管理人

武岡豊太翁頌徳碑

約5か月ぶりの記事になってしまいました。
ヽ(´Д`;)ノアゥア…

今回も「淡路島周遊の旅 第三回」で訪れた場所の紹介記事となります。
え~、前回の記事は「北阿万小学校校庭の米田悦郎翁頌徳碑」でした・・・
北阿万小学校校庭にあった米田悦郎翁頌徳碑の立派さに驚いた「淡路島情報館」の管理人です。
で、そのあと北阿万を訪れた一番の目的でもある武岡豊太の慰霊碑のあるJAあわじ島北阿万支所に向かいました。

武岡豊太は神戸の湊川トンネル(湊川隧道、日本初の河川トンネル)の建設、新開地の発展に貢献したといわれる実業家です。
今でこそ神戸一の繁華街は三宮ですが、戦前は新開地が神戸一の繁華街でした。
武岡豊太は西の帝劇と言われた聚楽館の経営などに関わるなど新開地の発展に貢献しました。
また、「森田節斎先生の生涯」などを著すなど文筆活動にも務めました。号は楽山。1924年(大正13)には紺綬褒章受章しています。

wikipediaによれば、「褒章(ほうしょう)」は、社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰する日本の栄典の一つです。
その一つ「紺綬褒章(こんじゅほうしょう)」は公益のため私財を寄附し功績顕著なる者に授与されます。

そんな武岡豊太は北阿万出身で、現在のJAあわじ島北阿万支所の敷地に彼の慰霊碑「武岡豊太翁頌徳碑」があるのです。

JAあわじ島北阿万支所

JAあわじ島北阿万支所

JAあわじ島北阿万支所の武岡豊太翁頌徳碑

JAあわじ島北阿万支所の武岡豊太翁頌徳碑

「武岡豊太翁頌徳碑」をよく見てみると「永田秀次郎書」とあります。
永田秀次郎は、関東大震災では東京市長として復興に尽力しました。そして、1936年には広田弘毅内閣で淡路島出身者として初の大臣になっています。
武岡豊太は1864年生まれ、永田秀次郎は1876年生まれです。
一回り違いで生前には交流もあったものと思われます。
その頃の淡路島は大物の人物を輩出し、きっと今以上に活気があったのでしょうね~

追記)
ひさしぶりの記事になってしまいました。
良い記事を書こう書こうと思っているうちに5か月ぶりの記事となりました。
もっと武岡豊太の説明等をしたいところですが、当サイトの掲示板には武岡豊太のことが書かれているのでご覧ください。

次回から神代編です。
北阿万から県道沿いに歩いて賀集にもどり、賀集から神代に向かいました。
目指すは「神代國衙 鎮守神社のクスノキ」です。
このクスノキは幹周が5.7mのどうどうたる巨木です。
現在のところ、南あわじ市で二番目に大きいと思われます。
(ネット情報によれば南あわじで一番目に大きな巨木は成相寺のイブキで、幹周が7mです)


  このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

トラックバック URL : http://awaji.kobe-ssc.com/kanrinin/wp-trackback.php?p=1379