃっています。
また、2023年8月12日公開のYouTube動画では、母親と淡路島へ墓参りに行かれています。動画によれば、ご両親とも洲本市の出身で洲本高校を出られているそうです。
鄭承博 鄭承博(チョン・スンバク、ていしょうはく)は、在日朝鮮人一世作家。小説、川柳、詩、随筆などと幅広く活躍。
淡路島で地元の文化活動の求心力ともなっていた。
坪内ミキ子 東京都出身の女優、タレント。父親は演劇評論家の坪内士行、母親は洲本出身で宝塚歌劇団1期生の元トップ娘役の雲井浪子です。
1963年に早稲田大学文学部英文科を卒業後、大映映画「陽気な殿様」でデビュー。「学士女優」と呼ばれ、大映の看板女優として活躍しました。
現在はテレビドラマ、クイズ番組、コメンテーター、執筆など幅広く活動中です。NHK「連想ゲーム」では12年間レギュラー回答者を務めています。
ナカタニ・ヨシオ メキシコの日系人歌手。
新型コロナで2020年5月に亡くなった時、メキシコの大手紙は一斉に「真のサムライ」などと惜しんだといいます。
父親が洲本市出身で戦前にメキシコへ渡り、国民的なお菓子として愛される「カカワテ・ハポネス」を発明した中谷由平です。
掲示板で情報を頂きました。
YouTube動画
Famosos reaccionan al fallecimiento del cantante Yoshio
にこいち 神戸市出身のアコースティックデュオ。
淡路島が舞台の映画「種まく旅人 くにうみ の郷」の主題歌を歌いました。また、淡路島のイベントにたびたび出演してくれています。
2017年、淡路島花の応援団に就任しました。
ミュージックビデオには淡路島の女の子が多数出演しています。

YouTube動画
【公式】星のある場所 MV【8/3発売2ndミニアルバム『あすなろ』】 / にこいち
西日本(淡路島)ハンバーガールZ(ゼータ) 世界初「ご当地バーガーアイドル」です。淡路島と通天閣を拠点に、オリジナルのハンバーガーソングのLIVEや、ご当地バーガーを使った町おこしイベントなどを行っています。

西村康稔 兵庫県明石市出身の衆議院議員(7期)。元通産官僚。
祖母が淡路市岩屋出身です。
沼田義明 北海道沙流郡門別町(現日高町)出身の元プロボクサー。元WBA・WBC統一世界ジュニアライト級王者。
現在は東京都の清瀬市でボクシングジム開設しながら、解説者としても活躍中です。
「益習の集い公式HP」さんの記事「『北の150年』パネル、 ボクシング元世界チャンピオンもいた」によれば、実家が日高町富川にあった沼田旅館で、「新門別町史」を読むと沼田旅館は淡路からの移住者によって創業されたことが載っているそうです。
灰谷健次郎 児童文学作家。「兎の眼」で児童文壇にデビュー。
一時期、淡路島に住んで活躍されていました。
原田龍二 東京都出身の俳優、タレント、司会者。
2020年4月に「洲本市応援団長」を拝命。

菱川文博 明石市出身の地方官僚で実業家。コナミ工業株式会社名誉会長などを務めています。
wikipediaによれば、父親の菱川兵次郎は洲本市出身で兵庫県の高砂市市長を務めています。
元々、菱川家は京都伏見出身で、淳仁天皇が孝謙上皇と対立して淡路島に流される際に随行し、そのまま淳仁天皇陵付近(南あわじ市賀集)に住み、陵墓を守っていたとされるそうです。 父の菱川兵次郎が明石に出るまで、菱川家は淡路南部で農業を営んでいたそうです。
増田英彦 漫才コンビ「ますだおかだ」のボケ担当。父親が南あわじ市出身。
マック鈴木 神戸出身の元メジャーリーガー、元プロ野球選手。メジャー通算6年で16勝31敗。完封1。プロ野球通算2年で5勝15敗1セーブ。
現在、南あわじ市広田のサンライズマックジムでトレーナ、および講演などをされているそうです。
夫人はお笑いコンビクワバタオハラの小原正子。amebaの芸能人ブログは人気で、淡路島の話題もたまにでているようです。

湊かなえ 広島出身の小説家。淡路島在住。淡路島の高校で家庭科の非常勤講師となる。結婚後、昼は主婦業をこなし、朝晩は小説の執筆に励んでいるそうです。
原作の「告白」「北のカナリアたち」「白ゆき姫殺人事件」が映画化されています。また、多数の作品がテレビドラマ化もされ、2014年11月現在も「Nのために」が榮倉奈々主演で放送中です。
第61回NHK紅白歌合戦(2010年)のゲスト審査員にもなっています。

追記 2015.8.5 淡路島情報館 管理人)
湊かなえの小説本「望郷」を読みました。そのタイトル「望郷」は、今の私の心境にぴったりだと興味を持っていたのです。 詩人の室生犀星も「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」と詠いましたね!
湊かなえの「望郷」は、瀬戸内海の架空の島を舞台にした短編6作品からなります。私は一作一作を味わいながら読みました。
いや〜、凄い!短編すべてが名作揃いじゃないですか!
「望郷」は社会派ミステリーとも言える考えさせるものでした。
一見どこでもあるような社会問題を、島と言う環境と絡ませながら、その背景を丹念にわかりやすく、そして作品ごとに「思わぬ結末と驚き」「勇気」「感動」などを与えてくれます。
短編6作品が全て名作なのですが、個人的には「みかんの花」「海の星」「雲の糸」「石の十字架」「光の航路」が特に良かったですね〜
あらら!6作品中5作品を書いちゃったよ!
つまり、殆どみんな素晴らしかったということです。
私は図書館で「望郷」を借りたのですが、手元に置いておいて損が無い一冊だと思います。
中学生以上の子供にも絶対のお勧めですね。
いずれ、短編すべてがドラマ化、ないし映画化されても不思議ではないでしょう。
YouTube動画
望郷(湊かなえ原作) - 映画特報

追記 2015.9.11 淡路島情報館 管理人)
「望郷」に続いて「告白」「少女」「夜行観覧車」「往復書簡」「境遇」「母性」を読みました。
ちょっと、湊かなえにはまってるかも!
彼女の小説で「イヤミス」と言うジャンルが世に広まったらしい。なるほど、作品によっては「イヤミス」感を十分すぎるほど味わったオイラです。
(;゚д゚)ゴクリ…
女性視点の作品のいくつかは特に「イヤミス」感が漂いましたね。(イヤミスの意味についてはグーグってください)
そんなわけで、男性諸氏への私のお勧めは「望郷」「告白」「往復書簡」です。
村上信夫 フランス料理のシェフ。帝国ホテルの料理長を26年間務めるなどフランス料理を広めた人物として知られる。
父親が洲本の網元の息子で、東京で食堂を営んでいました。
NHK「きょうの料理」に出ていたシェフの方です。ちょっと太った方で誰もが知っていますね!
by.淡路島情報館 管理人
綿貫民輔 政治家であり実業家。
政治家としては、第70代衆議院議長、第28代自由民主党幹事長。また、建設大臣、国土庁長官などを務めました。国民新党の初代代表でもあります。
実業家としては、破たん寸前だった砺波運輸(現トナミ運輸)を経営再建し上場させました。
綿貫民輔の自叙伝「わが半生の記」によれば、父親の綿貫佐民は淡路島の南家出身とあります。綿貫佐民の父親は南嘉五郎と言い、「南家は楠木正成の後裔といわれる家系」「南嘉五郎は賀集村の郵便局長で、県議や漁協の組合長なども務めていた」などとあります。

淡路島ゆかりの歴史上の人物

おなまえ 説  明
足利尊氏 足利尊氏は、延元3年/暦応元年(1338年)、光明天皇から征夷大将軍に任じられ室町幕府を開きました。
その足利尊氏伝説の寺が淡路島北部の釜口にあります。
「妙に勝つ」と、なんとも縁起の良い名前の妙勝寺です。
足利尊氏は楠木正成や新田義貞に敗れて九州へ落ちのびていくなかで、その縁起の良い名前に惹かれ淡路島に上陸し妙勝寺にお参りました。
そして、これをきっかけに足利尊氏は態勢を立て直し、湊川の戦いで楠正成を破り室町幕府を開くことになったと伝えられています。
妙勝寺
妙勝寺
  妙勝寺 妙勝寺 map
黒田官兵衛 播磨国の姫路生まれ。戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。
豊臣秀吉の参謀として天下取りを支えます。豊臣政権崩壊後も筑前国福岡藩祖として息子の長政とともに黒田家の繁栄を築きました。
官兵衛は武将として人を殺生することを好まなかったと言われています。そんな中、生涯で二人だけ謀殺したとも言われます。
織田信長が天下取りを目指していたとき、秀吉は官兵衛に淡路島の平定を命じます。
官兵衛は淡路島の由良城攻めのおり、淡路島水軍として名をはせた城主の安宅河内守(安宅清康あるいは安宅貴康)を謀略により討ち取ったと言われています。
その時の刀は名刀「安宅切」と呼ばれ、現在は福岡市博物館に保存されています。
静御前 生没年不詳。平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。
源義経の愛妾。
静の死について諸々の伝承があります。
静は鎌倉で頼朝に義経との子を殺されたが命は助けられ、頼朝の妹の夫である一条能保に預けられました。その一条家の荘園が淡路島の志筑にあったためここに隠れ住み没し、供養として宝篋印塔が建てられたと伝えられています。
淡路市志筑にある「静の里公園」は、静御前の霊廟を中心に整備された公園です。
また、「淡路市立しづかホール」は、静御前にちなんで名づけられたものです。あの美しい建物の形は、「静御前」が、舞を舞うときの「扇」をイメージしたものです。
静の里公園
静の里公園
  静の里公園 map
淡路市立しづかホール
淡路市立しづかホール
  津名港 淡路市立しづかホール map
淳仁天皇 天平5年(733年) − 天平神護元年10月23日(765年11月10日)。
第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日) − 天平宝字8年10月9日(764年11月6日)。
孝謙上皇との争いに敗れ淡路島に幽閉されました。古文書では廃帝(はいたい)、または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれています。
南あわじ市賀集には、「淳仁天皇 淡路陵(じゅんにんてんのう あわじのみささぎ)」があります。
南あわじ市十一ヶ所には、幽閉地の跡という「野辺の宮」、菩提寺と伝えられる「宝積寺」があります。
南あわじ市賀集の「万福寺」は、淳仁天皇御陵奉仕の僧侶の宿院として千二百年前に開かれた由緒寺院です。
淡路市多賀の「妙京寺」は、淳仁天皇の行在所(あんざいしょ)であったと伝えられ、天皇の位牌が祀られているそうです。(行在所とは天皇が外出時の仮の御殿)
また、淳仁天皇とともに淡路島に流された母親「当麻山背(たいまのやましろ)」の墓が南あわじ市北阿万にあります。
淳仁天皇 淡路陵
淳仁天皇 淡路陵
  淳仁天皇 淡路陵 淳仁天皇 淡路陵 map
万福寺
万福寺
  万福寺 万福寺 淡路陵 map
妙京寺
妙京寺
  妙京寺 妙京寺 map
当麻山背の墓
当麻山背の墓
  当麻山背の墓 当麻山背の墓 map
平敦盛 南あわじ市の福良湾には、「煙島」と呼ばれる変わった名の小さな島があります。その島の名の由来は悲しい。
800年余り前、平氏と源氏は一の谷で戦いました。平家は敗れ屋島へと逃れていきます。
平敦盛は平清盛の弟である平経盛の末子です。
その敦盛は一の谷の合戦で敵将の熊谷直実に首をとられます。この時、敦盛は17歳でした。
しかし、敦盛は若くてイケメン!
そして、一の谷の合戦での見事な戦い様で後になり名を残す事になります。平家物語の名場面として幸若舞、能、文楽、歌舞伎などに取り上げられていくのです。
大河ドラマなどで織田信長が歌いながら舞うシーンが印象的です。この時、織田信長が歌っている歌こそが幸若舞の「敦盛」の一節なのです。
(敦盛の一節:人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか)
平家一門は屋島へ逃れていく中で、淡路島各地にも渡っていきます。その中の本体が福良湾の小さな島で敦盛の遺骸を荼毘にふしたそうです。
その時に立ち上った煙が「煙島」の由来になったと伝えられているのです。島の頂上には敦盛の首塚があります。
福良湾
福良湾
  福良湾 福良湾 map
平清盛と松王丸 淡路島北部の岩屋には、万葉の昔から詠われてきた美しい小さな島「絵島」があります。 その「絵島」の頂上には、絵島大明神と書かれた石塔が建てられています。
この石塔には17歳の松王丸という少年の悲しい話があります。
平清盛は松山ケンイチ演ずる大河ドラマ「平清盛」でも有名、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われた時代を作った平家の棟梁です。
その平清盛は大輪田の泊(おおわだのとまり)、現在の神戸港西側の一部を修築しようとします。 当時の大輪田の泊は南東からの大風が吹くと防ぐものがない為に船の出入りができなくなりました。 その為に平清盛は大輪田の泊の沖に島を築いて防波堤を作ろうと考えたのです。
しかし、工事は難工事となります。祈祷師は「島を築くには海中の竜神の怒りをしずめなくてはならない。三十数町余りも埋め立てるのだから三十数人の人柱を海にしずめて竜神に供えるとよいだろう。」と言いました。
平清盛は仕方なく人柱を海にしずめることにします。その時、平清盛のそば仕えの少年だった松王丸は、「人柱などと言うむごいことは、おやめください。私が三十数人の身代わりになりましょう。」と言い身代わりとなり、千人の僧侶の読経する声がひびく中で海の中へと沈んでいったのです。
そして、平清盛は朝夕に松王丸と眺めていた美しい「絵島」に松王丸の供養塔を建てたと伝えられているのです。
絵島
絵島
  絵島 絵島 map


■備考
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