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淳仁天皇 淡路陵

淡路島周遊の旅 第三回」で賀集八幡神社周辺を回ったあと、同じ賀集にある「淳仁天皇 淡路陵(じゅんにんてんのう あわじのみささぎ)」へ行きました。

「淳仁天皇 淡路陵」は賀集八幡神社からは数百メートルほどしか離れていません。
周りがたんぼの中に木々が豊かな「淳仁天皇 淡路陵」がポツンとあります。
私が行ったのは12月上旬の土曜日です。
田畑で農作業をしている方も多く見かけました。
また、近くでは農機具の展示販売会などもやっていました。
淡路島のタマネギ栽培は、ここ賀集出身の田中万米が開拓したそうです。

淳仁天皇は第47代の天皇で、廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれています。
淳仁天皇は孝謙上皇との不和から、恵美押勝の乱のあとに上皇から廃位を宣告され、平宝字8年10月14日(764年11月11日)、淡路に流されました。(以上wikipediaなどを引用)

孝謙上皇との権力争いに負けたみたいですね。
淡路に流された?
そう言っても、淡路島はくにうみの島でっせ!
古事記などによれば、日本は淡路島から始まったのでは?
「流されたのではなく歴史に帰った」などと思ったりもします。
(;^ω^)

「淳仁天皇 淡路陵」を望む

「淳仁天皇 淡路陵」を望む

「淳仁天皇 淡路陵」 正面

「淳仁天皇 淡路陵」 正面

宮内庁の説明板

宮内庁の説明板

淡路島には「淳仁天皇 淡路陵」だけでなく、幽閉地の跡とわれる「野辺の宮」、淳仁天皇の菩提寺と伝えられる「宝積寺」などもあるようです。
次の機会を見て、それらの淳仁天皇ゆかりの史跡も回れればと思います。

この「淳仁天皇 淡路陵」を見たあと淡路島七福神の賀集山万福寺へ行きました。
その後、賀集の隣地区の北阿万へ向かいました。
北阿万には淳仁天皇の母親の当麻山背 (たいまのやましろ)の墓がありますので次々回に紹介したいと思います。

「淳仁天皇 淡路陵」に巨木がないかと、周りをぐるりと回ってみました。
巨木とはいえないけれども大木っぽいのが数本ありましたので写真に撮りました。

「淳仁天皇 淡路陵」の大木

「淳仁天皇 淡路陵」の大木


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